コロナ時代の哲学

2020.06.08 Monday
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    JUGEMテーマ:読書

     

    私家版「かんたん西洋哲学批判ノート」として
      
     哲学とは、物事の本質を論理的に追求する知的活動です。
     まず体系的な哲学が生まれた古代ギリシアからローマ時代にかけての、哲学の歴史の流れを見てみましょう。
    〇自然および人間に焦点を当てたギリシア哲学
     紀元前6世紀ころ、まずイオニア地方を中心に、自然現象を神話ではなく論理的に説明しようとする哲学がはじまります。
     タレスやピタゴラスなどが問題にしたのは「万物の根源は何か」というテーマです。
     エレア派のゼノンなどもこの問題を追求しました。
     前5世紀には民主政社会の発達したアテネで、この自然よりも人間に関心が向けられるようになります。
     真理に対して相対主義をとるソフィストを批判して、人間が追い求めるべき絶対的な真理を説いたソクラテス。
     その師の説を発展させて理想世界イデアを解明したプラトンなどが有名です。
    〇アリストテレスは全問題に答えようとした
     そしてプラトンの弟子アリストテレスが、自然への関心と人間への関心をぜんぶ含めた哲学を大成します。
     論理的とはどういうことか、という方法論も含めて、彼はあらゆる問題に答えようと多数の著作を残しました。
     その結果、つづくヘレニズム時代とローマ時代は、アリストテレスの答えようとした諸問題をさらに深く追求する方向で、哲学が発展しました。
     アリストテレスが「人間の究極目標」とした幸福から、エピクロス派やストア派が。数学の実在性を批判したアリストテレスを再批判する形で、エウクレイデスの『原論』が。そして天動説を補強する形でプトレマイオスが、それぞれ登場しました。
    〇中世〜近世の哲学の流れ
     ところが、ローマ末期から中世にかけて、ヨーロッパはキリスト教世界が優勢となります。これによって、真理を求め世界の本質を説明する活動は哲学というものから信仰に取って代わられます。その間、イスラム世界にアラビア語翻訳という形でギリシャ・ローマの成果が蓄積されていました。
    〇信仰を体系化しようとしたスコラ哲学
     哲学は神学の下に置かれ、信仰を論理的に体系化することが哲学の問題となりました。その代表例がスコラ哲学です(トマス・アクィナスなど)。
     スコラ哲学では「普遍論争」が中心的な議論となりました。つまり実在論vs唯名論という論争です。アリストテレス学説を宗教的に解釈して“矛盾”をなくすように努力したのです。
     ー尊瀟世箸蓮⊃世簓疂廚六物にさきだって実在する、だから信仰こそ最優先だとする立場。
     ⇒L章世箸蓮普遍は存在せずただ事物につけられた名前にすぎない、だから盲目的な信仰よりも理性が重要だとする立場です。
     ところが、やがて交易が盛んになり大航海時代になりイスラム学問が流入し、貨幣経済が発達すると、後者の立場が優勢となります。
    〇近世に哲学は学問の中心に返り咲く
     つまりここでヨーロッパ人たちは、元の古代ギリシア・ローマの先達の思想に触れ、かつ商品経済をとおして現実を直視することで、天国よりも地上に関心を向けるのです。
     これが14-16世紀のルネサンス、そして17世紀の科学革命でした。
     イギリスでは、フランシス・ベーコンなど、経験や観察を通じて真理を得ようとする経験論が盛んになります。
     またフランスはじめ大陸では、ルネ・デカルトなど、疑いえない原理から真理を演繹しようとする合理論が盛んになります。
     こうして哲学はふたたび、自然および人間を追求する、知的活動の中心に返り咲きました。
     しかし、近世の自然哲学は、古代ギリシアと決定的に違う点がありました。それは「自然の本質は何か」という究極問題をいったん棚上げして、現象を量的に把握して数式で表そうとした点です。
    〇哲学から科学が独立する
     17世紀の末、ニュートンが『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』という本で、この新しい方法を大成します。数学を土台にしたこの新しい自然哲学はめざましく発展し、哲学のなかで巨大となり、やがて19世紀には哲学の一分野であることをやめて、「科学」という独立した学問となりました。
     結果として、数学を土台におかない従来の哲学は、人間に関心を向けることになります。特に人間が世界を認識するとはどういうことか、というカントの認識論から、ドイツ観念論が展開します。
    〇史的唯物論、功利主義、実存主義
     イギリス経験論と大陸合理論をたくみに統合したカントの認識論はその後、ヘーゲルによって受け継がれ、主客の対立をのりこえた絶対的な一者の自己展開こそ世界の本質だ、という絶対的観念論となります。そしてマルクスはこれを批判的に受け継ぎ、生産を社会や歴史の土台とみて人間活動が社会を作り出すという史的唯物論を唱え多くの学問に深く影響しました。
     また、人間の幸福を問題にした哲学としては、ベンサムやミルなどの功利主義。人間の社会を問題にした哲学として、コントの社会学などが発展しました。
     しかしこうした人間哲学の中から、普遍的な本質を追求することそのものに対する批判が出てきます。
     キェルケゴール、ニーチェなどの思想はのちに実存主義と呼ばれ、20世紀哲学のひとつの潮流となりました。
     また、唯物論と観念論を歴史的に研究し、当時のアインシュタインの科学との矛盾をなくす哲学の萌芽をレーニンが作り出しましたが、哲学の政治的利用で新自由主義や独裁の奴隷とされた時期があります。
     さらに、現在は不確定原理、不完全定理など物理、数学を反映した物質の運動論、生物再生の人間論など科学が哲学に及ぼす時代になっています。
    〇21世紀哲学
     哲学は|羸い凌棲悗硫舎佑箸覆蝓↓近世に科学と分離し、20世紀の独裁の奴隷となり、げ奮悗涼慮から発展する、など変遷はありましたが、人間とは何か、物質と運動の本質はなにか、という問いに答えようと努力を惜しんでいません。それこそ、私たちの臨む変革「哲学」でありつづけるでしょう。
     そのなかで、ロールズをはじめとした正義の解明と相克がつづくものと考えます。
     新型コロナ蔓延の時代に、この正義を考えることが「哲学」のはじめとなることを希望します。
      以下について「考える」ことで問題を提起したいと思います。
     Who matters ?  → 基本的人権の発展
       ⊃祁織灰蹈覆糧生源追及に意味があるのか? → 環境要因と個人
       新型コロナに感染すると罪なのか?  → 新しい差別との闘い
       た燭離哀蹇璽丱螢坤爐箸浪燭覆里?  → 人と情報の移動
       ➄コロナ関連解雇と資本の正義  → 資本と人権
    哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

    ノートルダムは燃えているか?

    2019.04.16 Tuesday
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       朝のニュースを見て驚いた方も多いと思います。

       

       パリのノートルダム寺院が大火事で、尖塔が崩壊しているシーンがテレビで放映されていました。

       周辺地域もあわせて世界遺産になっている場所なので、こんなことになるとは。

       原因の追究は当然ですが、それがどうあれフランス政府の管理が悪いとしかいいようがありません。

       

       この寺院は歴史的にも文化的にも精神的にも、フランスやヨーロッパのよりどころとなっていました。

       尖塔の崩壊が何かのエスプリの崩壊を象徴しているようで、ヨーロッパ人はもとよりアジア人も悲嘆にくれています。

       

       ノートルダム寺院はエッフェルタワーができるまでは、パリの象徴。いや、それ以上のものがあったと思います。

       ロシアで言えばクレムリン。イギリスで言えばビッグベン。韓国で言えば南大門。熊本で言えば熊本城!!。京都でいえば金閣寺。

       

       昨日、私は奇しくもビクトル・ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」を読んでいたところでした。

       しかも、ノートルダム寺院の火事が発覚する日本時間の未明だったので、何かの共通性を感じました。

       また、遅ればせながら劇団四季「ノートルダムの鐘」をミュージカルで見たいと思っていたから、なおさらでした。

       

       この小説はノートルダムに棲む謎の背むし男カジモドがその寺院の元で踊るジプシー女エスメラルダを好きになると言う話を政治的駆け引きを交えて展開しています。カジモド(Quasimodo)はノートルダム寺院の前に捨てられた障害者の孤児で、寺院の僧によって鐘つき男として育てられ、寺院内部しか知らずに育ったのに、自由で美しいエスメラルダを見て人間性に目覚めていくのです。

       今でも、ノートルダムに参詣する入口ではジプシーが列をなして“慈悲”を乞う姿が見られます。

       また、ひと昔前ですが日本のビールのCMでは「Voila・・・」と歌い、ジプシーの息吹を感じましたね。

       寺院の周りでは、「カジモド」、「エスメラルダ」という喫茶店や食堂もあり、その小説の影響とその元となった人民の状況を感じるのです。

       それもあって、日本では「ノートルダムの鐘」というディズニーアニメが流行り、新国立劇場ではバレーが好演され、出版物もさかんです。ヨーロッパでは「レ・ミゼラブル」より、人気があるのですが、日本ではそれを越すことはないので、常々不思議に思っていましたが・・・。

       三島由紀夫の小説「金閣寺」は、その炎上の原因を金閣寺の美に酔いしれた修行僧の耽美主義に求めています。

       ノートルダム炎上の原因は、そんな簡単にはいかないでしょう。「黄色いベスト」運動の過激主義と関係はあるのでしょうか。フランスの小説は、オペラ座にいる怪人や復讐に燃えるモンテクリスト伯のような、権力とは反対の範疇に入る正義と逆転劇を描き人気を博してきました。悲嘆くれつつ、何か、面白いことが起こりそうな予感がします。

       マクロン大統領はさっそく再建の声明を出していますが、それだけで済むのでしょうか。再建など金と最近の技術があればできます。ベルギーの学者が寺院のすべての場所をCGスキャンしているのですから、形は再建できるのです。しかし。

         西田幾多郎の「フランス哲学についての感想」を読むと、パスカルの言葉を借りれば、フランス哲学には単に l' esprit de géométrie「幾何学の精神」でなくesprit de finesse「繊細の精神」というものがあると述べています。

       幾何学的なノートルダムの崩壊で、この繊細の精神とも言える何かを失くしてしまわないか、怒りに震えています。

       

       などと、つらつら考えていたとき、あの寺院の中に「ピエタ」というキリスト教の彫刻があり、それが台無しになっているのではないかと、ふと心配になりました。

       遠い日本にいても、何か精神的なダメージがあります。そうだ、世界遺産はその歴史と壮大さによって世界の人々の精神を支えているのだ。

       改めて、世界遺産の世界的な防護を訴えます。

       

      p.s.

         ノートルダム寺院再建のために有名企業や著名人が100億円単位の寄付を申し出て、現在合計1000億円を超えているそうです。

       「カルメン」を書いたメリメは官僚だったときに、フランスの文化財建築物の一覧表を作ってその保護をしてきたという歴史がフランスにはあるそうですが、天災でもないのに、ボヤでなく壊滅的、いや灰燼に帰すという表現があたるくらいの火災を起こしてしまうところにフランスの文化行政の脆さが表れていると思います。

       ちなみに、「ピエタ」については、大丈夫のようでした。

       

       

       

       

       

       

      哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

      無謀の英雄・藤野発言をたたき台に

      2016.06.28 Tuesday
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        JUGEMテーマ:ニュース

         

         日本共産党の藤野政策委員長がNHK討論で「人殺しの予算」と発言し、物議を醸しています。

         防衛省の予算の概要をホームページでみると確かに防衛能力の向上等の整備費や人件費がほとんどで災害救助予算は内閣府の予算となっています。この「防衛」ということに関して、急迫不正の侵略に対する正当防衛ならば「人殺し」という言葉は当たらないと思います。権力者でなく自衛隊員を人殺しと傷つけていることになっていました。

         しかし、安倍内閣が進めようとしてる安保法制の具体化そのものは「集団的自衛権」の具現化であり、これは国際的にも国内的にも「侵略戦争」の口実であり、その意味で究極的に「人殺し」なのです。安倍氏やその支持者にはその透徹した諦観がありません。

         戦争を「人殺し」と言えない、または認めないのは時の権力者のごまかしであるというのは、歴史の教訓でしょう。

         統帥権をもっていた天皇は「人殺し」でないとは言えません。ただし、直接、人を殺したのは一兵士、BC級戦犯であるのは間違いありませんが、食料物資を供給できないにもかかわらず侵攻を命じ多くを餓死せしめ、大空襲や原爆の被害、地上戦で斃死させたのは、直接人を殺さなかった人たちの命令だったのです。

         何もそれは日本だけではありません。

         無差別殺人である大空襲や原爆を投下した事実を「人殺し」と認めないのは、当時の「戦争」という人殺し国際法の中での話で終わらず、現在も広島を訪問したオバマ氏をはじめ、その演説をみても同じです。

         このように、戦争を人殺しとは考えていないのが権力を持つ人たちの現状なのです。

          ところが、一般人はどう見ているでしょう。

         ヴォルテールは現実に戦争の惨状を見て平和を求め、トルストイはギロチンを見て人が人を殺めることに反対しました。その延長から彼の小説『戦争と平和』に、対ナポレオン戦争に参加した経験から戦争をなくすことを滔々と語っても全く取り合ってもらえない登場人物がいますが、私たちはその登場人物の目指す「平和」への道中にいます。

         私たちが人類歴史の到達点で、戦争とその予算の現実をはっきりと直視するなら、軍事費、防衛省予算は直接・間接に「人を殺す」予算であるのは間違いないのです。人類の平和の到達点としての日本国憲法第9条からみて武器(最新のコンピュータ搭載装備とそれを操る人も)は人を殺すのです。基地やミサイルを爆破しても最終的には人間を殺さない戦争はありません。ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、その他の地域紛争をみても異論はないと思います。

         「集団的自衛権」を認めるならなおさらと言わざるを得ないでしょう。自衛隊装備にないのは空母と核兵器だけだからです(日本は核兵器を一夜にして作ることができると、バイデン副大統領が中国で発言したことがニュースになっています)。自衛のための戦争というのはまやかしです。

         

         善意で解釈しても、悪意で解釈しても、藤野氏は自衛隊に対して「人殺し」と言ったのではないと思います。たとえ、自衛隊員が人間の形をした的に射撃訓練をしたとしてもです。

         全体と部分は正反対であることが多く、防衛予算(全体)が「人殺し」であって、自衛隊員(部分)は「普通の人」で一生懸命なのです。そこに矛盾はありません。

         その論理を説明しきれていないところに、藤野氏の政治家としての未熟さと配慮のなさがあります。

         しかし、これは哲学的問題であって一言では言い切れない問題なので、結局、「人殺し」という言葉は使わなかった方がよかったのではないか、と内心忸怩たる思いはあります(予算が人殺しの武器に使われることを批判しているにも関わらず、災害救助に懸命になっている自衛隊員を人殺し呼ばわりされたと歪んで伝わる恐れがあったのです)。

         日本政治においてこのような血なまぐさい発言は、それがよいかどうかは抜きにして政治倫理として、政治討論の場として許されない発言でした(ただし、アメリカではアメリカの敵を殺せといっても問題にはなりません)。しかも、日本共産党の方針とも違うというからたまげた政策委員長です。また、民進党との共同戦線を構成している中では、その保守派をいっそう離反させる発言でもありました。

         さらに藤野発言は無用な革命的言辞を弄して人民を扇動することで人気を博そうとする行為にも見えて、支持勢力の力強い民主的行動と意識を信頼していないようです。駅頭宣伝などで使い慣れた言葉が図らずも出たという気がしてなりません。

         これで直近の参院選では、党として100万票減らすと公明党は言いますが、批判があればあるほど、やむにやまれぬ「国定忠治」的な別の層からの100万票を集めることでしょう。

         そして、やがては将来のある時期に歴史的発言として"英雄"視されるときが来るでしょう。無謀だが人々を守るために立ち上がった安重根(アンジュングン)、阿弖流為(アテルイ)やシャクシャインのように。

         

         歴史は行きつ戻りつジグザグに発展する弁証法的存在なのですから。

         

         

        P.S.

          藤野氏はそのあと政策委員長を辞任しました。当分、極端は戒められるでしょう。与党は牙を抜いたと慢心していますが、殺傷能力の高い攻撃的武器購入をどう説明するのでしょうか?共産党は藤野発言で肉を切らせて骨をきったのですが、藤野氏は出血多量で政治生命を失いました。政策委員長どころか衆議院議員の地位も党内外からの批判で危ういでしょう。

         自民党も共産党の特攻隊に本質を突かれたので安保法制の実質的内容を隠すことになるでしょうね。

          安倍総理は、自衛隊の閲兵式で「あなた方は人殺しではありません。あなた方は人を生かし救助するために存在しているのです。」と訓示することでしょう。そうしたら米軍との共同はできませんし、安倍氏の狙う安保法制は実質的に終わります。

         チャップリンは「1人殺したら殺人者で、100万人殺したら英雄である」と映画作品の中で主人公に語らせています。この“訓示”をお忘れなくと言いたい。

         

         

         

         

         

         

        哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

        「嫌われる勇気」考

        2015.07.18 Saturday
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           これは韓国国内でベストセラーになっている本ですが、日本の哲学者たちの共著です。
           韓国の東亜日報の報道によると、2015年に入りって「韓国で最も売れている書籍の著者が日本人の岸見一郎氏である」として、同氏が古賀史健氏と共著した「嫌われる勇気」が、韓国国内の大型書店において、22週連続で総合ベストセラー本1位を記録しているようです。
           その事実を踏まえて「韓国人達は、日本の哲学者の目で世界を見ている」と報じています。
           
           「嫌われる勇気」を持てという内容だと思いますが、少し皮肉な結果になっています。
           それは、表題だけで考えると、安倍首相に「嫌われる勇気」を持てと言っているように見えるからです。
           韓国人に対しては、「嫌韓論」のような差別主義がまかり通るなか、自信を持てといっているようにも思えます。
           
           著者の一人である岸見氏は今はやりのアドラー心理学の専門家ですが、ウッィキペディアによると非常勤講師や病院勤務など実践を踏まえた苦労人のようです。決してアカデミックな権威ではない市井の研究者なのです。
           それが、権威主義をもって「哲学」とする韓国には新鮮に思えたのでしょうね。
           日本では、すでに権威主義を排した哲学とその思考が先行しています。
           そしてそれが世界を変えることも実感しているのです。

           これまでの哲学者は世界をさまざまに解釈してきたのだ。
           でも、必要なのはそれを変えることなのである。

           これは、哲学を知る誰もが認識している「フォイエルバッハのテーゼ」なのです。アドラーもこれと同じようなことを言っていますね。
           それがそうであるとも知らずに、実は国民の多くは実践しているのです。

           たとえば、国会の前でのデモやブラック企業告発などです。


           アドラーの本質については、詳しく知りませんが、面白いところは学歴コンプレックスをほぐしているところや賞罰教育批判でしょうか。


           p.s.

            ソウルを代表する大型書店についてホテルの受付に聞きますと、韓国で書店と言えば真っ先に「教保文庫」だと言われました。中でも市庁エリアにある「教保文庫 光化門店」が一番大きいとのことなので行ってみました。
           私からすると「普通」な感じの書店でしたが、日本と違うのはだらしなく床に座って読んでいる姿です。
           また、全国に20の支店を持つ永豊文庫(ヨンプンブンコ)の鍾路(チョンノ)本店も訪れました。ここも床に座って読んでいます。
           この本屋さんで、韓国語版『共産党宣言』を購入しましたが、韓国語版『資本論』は置いてありませんでした。やはり、間違った反共主義が強いのかもしれません。


           

          哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

          現在に生きる「パンセ」

          2012.06.16 Saturday
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            消費税、大飯原発、さしこ・・・
            色々と考えさせられる今日この頃ですが、
            このご時世にパスカルの『パンセ』で有名な「人間は考える葦である」ということをどうとらえるか、という質問がきましたので、そのやりとりを紹介します。


            A  あのね、パスカルについて どうなの?パスカル「人間は考える葦である」=パンセ  あなたはどう評価しますか?
            B  パスカルは数学や物理にも貢献した異端派のキリスト教者ですから、頭は唯物論で足は観念論ということです。その立場から言うと、「考える葦」とは、人間みずからの弱さを自覚しつつ真理を求めるという点では唯物論的です。
            一方で、権力に従属してそれから脱しえない小さな存在だと確信してしまい、この矛盾を解決するためにはキリストに救いを求めるというところが観念論です。つまり、「考える」=唯物論、「葦」=観念論という立場を見事に表した点で偉大さがあるのです。

            A  根は観念論者ということ?
            B  根は科学で解決できないと切り離して考えるところが、観念論なのです。
            A  ふーむ。パンセを読もうかな、と思っててね。どういう見方で読むのが一番いいかなって。
            B  それより、ヘーゲルを読んだら?
            A   ○| ̄|_ =3  プッーげる
            B  下品なことはやめなさい。
            A  はーい。だって、ヘーゲル、ハードル高いんだもん。
            B  パンセもそうだよ。
            A なんか簡単に読めるヘーゲル入門とかないの?
            B  鰺坂さんの「ヘーゲル論理学入門」
            A  鯵坂さんかー さがします!
            B 彼はその分野の大家です。「たいか」です、「おおや」じゃないよ。有斐閣新書でかつて出ていた。
            A いま、アマゾンでみた。中古品が、すっごく高い!orz。ところで、ここに出ている見田石介って?
            B 中古はプレミアがつくほど競争率が高いということで人気なのです。私は1000円で手に入れました。新潮文庫の「パンセ」が手元にありますが、これが読みやすいのは箇条書きになって日記的だからです。見田氏の全集はほとんど手元にあります。「資本論」の論理学を日本で初めて分析した大学教授。もちろんヘーゲルの研究者です。見田石介氏は鰺坂さんの先生でもあります。
            A うん。一番安いので中古で4000円でした。
            B その人の講義録「ヘーゲル大論理学研究」4巻はヘーゲルの悪いところを捨て現在に活かそうというところから書かれています。一度は読みましたが、なかなか難解です。
            A ふむーん。やっぱ鯵坂さんか。
            B アマゾンで中古で原価よりも高くなっているのはあまり見かけないでしょ。
            A うん。
            B 悩ましい。
            A 買えないからね、なかなか。
            B そうだね。
            A ほんと、こまるー。学びたいことが学べないってのがね。。。
            B パンセはあまりまじめに読んだことないけど、今パラパラめくると、「私はデカルトをゆるすことができない」と書いてあり、・・・・
            A  ふむふむφ(゚Д゚ )フムフム…
            B なぜなら、彼にとって最初の一撃以外、神は必要としていないからだという意味のことを言っています。「デカルト、無用にして不確実」とも言っています。
            A ほほうε-(´∀`*)ホッ
            B 「無神論は精神の力を示している、がある程度までのことにすぎない」と
            A うん??? ある程度まで、て? (´ε`;)ウーン…
            B 「モンテーニュは間違っている」、「王の権力はその根底を民衆の理性と愚昧とのうえにもっている」
            A あー難解゚(゚´Д`゚)゚ちんぷんかんぷん。
            B 「王の権力・・」というは当時としては正しいかなと思いますが、政治経済的な背景について分析されていないところが、当時の哲学者の最大の弱点なのです。
            A ああ、そうか!
            B 世界史をちっよっと学べば大丈夫。新潮文庫の2巻目は宗教につして書いてあって、キリスト教についてある程度知識がないと分かりにくいかな。
            その点、一つの事実でも総合的に捉える視点を与えてくれたのはヘーゲルです。 ですが、客観的観念論という、神ではないが絶対者の自己展開が世界になっているという点で中世からは完全に隔絶した哲学でした。パンセはいい感じですがヤッパリ神がすべてを動かしていると考えたのです。
            その神の法則が物理や数学だったのです。
            ヘーゲルは絶対者が動かしているその法則が物理や数学だけでなく美学や法学、哲学、歴史にまで及ばせたのです。一つだけ苦手だったのが経済学分野だったのです。
            ところが、現在では神がいなくても、(分)科学が発展し、その行動基準である法則や哲学が発展している。また逆に、哲学の発展が科学を動かしているという関係になっています。
            ヘーゲルが苦手だった経済学に総合的メスを入れたのがマルクスだったというわけ。
            A ヘーゲル入門!
            ていうか、鰺坂さんのヘーゲル入門の再販を求めてる人、多いと思うよ
            B ただ、パンセはキリスト教的弁証法とも呼ばれています。それは異端派だったからだね。
            A なるほど
            B キリスト教を中心に置いたパスカルと絶対者を中心に置いたヘーゲルは弁証法ではつながっています。
            A なるほど!膝を叩きます。
            B そしてそれが科学的精神として現在に大きくうけがれているのですね。
            A うんうん
            B 「葦」のように人間は弱い存在だけれども、その存在理由について問えなかった理由があります。
            A  それはなぜ?
            B 「弱い」「存在」と言った場合、「弱い」形容詞と「存在」名詞に分割できます。その「弱い」にしか焦点を当てていず、その克服をキリストに求めているだけなのです。
            A ああ、そうか
            B 「存在」に光が当てられなかったのは、歴史的限界があると見ています。「生存権」という思想がなかったということもあります。あたりまえだということを前提にしていたからです。それは、パスカルの身分がそうさせていたのでしょう。
            B 時代の限界があるんだね。
            A うんうん、わかる。
            B もし、生存を問題にするなら、生殖などキリスト教に抵触する問題になったのですよもきっと。
            A こうやって会話していると、いろんなものが深まります。
            B それが弁証法、ディアレクティクです。当時の貧しい人々ことを「考える葦」だとは思っていないと思います。身分のあるものについてだけ評価した言葉だということを忘れて語れないはずです。
            A そうね。階級の限界があるね。
            B アテネの「市民」は奴隷ぬきの上流階級のことでしたね。それと同じ、ちょっと範囲が広くなっただけです。そういう意味でパスカルの「葦」は我々とは違うのです。現代人は自分のことのように惹きつけて考えがちですが、フランス人口の10万分の1の上流階級、セレブのことと考えれば、われわれにはあまり意味のない格言なのです。
            A  なるほど。理解がふかいね。
            B そうでもないよ、簡単。セレブの切るドレスと我々が着るドレスは同じはずない。だいたいドレスと言えるようなものはもってないだろ。
            A うんうん。
            B ましてや、生活保護とか、「苦役列車」の人とも関係ない。
            A ところで、その「苦役列車」、読んだ?芥川賞の。
            B つまり、「葦」の土壌があるだけましだ!!それが今崩れているのに、何考えているか??という反面教師的格言ととらえればいいのです。
            A そうかー
            B むしろ、その映画を見て、9月の卒業後の前田敦子(映画に出演した)を見たいです。
            A (メ・ん・)?
            B ついでに言うと、「さしこ」は左遷されられました。
            A え?さしこどうしたの?
            B 芸能通のくせにぃ。
            A ((;゚Д゚)オレ、シラナイ
            B さしこは、数年前禁止されているのに男と付き合っていたたことが週刊誌に暴露されたため、オールナイトニッポンの生番組中に秋元がHKTにイケと言われれ涙ながらに 承諾したのです。
            A へえ
            B 4位から一転HKTです。博多に住むのですって。
            A (´・ω・)カワイソス いつ?
            B 芸能ニュースはこればかり。昨日かな。消費税で民主・自民・公明の合意を隠すためでもある。
            A ほんとにあれだね、人間的な扱いをされていないね。消費税にしても大飯原発にしても!AKBにしてもヽ(`Д´)ノ
            B そうです。だから、こういうときに、「人間は考える葦」であると言ったら、権力に負ける存在なんだなぁ、そういう事態になっても仕方ないなぁ、というようなものなのです。橋下市長のように反原発といいながら途中で折れてしまうことを肯定する哲学になります。人間てよわよわしいものなんだなゃ、とかね。
            A そうだね。行動できるのが人間だものね。長い目で見たら権力を克服して歴史が続いているものね。
            B そういうふうに、パンセは使うのですよ、わかったかな。反原発や消費税増税反対で一時的に折れても必ずや巻き返せるし、むしろそういう人の方が多いという事実を見ないと、くよくよしてしまいますよ。
            A わかりました。ありがとう〜。

            ブックオフオンライン
            哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

            「哲学の歴史 10 」を読む! その1

            2011.01.29 Saturday
            0
              評価:
              ---
              中央公論新社
              ¥ 3,675
              (2008-03)
              コメント:縁遠い哲学者が人の子として見えます。

              JUGEMテーマ:学問・学校


                どこから始めてもよいのですが、中央公論社のシリーズ『哲学の歴史』を中心に西洋哲学についても勉強しようかと思います。
               中国哲学については、少し触れましたので、学習と振り返りを含めて、多面的に考えて行こうかと考えます。なにしろ「愛」という能動性が哲学だからです。
               「砕け散ったロゴス」の再建に向かうというのが、この配本のテーマです。
               ニーチェからハーバーマスの20世紀が今回の歴史期間です。
               まあ、それまでのデカルトからヘーゲルまでは「理性の時代」だったのですが、理性=神または絶対者というよりどころを失ってしまったのが、19世紀末でした。
               それは、「理性の危機」とも呼ばれ、後にヴァレリーが「精神の危機」、フッサールが「ヨーロッパ諸学の危機」と言ってその危機に立ち向かうようになります。
               19世紀末は「物理学の危機」「数学の危機」とも言われた時代です。
               理性があっても、戦争と飢餓や差別・抑圧があって解決できないではないか。おまけに、デカダンではないか。これに対抗できる精神がないのか、という模索の時代でした。
               「物理学の危機」はアインシュタインやレーニンが解決し、ボーア、ハイゼンベルク、シュレーディンガーへ発展しました。
               「数学の危機」は、ヒルベルトやゲーデル、リーマンなどに発展しました。
               つねに、発展して矛盾を解決するにあたって「現実」を前提に法則を作り直し、それまでの「法則」を包含してきました。それを「否定の否定」とも言います。
               「理性の危機」はどうやって克服してきたのか?実はまだ、解決していない問題だと考えます。
               戦争や飢餓は、実は「理性」が問題なのではなく、「政治の危機」だったのです。
               本当は胃がんなのに精神に異常をきたしていると判断するようなものです(痛すぎて精神異常をきたしたように見える場合もありますから)。
               「理性の危機」ではなく、そう考えるところに実は「危機」があったのです。
               この本では20世紀を「戦争と革命の世紀」「科学技術の世紀」と認識することを肯定しているようですが、いやいやそうではなく巨大な民主主義の前進の世紀との認識にたつと違う哲学も見えてきます。
               したがって、哲学の在り方も「胃がん」を直す方法を模索すべきでした。
               ところが、「胃がん」の進行は放置して、「精神の異常」を治すべく努力したのが、20世紀の“主流”哲学なのでしょう。
               終末治療のモルヒネがある程度肯定されるように、これらの“主流”なる哲学もある程度必要であったことと思います。しかし、「胃がん」とわかったら早期治療、患部切除、放射線治療、薬物療法という具体的療治をするのが普通です。そのこと抜きに議論してきたように少なくとも私には見えます。
               「このうえなく完璧な無限定性」からの出発が、フッサールのめざす哲学でした。それまで「理性が獲得してきた認識の成果をいったんリセットし、それをゼロ地点にもどして純化することにより理性の本来的な権能、すなわち世界を構成する超越論的機能を自己吟味する」のです。
               これは私には、せっかく人類が進歩して下着をつけるようになったのに、いきなりイチジクの葉で陰部を隠して「これが人間だ!」とテレビで言うようなものに映ります。間違いなく人間なのですが、お笑いと同じです。笑いに治癒力があるとしても、胃がん克服とは筋違いです。NHKの「龍馬伝」に出てきた吉田松陰のような天才バカボン性を感じます。
               フッサール自身は次男を第一次世界戦争でなくします。ドイツのフライブルク大学の正教授として迎えられ、その助手の一人はハイディガーです。ハイディガーはのちにナチスに入党します。

              つづく。

              哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

              『若者よ、マルクスを読もう』って?

              2010.08.29 Sunday
              0
                評価:
                内田 樹,石川 康宏
                かもがわ出版
                ¥ 1,575
                (2010-06-18)
                コメント:これをよめば、現在はマルクス抜きで考えられないのだ!!

                内田樹&石川康宏さんらが書いている本のタイトルです。
                図書館の“新刊”の棚で見つけました!でも、6月20日の発行だから、もう2ヶ月以上経っています。
                導入のまえがきをさっと読めば、かなり哲学的な中身を高校生に説明しようとしているのがわかります。 かなり根源的なことから説明するのは、野球を知らない人に言葉でボールとストライクを解らせるようなものである、との喩えはまさにピッタリだと思います。
                資本主義の現実について知らない人に、言葉で説明するのは困難を伴います。 それは少しでも人にプレゼンをしたことのある人なら痛切に感じる事柄でしょう。
                この本は、特に、高校の読書100選には必ず入る『共産党宣言』や、ちょっとマニアックな『ユダヤ人問題によせて』、『ヘーゲル法哲学批判序説』、哲学を学ぶ人なら少しは知ってる『経済・哲学草稿(手稿)』、マルクスとエンゲルスの心を一つにした『ドイツ・イデオロギー』について、二人の往復書簡で意見交換して、分かりやすく深めています。
                目次を読むだけでも、どういう言葉で語り合ったか、どのように深めようとしているのか?を理解するメタ情報を得ることができますね。

                ところで、書簡!が何かわからないので、メールのやり取りにした方が良かったのではないかと思います。内田さんが武道家で、日本刀を喉元に突き付けて、石川さんを迎えた!って下りはギョッとしましたが、命懸けの編集行動には恐れ入ります。

                さて、共産党宣言の項目ではその「綱領」としての説明があります。日本の政党も各党に綱領があり、農協や生協にもあります。
                でも、まだ、綱領を網領(モウリョウ)と読み間違えたり、そもそもナンなのか避けて通りますから、英語のプログラムと置き換えてはどうでしょうか。
                マニフェストと言うと、民主党がイメージ悪くしたので、言いにくいのですが、政党の考える長期的な社会プログラムとでも言ったほうが良いでしょう。
                また、共産主義革命とは?が5分野に別れて説明されています。中でも、押し付け革命論をとらない!点が多くの人に理解されていないですね。

                内田さんの書簡は、それに対して、少し相対的な真理論に聞こえますが、さておき、内田さんはかの有名な哲学者レヴィナスの弟子!だったのです。
                彼はアカデミック・ハイになることを若者に経験して欲しいそうです。マルクスを読むと「自分の頭がよくなったような気になる」そうです。
                共産党宣言を読んで、最後に友愛、「団結」で終わっている点は、他の「革命家」と違う!
                その意味で、他の革命家に卓越していると感想をもらしています。
                ……と続きます。

                哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                ジジェク「ポストモダンの共産主義」感想

                2010.07.25 Sunday
                0
                  評価:
                  スラヴォイ・ジジェク
                  筑摩書房
                  ¥ 945
                  (2010-07-07)
                  コメント:なんでこれが平積みか?

                  JUGEMテーマ:学問・学校
                  日経新聞の二面に堂々と宣伝されていたので、驚いて読んでみました!


                  曰く、…
                  社会主義はもはやコミュニズムの不名誉な「低次の段階」でなく、真の競争相手にして最大の脅威なのだ。

                  曰く、…
                  09年2月16日付Newsweek誌「われらはみな社会主義者」…はしごくもっともだ。経済リベラリズムの砦たるアメリカでも、資本主義は自らを守るために社会主義を再創造している。

                  曰く、…
                  歴史家のエリック・ホブズボームは最近発表したコラムにこんな題をつけた−−「社会主義は失敗し、資本主義は破綻、さて次は何だ?」答えはコミュニズムである。

                  曰く、…
                  1950年代の共産主義シンパの知識人は、2つの原則に従っていた。(略)「反コミュニストは犬である」。第二の原則は、知識人はけっして、どんな状況においても、共産党に入党してはならないこと。(略)シンパは精力的で、動きが速く、党を追い抜く能力があるのにつねに後方にいて実際はけっして追いつけない。
                  (略)入党か敵対かだ。

                  曰く、…
                  反コミュニストごっこは、もうおしまいだ。そのことは不問に付そう。もう一度、本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!


                  と、こんなふうにコミュニズム論が続きます。社会主義と共産主義の違いを改めて発見したようです。
                  ここには、3つの間違いがあります。
                  ー匆饉腟舛失敗したのではないこと。「社会主義」という何物かが崩壊したのです。
                  ⊆匆饉腟舛閥産主義の定義はマルクスらにとっては同じだったことの認識が欠如していること。
                  2K修併駛楴腟舛魑制するのは「資本主義」政府であること。

                  この論考に決定的に欠けて無視されたのは、生産手段の社会化が、社会主義・共産主義の決め手であることに触れられていないことです。
                  数ある参照文献の一つです。けっして参考文献ではありません
                  哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                  マイケル・サンデル正義論

                  2010.06.21 Monday
                  0
                    評価:
                    マイケル・サンデル,Michael J. Sandel
                    早川書房
                    ¥ 2,415
                    (2010-05-22)
                    コメント:金持ちが生き延びるための哲学。所得再分配からの正義論。絶対的貧困をどうなくすのかわからない哲学なんて!!役立たず。
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                    図書館で借りるんじゃなく、買って読んだ方がいいぞ。何回も読むために。
                    ちょっと待て
                    a foreigner reader living in Japan

                    JUGEMテーマ:学問・学校
                    安部、福田、麻生、鳩山。孫、子、孫、孫!元総理と総理の関係です。
                    自民、自民、自民、自民!彼らの政治の本籍です。
                    これは何が正義か?を考えるうえで重要な色分けです。それは彼らの政治哲学が同じだからです。
                    それを完全否定はしないとしても言わばユークリッド平面を泳ぐ政治の域を出ず、現実社会を反映するリーマン宇宙には飛び出せない。
                     今回のテーマであるサンデルの講義は、ハーバード大学でもっとも履修者数が多いと鳴り物入りで宣伝されています!これも、「多い」とか「好評」とか「ベストセラー」とかの「数」のユークリッド平面にいるような気がします。
                     いつも「多い」ことが「正しい」ように喧伝されることにモドカシさを覚えます。何故って、過去の教訓から「正しい」ことは必ずしも「数」と比例せず、むしろ反対になっていたからです。
                     だからサンデル正義論も最初から、気を付けて読まねばなりません。
                     幸福、自由、美徳の分配に正義へのアプローチがある! 分配論からの幸福論ですね、この哲学は。結論から言うと、分配の前に生産があることを忘れています。
                     ただし、サンデルは哲学者ノージックの言葉を引用しつつ、再分配の“愚かしさ”を説いてもいます。 慈善寄付の強制は自由に反するという考えからです。そして、たとえば、NBAの高額所得者、マイケル・ジョーダンに課税を強化して分配すれば、彼の自由権を奪うと言います。
                     そんな考えをもとに、カント、ロールズ、アリストテレスなどの正義論を検討して、不公平を生む源泉となった「先祖の罪を償うべきか」と問います。
                     ここには、安部元首相の慰安婦に対する日本軍無責任論を一面擁護する論調が含まれていてかなり不安になってきます。
                     奴隷貿易の謝罪を求められても、たしかに困ります。いつから、補償しなくてはならないのか。
                     人類は階級闘争の歴史であると認めれば、富の偏在と差別と搾取は同時に存在し互いに存在理由になっているのです。だから、補償!という分配論で歴史を語ると、堂々巡り、螺旋的な原因追及論に陥ってしまいます。
                     まずは、今の絶対的貧困を無くすこと。この議論がなされていないところに、サンデル講義の最大の欠陥があります。政治的道義的謝罪は別であるという認識がないのはいかんともし難い。 アメリカは世界最大の不平等国なのに、恵まれない人への慈善に留まっていることを、どう哲学として考えるかに答えていないのです。
                     貧困ではあってもある程度の再分配があれば善良な生活だと理論付けているような雲にまく議論ではないでしょうか。 オバマ大統領を「富の拡散をもくろむ社会主義者」と呼んだ人たちにどう説明するのでしょうか。
                     彼は、貧富の差があまりにも大きくなると、アメリカの連帯感が損なわれると言います!富裕層は公共サービスを利用しなくなり、税金で支える気が無くなるからだというのが理由です。
                     だから「共通善」が必要と説きます。金持ちと貧乏の間の“共通善”を!
                     この無理難題な考えを実現するのがある種の道徳であり、そんな政治が必要だ!って言うのが、ハーバードで人気が高い講義なのです。貧乏プラス大金持ち÷2??
                    どうなっているのでしょうか?分配の前の生産について語ってほしいです。
                    インテリゲンチャン、しっかりしてくれ。
                    ( ̄□ ̄;)!!
                    日本ではそんな議論さえもありませんが。(T_T)/~


                    追伸  
                     その後、来日して東大で講義。NHKのインタビューにも答えていますが、原爆投下問題では聞いてられないくらいの答えでした!!!
                     アメリカに対してしたことに謝罪し、原爆投下がなければもっと両国の人間が死んでいた!!という従来の論を展開し始めたのです。
                     一般的に人を殺害する戦争については人道として否定すべきですが、真珠湾奇襲については軍事施設への爆撃だったはず。宣戦布告の遅れについてはあれども、不戦条約が存在するなかでは、その効果についても薄いはずなのです。
                     国際問題の解決に武力をもってする世界にあっては軍事施設への攻撃はやむを得ないのです。
                     しかし、広島・長崎への原爆、東京大空襲を始めとした全国への空襲、沖縄上陸などは当時の戦争法でも禁止された「無差別攻撃」だったのです。
                     “世紀の哲学者”が、このような認識なのは嘆かわしいと思いました。また、そのような認識から繰り広げる「正義論」がいかに虚しいか、気付かないのもフシギな状況です。
                     
                     
                    哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                    超訳「ニーチェの言葉」分析-その1

                    2010.03.22 Monday
                    0
                      評価:
                      ---
                      ディスカヴァー・トゥエンティワン
                      ¥ 1,785
                      (2010-01-12)
                      Amazonランキング: 35位
                      気付きを得るにはよいきっかけの本
                      こういうのも悪くない
                      読みやすくてよい

                       ニーチェなんて読むもんじゃない、と思ってました。それはナチズムの思想の根底だからと“言われていた”からです。
                       ハンガリーのマルクス主義者ルカーチが、そのようにナチズムを分析したことが、発端のようです。
                      (ρ_-)ノ
                       これはマルクスが宗教はアヘンだ!と言ったら、たちまち共産主義は宗教禁止だとジュッパヒトカラゲするのと似ています。
                       それにしても、最近は「超訳」というのが流行ってます。
                       「超訳資本論」「超訳古事記」…!
                       訳者の独断を許す内容ですが、著作権が切れている物の特権でもあり、難解な古典への誘いになります。 カントやヘーゲルのように体系だっていないニーチェの思想がどんなものか知りたいならば、この本の最初の言葉を読めば、ニーチェの世界に引き込まれます。
                       ただし、注意しなければならんのは、何故その言葉に至ったのか、を考えることです。
                       シェイクスピアやアインシュタインも珠玉の言葉集などが巷に流布してますが、それらも同じ態度で臨みましょう。
                       そうでないとマーフィーの法則になりますね。つまり非科学で誰にも通用しない、逆に通用するように見える「星占い」「おみくじ」です。
                       「自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる」(力への意志)誰だってそうですよ。どうすれば「尊敬」できるのか、かかれてません。
                       「自分の評判など気にするな」(人間的な、あまりに人間的な)
                      自己中や空気読めない現象を食い止めるためには役立つ言葉でしょう。(о^∇^о)…こんなふうに続くのですよ。 どちらも、「大物」に育つでしょう。「分析」は続く。
                      哲学のラ・フォンテーヌ|-|-|-|-|by ネコスキイ
                       
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