大阪自民は共産以下!?

2018.02.06 Tuesday
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     先日の衆院予算委員会での維新の会議員のなんとか言う人の発言を要約することこうなります。

     他にも、共産党がデマでも言うように見下げたり、あまりにも酷い発言をしています。

     テレビで現場を見て抗議した人も多かろうとおもいます。

     こんな議員を選んだ有権者と党の資質が問われます。

     

     案の定、何とかという党の重要な役職を解任したと、維新の党が発表したようです。

     こういう言い方を子どもたちも見ているということをよく考えて発言訂正をするところまで、追い詰めないといけません。

     

     ,箸いΔ、「議員辞職」を求めます。

     

     共産党が他党を攻撃することは多々あるけれども、それはビラや街頭であって国会では質問に徹しています。

     その場で理由もなくデマ攻撃することはないのです。

     それは共産党支持者ではなくとも知っているはずです。

     

     ところが言論の場で、議事録が残る形で意図して発言すとなれば、憲法を否定した国会議員としての自主的辞職が求められるのです。そうでないと、国会での発言の自由を憲法で認められている特権をもっている国民代表としての責任を問われるのです。違憲発言であることを自覚してください。

     また、日本の言論の自由の歴史に禍根を残すことになるからです。

     

     (注)日本国憲法第51条 両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

     

     △覆里如当該部分の議事録を削除をもとめます。

     

     また、議員と党に対して、新聞・テレビ等での謝罪を要求します。

     

     これは、全政党および無所属が同一歩調をとらないならば、後日の攻撃を許し、自らの言論の自由を失うことになると考えるべきです。

     私も直接テレビで見て、いつか来た戦慄すべき時代が到来しつつあることを直感した大事件でした。

     

     「自民は共産以下」というなら千島返還要求の島数だという笑いごとにしか思えません(笑)。

     

    文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

    心の不倫は裁けない!

    2018.01.23 Tuesday
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      JUGEMテーマ:芸能

       

       最近、芸能界、政界、アナウンサー界で不倫は命取りになっていますが、例外があります。

       トップ階級に君臨する人は例外です。のぞき趣味の週刊誌さえ追いません。

       

       不倫は刑法上の犯罪ではありませんが、民法上の不法行為にあたります。

       民法上違法であるからといって、刑法上もただちに違法となるわけではないという違法多元説さえあるのです。

       これは当事者間の問題として処理するものであって補償等不服ならば裁判または話し合いで決着するのです。

       

       組織原則に肉体的不倫を処分の対象としている会社・団体があったとしても、それは自治原則、私的自治の範囲として許される存在なのです。

       ところが、小室哲哉氏は自分のけじめとして芸能界引退を発表したのです。

       会社や国家など関係ないのです。

       

       これは「社会の空気」に裁かれた感があります。

       トップ階級は例外があると言いましたが、小室氏はその例外の例外です。

         性交渉がなかったという真実から言うと、それを受け入れたのです。

       

       このことは、「社会の空気」を忖度したと言い換えてよいでしょう。

       心の不倫を裁くのはよくないことです。小室氏はこの禁じ手を自ら侵してしまいました。

       社会に大きな禍根を残すことになるでしょう。

       

       トップ階級の不倫として有名なのが、アンナ・カレーニナとその夫カレーニンを愛した伯爵夫人です。

       こちらは、階級とその腐敗としてとらえなくてはならない問題でした。

       

      文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

      マツコの「時代閉塞の状況」

      2017.02.07 Tuesday
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        JUGEMテーマ:ニュース

         タレントのマツコ氏は、ある番組で、

        「男性保育士による女児の着替え問題やアルバイトの病欠罰金問題、音楽教室からの著作権料徴収問題などが取り沙汰される現状に『もうみんな限界に来てるんだろうね、いろんなものが』と閉塞(へいそく)感を指摘し、根本的な議論が必要だと私見を述べた。」

        と報道されています。

         

         

         この時代感覚は多くが共有できる感覚だと思います。

         国債で大学の授業料を無償化することと抱き合わせに憲法「改悪」に持ち込もうとする自民党の思惑も、この時代閉塞の状況を表現していると思います。

         

         マツコ氏がこの教育の無償化についてどう考えているかについての言及はありませんが、「根本的な」議論として税金の議論をあげていることには共通するものがあります。

         もっと多くの国民が「人殺し」でない税収のあり方や支出の方法をある程度の良識をもって議論してほしいものです。

         毎年の脱税摘発額が300億円とか、タックス・ヘイブンに1年分の国家予算があるとか、特別会計に自由にできる埋蔵金が眠っているとか、法人税が少なすぎるとか、そういう具体的議論が積み重ねられてもいいと思うのです。

         国債といえば、日本の国債もそうですが、昨今話題の「為替操作」でアメリカ国債の100兆円が買われているという事実とかは是非、池上彰氏とマツコ氏との対談などでいじっていただきたいと存じます。

         

         そうだ!! 池上彰VSマツコ デラックス対談 なんていう企画も面白いと思います。

         石川啄木は『時代閉塞の状況』で日本の先行きを憂いましたが、マツコ氏の感覚でぜひ最近の閉塞状況の問題を提起してほしいと考えます。

         www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/814_20612.html

         

         

         

         

        文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

        ングギ・ワジオンゴの夢

        2016.10.13 Thursday
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          JUGEMテーマ:読書

           

           ングギ・ワジオンゴ氏。

           今年はノーベル文学賞の第一位に予想されています。

           村上氏は2位予想。文学賞はとかく「抵抗者」に与えられがちになっています。

           その方向性から行くと、やはりケニアのングギ・ワジオンゴに与えられそうです(間違っていたら御免)。

           だだ、どういう活動をしてきたかがあまり日本に伝わってきません。ネットでも、著名なアフリカ独立運動家3人分を文学で一人でやりあげた人というくらいです。

           一度だけ彼の講演を直接聞いたことがあります。また、その後、直接会って挨拶した記憶があります。

           そのとき、政府の弾圧にあって腕や足に傷があるところを見せていただきました。

           あの時なぜ、政府がこんな普通な人を傷つけるほど弾圧するのか、意味が分かりませんでした。

           まだ、自分が政治的にも精神的にも成熟していない時期だったのでしょう。

           『Burning Grass』(英語版)、『一粒の麦』などを読んでももう一つ意味が分からないかつての自分でした。

           

           あれから三十数年余、こんなノーベル賞候補になっているなんて夢にも思わなかったです。

           蔵にしまってある図書をまた引っ張り出して、読んでみてみなさんに報告しますね。

           

           

          P.S.

            ・・・君とよくこの店にきたものさ

              わけもなくお茶を飲み 話したよ

              学生で賑わった この店の

              片隅できいていたボブ・ディラン (ガロ『学生街の喫茶店』)・・・

           

           現代の吟遊詩人ボブ・ディラン氏がノーベル文学賞を受賞したと聞いたとき、電気ショックが走りました。

           しかし、ムベなるかなでもありますね。賛否両論ありますが、文学賞のフィールドが広がったと言わざるを得ません。

           選考委員も若くなったのかもしれませんし。

           この調子なら、ラップなんかもノーベル文学賞になりそうです。文学賞を目指す人は少し軸足を移して考えてみるべきでしょう。

           ケニアのングギ氏もシリアのアドニス氏もいいですが、日本国憲法9条の歌もいいと思います。

           

           

           

           

           

           

          文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

          祖先がアイルランド 序章

          2015.06.28 Sunday
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             ケルト音楽を聴くと心がなごみます。
             祖先がアイルランド人のイギリス人と知り合いになり、交流しています。
             
             かつて、アイリッシュ・バーに入り浸りの私は、あの農家住宅を擬した造りのバーが大変お気に入りなのです。
             溜池山王のドコモビルの地下にはダブリナーズというアイリッシュ・バーがあり、外人が出入りする大変フランキーなバーがあります。
             ここで、一杯やっていると「モダン・アーバン・ルーラル」な気分に浸れて、フィシュ・アンド・チップスとギネスが超うまく感じます。
             
             最近、裏山の筍があまりに出すぎるので、知り合いになったイギリス人に収穫に来ていただきました。
             ただし、祖先がアイルランドということなので、アイリッシュと言えませんが、彼はノスタルジーほ感じているそうです。
             
             司馬遼太郎は『アイルランド紀行』で、『風と共に去りぬ』の最後に「タラへ帰ろう」というスカーレット・オハラの言葉があるが、それは元々アイルランドの「タラ」であって、その意味は「大地」であると述べています。
             ジャガイモしか取れないような貧しい大地にもかかわらず、やはりそこがアメリカ移民の原点だというのです。
             
             そういう文学を想起しながら、そのイギリス人をみるとなんだか愛おしい気持ちになりました。筍をアイルランドでは食する文化はないようですが、貧しき大地という所は同じ原点なんだと思います。それは搾取された農民なんですね。

             ダブリナーズは、新宿、池袋、渋谷、赤坂、品川にあるようです。   http://www.dubliners.jp/

             

            文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

            『火花』を読む

            2015.05.13 Wednesday
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               何かと話題になっています、お笑いコンビ・ピース又吉氏の小説『火花』を読みました。
               三島由紀夫賞にノミネートされています。ゴールデン・ウィークの新幹線の中で読了してしまいました。
               どこの書店に行っても平積みになっているので、よほど売れているのでしょう。
               雑誌「anan」の表紙にコンビが出ています。
               又吉氏の方は、なにかこう、いつも何か考えているような風貌ですね。
               少し撫でれば弾けそうな感情をもっている繊細があるのでしょうか。


               内容は読んでみてのお楽しみのため、ネタバラシはしませんが、小説の通奏低音として、お笑いに賭ける情熱と先の見えない哀調があると言っておきましょう。

                特殊社会の法悦のような生き方と現実社会の矛盾という表現もできます。この小説は。
               
               
               ピース綾部氏が言うように、これから彼らの漫才が「ボケと突っ込み」ではなく、「先生とアシスタント」形式に激変していく妙味を味わっていきたいと考えます。


               又吉氏といえば、NHKの家族のヒストリーを探るという番組で、彼のルーツを沖縄、そして戦争・平和に求めていました。
               それが、コンビ名の「ピース」になったのか、偶然だったのか。
               
               小説の最後の方で、人への思いやりのある「笑い」を求める態度が、先輩との対立的会話から表現されているのには、驚きを隠せませんでした。
               
               何やら、控えめでありながら、大きな社会的バックボーンを持ったコメディアンが出てきたという悪寒がしたからです。


              P.S.

               その後、又吉氏は芥川賞を受賞しましたが、ニュースキャスターの古館氏の発言が差別的だとか、又吉氏はテレビ出演料が増えて年収1億を超すとかが話題になっています。そりゃ毀誉褒貶というものは有名人にはつきものです。普通の山が急に富士山に成長したようなものですからね。

               又吉氏の尊敬する太宰治は芥川賞が受賞できず、共産党に偏見を持ちつつも時代思潮に近づこうとして共産主義を接近し敗北自殺してしまいました。同じ時代に芥川賞を受賞した川端康成は反共を貫きながらも自己肯定できずに逗子で自殺しています。

               ともにアドラーの言う、人からの承認を求めていたのにいわば否定された!!のです。太宰は芥川賞という承認、川端は自分の承認(諸説ある)。

               そして、それはアドラーによると明治以降の賞罰教育の影響なのです。褒められるから勉強するという立場ではなく、ものがわかる楽しみがあるから勉強するという立場に変えなければ、たとえ芥川賞にアクセスできても、自分を肯定できないでしょう。

               又吉氏には、そういう信賞必罰、賞罰教育の悪影響を超えていってほしいと存じます。



               


               



              文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

              西行について序論の終わり

              2013.08.27 Tuesday
              0
                評価:
                白洲 正子
                新潮社
                ¥ 546
                (1996-05-29)

                JUGEMテーマ:学問・学校
                 西行とは、西(死地)に行くという意味です。
                 昨年のNHK大河ドラマ『清盛』にも絶世の美男子で和歌の名手として名高かったようです。
                 
                 どうして、なのに現世を絶って出家したのか。その経済的基盤は和歌山の荘園にあったと言われます。ああ、だから源平争乱の時代に自由に日本中を行き来できたのか、と合点がいきます。
                 己が子どもを蹴倒してまで俗世を捨てる理由の方はまだ分かりません。
                 高貴な方との男女関係のもつれがそうさせたのか。
                 
                 インドの友人がメールをくれて、hermitである西行saigyoの詩を英語で読んだが、どう思うか?質問されたので調べてみました。
                 西行について知ってはいるもののちゃんとした認識がないまま人生を送るのはクリープを入れない珈琲のようなものかもしれません。そして、問題の核心は、その詩(和歌)が美しいと感じる立場はどのようなものかでした。
                 
                 結論から言うと、花鳥風月を詠むのは、隠者ならそんなもんだよ、という当たり前の立場をさらに深めて、社会全体が激動の時代にそのなかで闘うのではなく、逃走して隔絶した自然と心を詠んだ中にはどんな技巧をこらそうとも美は存在しないという立場に立つことが人間として大切なのだ、ということでした。
                 これは西行全否定論になります。
                 過激ですが、過去にそんなのがあったというぐらいの和歌の存在です。
                 
                 西行についての評論で有名なのは、小林秀雄、吉本隆明、白洲正子です。
                  この名前を聞いただけでも、ある立場の人たちにはあまりいい感じがしないでしょう。
                 同感です。
                 
                 ソ連時代に、マルクス主義芸術論は花鳥風月では社会は変わらないと考えていた論調と指導がありました。
                 しかし、花鳥風月はストレスを解消し現代社会に大いなる貢献をしているのです。
                 そういう柔軟な芸術理解こそ現代に生きる芸術の解釈でしょう。ほんとうの共産主義者ならば、そう思うのが当然でしょう。
                 頼朝に銀製の猫の置物をプレゼントされても、ほいと子どもに与えてしまう無頓着な西行の甲斐性は、その経済的基盤にあっただけなのです。
                 金持ちの芸術です。
                 
                 だから、序論だけ書いて終わります。
                文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                革命詩人ハイネの革命

                2012.05.30 Wednesday
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                  JUGEMテーマ:読書

                   図書館をブラウジングしていると井上正蔵訳『ハイネ全詩集 全5巻』があり、ページをめくるごとに変化を感じます。
                   ハイネの認識の発展という変化です。
                   
                   そのうえ、使用する言葉が平易(もっとも、日本語訳もそれに忠実にしているがゆえに)というのもわかります。
                   また、当時の政治にこれほどコミットしている詩人もなかろうという感想も出てきます。
                   とは言え、花鳥風月を歌えば革命的でないという考えにもくみしません。

                   マルクスとの交友で相互に影響しあっているところをもっと研究したい気もします。
                   「詩歌」が宣伝、扇動、組織者たりうるか。それはレーニンが言う「全国的新聞」や現在のフェイスブック、ツイッターに相当するのか。
                   むしろ、そうであってほしくないのですが、政治に利用されがちな脆弱な芸術でもあります。
                   
                   「アラブの春」を現出した機材はフェイスブックだったともいわれます。
                   その力を確信して、アメリカはシリアの反体制勢力に通信手段を提供し内政干渉しています。しかも、武器援助ではないという美名のもとです。
                   振り返って「詩歌」の地位が低下している日本において、その役割は「詩歌」=「歌の力」になっています。
                   
                   
                   
                   たとえば、秋元康作詞でAKB48が歌っている『風が吹いている』の一節は、
                   「この変わり果てた 大地の空白に 言葉を失って 立ち尽くしていた 何から先に 手をつければいい? 絶望の中に 光を探す」
                   「溢れた 涙の分だけ 何かを 背負わせて欲しいよ 傍観者にはならない」
                   「すべてを失って 途方に暮れても 確かに私は ここに存在する 前を塞いでる 瓦礫をどかして 今を生きる」

                   すべてを引用できません。でも、どれだけ多くの人がこの歌詞に感動し、扇動されているか。
                   「傍観者にはならない」
                   「瓦礫をどか(す)」
                   
                   この2点だけでも、この歌は宣伝、扇動、組織者になっています。ただし、具体的行動は個々人の自発性に任されているので、「全国的新聞」ほどではないのです。
                   にもかかわらず、ある方向性を創造する熱い巨大な力を、この詩歌はもっているのです。
                   
                   ところが、ハイネのように人間の発展を阻害する中心人物やその周辺に対しての暴露と攻撃がない。そこが、この詩歌の最大の弱点です。
                   そういう攻撃を目的としないでは、実は歴史の傍観者に貶められ、瓦礫をどかすことさえできない。
                   
                   アメリカと大企業、それを擁護するゴロツキに抑えつけられた音楽文化の限界を、自ら自制し越えようとしないところに芸能界全体の大罪があります。
                   いいところまで、誘っておいてウッチャるような音楽文化になっています。
                   
                   それに比すると革命詩人と言われるハイネは、攻撃性が違う。
                   ハイネの名声で人を引き付け、ともにたたかいを呼び掛けるような吸引力をもっています。
                   ハイネが現在に生きていたら、消費税や生活保護についての矛盾を、その推進勢力やマスコミとの関係で反撃していたでしょう。
                   はっきり認識すべきは、今の政治が我々に対して攻撃を仕掛けているということです。それに対する反撃は正当防衛。
                   
                   ハイネの一節を引用して、今と比較してみましょう。そして、アメリカ・イデオロギーという犇気瓩鯑れ替えましょう。犇気瓩読めないというの言葉は、ある種の抑圧の言葉でもあるとわかるでしょう。

                     ぼくらは地上で幸福になろう。
                     もう、飢えて悩むのをやめよう。
                     働き者の手が獲得したものを、
                     怠け者の腹に飽食させてはならない。

                    
                     あれ(ケルンの寺院)は精神のバスティーユになるはずだった。
                     そして、ずるい法王党の奴らは考えた。
                     「この巨大な監獄のなかで
                     ドイツの理性は弱り果てよう!」

                                         ・・・・・・・・・・ドイツ冬物語より

                   

                   

                  文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                  希望としての笑い

                  2010.10.11 Monday
                  0
                    評価:
                    高橋 敏夫
                    角川SSコミュニケーションズ
                    ¥ 819
                    (2010-09-10)
                    コメント:井上戯曲小論で、本質論です。
                    井上ファンにも目からウロコの連続!!
                    井上ひさしが何を書き、どう生きて来たかがよくわかるようにコンパクトにまとめられている

                    「武器としての笑い」から「希望としての笑い」に変化する情勢があるから、井上ひさしと言う作家が存在したと言えます。

                    文芸評論家の高橋敏夫氏は井上ひさしを追悼して、新書を上梓しました。
                    角川SSC新書から9月に出ています。
                    この書には、丸谷才一氏は、井上ひさしのお別れ会で彼の文学的位置付けを試みたと記されてます。
                    芸術派としての村上春樹、私小説派としての大江健三郎、そして、現在のプロレタリア文学派としての井上ひさし!
                    この昭和初期から続く「三派鼎立」の平野謙の説が今でも有効なのかどうか、文芸の試練に待ちます。
                    著者の高橋氏はこの説に共感しつつ、井上ひさしの業績を「変革の希望を、たえまなく生起させる笑いとして実現する」とまとめています。
                    「泣くのはいやだ、笑っちゃえ」!日本を席巻したこの太い笑いは、ロシアの思想家ミハイル・バフチンだそうです。人に否定的状態をくぐり抜けるのを大胆に促す笑い!グロテスクで解放的な哄笑!

                    盲人の権力欲を笑い飛ばした「藪原検校(やぶはらけんぎょう)」、原爆で生き残った“後悔”をユーモアとペーソスで綴った「父と暮らせば」、深刻な生活を背景に刻まれロシア帝国の没落と将来への希望を“喜劇”に結晶させたチェホフを描いた「ロマンス」、恨みの連鎖を断つことを訴えた「ムサシ」、プロレタリア派の流れを組む「組曲虐殺」など。
                    自然に笑いころげる内容ではありますが、世界と社会に響き渡るような硬質の笑いでもありました!
                    これぞ、疲れた日本に癒しを与え、どこに希望を見いだすか、世界のどこに自分が笑っているのか判別できるステージだったのです。(*^□^*)
                    99%の絶望と1%の希望が人間の構成成分と認識する井上ひさしさんでしたが、そこに魅力を感じる人も多かったはずです。
                    今も「丸い地球の水平線に、なにかがきっと待っている」と、希望を残してくれました!耳を澄ませば、あの歌が1964年から聴こえてきます。
                    でも、あれから46年、地球の俯瞰地図を一般人が手に入れた現在、希望しかない!ことがわかります。絶望なんか、地球にない!希望に満ち満ちている緑の瑠璃色の青い地球なのです。ただ、細く道や切り立った崖の屹立におののくことがあるだけです。
                    今年産まれた子どもは90歳で22世紀を見るのです。スゴい時代に生きていくのです。名古屋の会議はどうなろうと、さらば地球よとは言えないのですよ。地球が太陽の膨張に飲み込まれるまではね。\(^O^)/
                    文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                    アリエッティとアンネと「乙女の密告」

                    2010.08.02 Monday
                    0
                      評価:
                      赤染 晶子
                      新潮社
                      ¥ 1,260
                      (2010-07)
                      コメント:無意識の「密告」に迫る。小さい「社会」派小説。

                      JUGEMテーマ:読書
                      アリエッティもアンネも14歳。
                      どちらも隠れて住んでいます。
                      アンネを密告したのは誰か?アリエッティは見つかってしまいます。
                      どちらも自分に属さない理由で住み家を追われてしまいます。
                      権利の大きな力や共存を許さない差別が、その背景にあり、その本質を犠牲者自身も気付かない歴史的制約もあります。
                      この「アンネ」とダブらせて、社会の圧力(大学内の特殊社会)のなかで、密告者にならざるを得ない状況を描いたのが最近の芥川賞なのです。
                      赤染晶子「乙女の密告」。主人公は、清純な乙女として描かれたアンネだけではなく、密告されるユダヤ人として捉えることを教えるドイツ人教授に、「圧力」を覚えます。
                      これが、ある事件の背景にあることを悟らないまま行動してしまいます。
                      その行動が尊敬する先輩を裏切ることになってしまうのです。裏切ることを意識しない行動です。
                      真面目だからこそできた行動が、社会的に許されないことになってしまう。
                      それが、ゲシュタポに密告する行動とダブらせて描かれます。
                      悪法も法なり!
                      ヤクザの正義!
                      ロールズの正義論!
                      サンデルの講義!
                      こういうものの小説化と言えます。
                      しかも、潔癖症の乙女の社会にメスを入れた斬新さがあります。
                      最近、「告白」が話題ですが、ああいう公的リンチも、この部類にはいります。
                      だだ、流行りだから正しいと言うわけではないのは、ナチズムやオウムを見ても明らかです。
                      こんな小説が受けるなんで、恐怖の社会を受け入れる国民的準備ができている証拠です。反面教師ならいいですが。
                      「アリエッティ」は、逆に人間という姿を借りて権力の雰囲気支配を批判しているように思いました。
                      ただし、哀愁しかないので残念でしたが。
                      文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ
                       
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