来た!! ボヘミアン・ラプソディ

2018.11.12 Monday
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    JUGEMテーマ:映画

     

     この映画は最近公開された世界でも有名なロック・グループ「QUEEN」の結成から、ボーカルのフレディ・マーキュリーの死までを描いたものです。

     個人的には、経歴について色々と知っていたので、もっと大河ドラマっぽいのを期待していたのですが、あまりそれを求めないにしても社会性に乏しい映画になりました。

     ラストの方で、ゾロアスター教の父に善き事をせよという言葉どおりに、アフリカ・エイド・ライブに出演、大きな共感を呼びました。

     このブログでも漫画家の松本零士氏が絶賛している「ボヘミアン・ラプソディ」のCDを宣伝しているように、私の基調に流れる精神というか通奏低音は、この社会性であることは間違いありません。

     

     テレビの映画紹介では、最後の20分はみんなロック会場にいるほど興奮するぞ、という前宣伝でしたが、観客層は壮年が多く(QUEENはそういう世代のスターでしたが)落ち着いた雰囲気でした。だれしも、ビートルズの集団音楽に飽き、フレディー・マーキュリーの高音にしびれた世代なのです。

     

     そして、彼の名を高らしめた社会性のある「ボヘミアン・ラプソディ」は、謎に満ちつつ、英国の現実社会を色濃く反映した含蓄がありました。

     

     一人の青年が銃で人を殺してきたと母親に告白する

     刑務所に行く際の心境

     その現実と向き合い気がおかしくなる

     優しい「ママ」、ううう!

       もうみんなと会えなくなる

     夢うつつかもしれない

     ガリレオ、フィガロ、マニフィコ・・・・いやいや

     何言ってんだ!俺

     

     「オペラ」を超える何かを求めた彼らに、社会性あるオペラティズムを作らしめたのです。

     音楽会社EMIはそのリリースを認めず、理解されないプレッシャーがQUEENにはありました。

     

     ビートルズもそうですが、社会性が曲に出てきたら終了!!

     これがショー・ビジネスの限界です。

     それより向こうは死んでから他人が作るのですから。

     

     この作品についての感想は以上です。

     

     

     

     

     

     

     

    映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

    インドの「ピザ!」

    2017.06.08 Thursday
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       ツタヤでも人気のインド映画『ピザ!』を観ました!!

        原題は“カラスの卵”ですが、それをとって食べなければならないほど貧しい兄弟がピザに憧れる話ではあります。

       

       ところが、そのピザを食べに行くことさえ拒否される貧困差別がインドにもあり、単なるカースト制度だけでない差別の根強いインドを告発しています。

       アカデミー賞を総なめにした「ミリオネア」ではもっと貧困と誘拐と大都市の発展の矛盾を描いてましたが、こちらの映画は小ぶりでも貧民窟の子供たちの逞しさを見せています。

       貨物列車からこぼれ落ちた石炭を拾う児童労働で1年間働いてピザ1枚を買おうとするのですが、・・・ネタばれするので書きません。

       鑑賞したあとほっこりするような落ちになっています。 

       

      p.s.

       2018年1月6日、時事通信電子版にネズミを食べて暮らすインド最下層「ムサハール」の実態が報告されています。

       カースト制度の最下層の下に属する人たちで、それは800万人ぐらいいるということです。

       政府統計には表れてこない人たちです。

       中国では貧困をなくそうとキャンペーンを張っているのに比して、インド政府は実態把握さえしていないのではないかと思います。

       『ピザ』に出てくる子どもたちと、この階層は重なるのかどうかわかりませんが、映画の影響は大きいでしょう。

       

       

       

      映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

      永遠のダルトン・トランボ

      2017.05.29 Monday
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         『ローマの休日』、『スパルタカス』という映画は映画ファンなら知っているに決まっています。

         だが、その脚本を書いたのは誰かというのはあまり知られていません。

         

         オードリー・ヘップバーンをスターダムにのし上げた映画が『ローマの休日』でありましたが、ダルトン・トランボ氏が赤狩りで嫌われたため友人の名前で書きました。

         その後、『黒い牡牛』でアカデミー脚本賞をもらったときもペンネームで書きました。

         その実力を見込んで、俳優カーク・ダグラスと監督ブレミンスキーが別々に自宅に乗り込んできて『スパルタカス』や『栄光への脱出』の脚本を書いてくれるよう頼みこんできました。

         それの映画を公開するときは、やっと実名のクレジットで、脚本「ダルトン・トランボ」で復活しました。

         

         共産主義者が嫌いでも思想信条の自由は守らねばならない。この一点で多くの支持者を得たわけです。

         ジョン・スチュアート・ミルもそのようなことをかつて主張しましたね。

         

         アメリカにも共産主義者がいて、その人々が愛国者であることを主張すること。暴力的でなければ、その自由を保障する、内心の自由を保障すること。これこそが自由主義の本質であってそれ以外のものはないのです。

         

         2015年にダルトン・トランボの抵抗の人生を描いた映画が上映されましたが、今もビデオ店では長い人気を誇っています。

         今は反共主義という言葉さえどこかに行った感がありますが、またまだ共産党との統一候補を出すのは嫌だと拒む民主党国会議員もいて、諸葛孔明のように見守るしかないのですが、いつか分かってくれますよ。

         

         それにしても、スカッとするトランボとその家族でした。

         

        映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

        「殿、利息でござる」の無私

        2017.05.25 Thursday
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          JUGEMテーマ:映画

           

           この映画は、今新進気鋭の歴史学者の磯谷氏の著作の一部を映画化したものです。

           

           映画は、歴史の中で、「無私」を描くと喜劇になり、「悪徳」を描くと悲劇になります。

           多くの金貸屋は江戸時代において「悪徳」の典型のようなものですが、この映画においては地域の存続という一点で、子々孫々まで「無私」の精神を貫くという点で金貸屋、酒屋そして肝煎り(庄屋)が団結しました。

           

           フィギュアスケートの羽生弓弦さんも出演し話題になり、昨年ヒットした映画はレンタルされてじわじわと歴史愛好家に支持されて広がっています。

           歴史資料から説き起こし、従来の画一的な歴史観や中央集権的な考えから脱却した歴史叙述は、多くの人にとって真新しいものです。また、その歴史が現在にも引き継がれ、過去を生きた人物から引き出される教訓が現在に染み渡るのです。

           

           英雄史観は往々にして政権をとった人物の武勇伝ですが、司馬遼太郎氏はその英雄に民衆を組み込んだところが注目されました。今回、「平成の司馬遼太郎」と言われる磯谷氏はもっと大衆的な群像を英雄として、史実から扱っています。

           藩が統一せず「日本国」がない時代には、それぞれの地方主義があってそれが真理だった時代があり、その真理を探究することが歴史科学なのだと今さらながら考えるきっかけとなりました。

           

           先般、流行っているという『応仁の乱』をざっと読んで、著名な英雄のいない大戦の複雑な駆け引きは、簡単に言うと武力をともなった権力闘争でしたが、時代は違えどもこの映画の「無私の人々」はそういう権力者のもとで知恵を出して抵抗して生きた歴史であったのです。

           

           歴史史料に頼りすぎる史料主義には組しないとしても、連綿とつづく正義の歴史は民衆に多くあるのではないでしょうか。

           

           

           

           

           

          映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

          シン・ゴジラと北朝鮮への対応

          2017.05.01 Monday
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             遅ればせながら、DVDで『シン・ゴジラ』を観ました。

             

             政府の危機対応が素晴らしく、いまの安倍政権の対比でみると対照的でした。

             ゴジラのエネルギー源が核反応であり、それが発する放射線にモニタリングポストが反応してアメリカ空母が非難していくシーンは現在の日米同盟のあり方に一石を投じます。

             この映画の主役はもちろん「ガッジーラ」(ゴジラ)ではありますが、それが出現した背景に海中への核物質投棄があり、それを飲み込んで“進化”しつづける生物だったとの仮説が面白い点です。旧ゴジラも核兵器への反語として出現したのでしたから、それを踏まえて脚本上で深めたものと考えられます。

             この映画は一方で自衛隊の宣伝にもなっていて、知らなかったのは御殿場あたりからの誘導ミサイル弾を東京まで飛ばすことができたり、青森の三沢基地から東京までスクランブル発進して空爆できることや、朝霞・練馬駐屯地で作戦計画全体を練ることなど、いつでも首都東京を壊滅できる火力を自衛隊がもっているということが理解できました。

             ゴジラがこの火力を使っても“駆除”できないため、さらに米軍に応援をたのみ核兵器に次ぐ巨大な貫通力をもつマザー爆弾投下でさえ、ゴジラを壊滅できないので、国連安保理は熱核兵器を使うことを決議しますが、ここでムクムクと唯一の被爆国である日本人の心が大きく台頭してきます。

             物語は主に、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ演ずる配役が回していきます。それぞれ革新政治家、保守政治家、アメリカの利益を代表しています。ただ、石原さとみ演ずるアメリカ特使は、祖母が日本人という設定で日本人の心を奥深く宿しています。

             これらの駆け引きで、最終的には熱核兵器を使わせないギリギリの選択を長谷川(総理補佐官・国会議員)にさせ、石原(日系アメリカ特使)も本国アメリカの意に反して同調します。

             最後の選択が、核エネルギーを使うゴジラに対して国連軍に核兵器を使わさないという選択だった、というところが今回の北朝鮮危機への対応として学ぶべきところでしょう。

             あらためて、『シン・ゴジラ』の現在的意味を浮き彫りにしたと言える“危機的”状況になっています。

             しかし、危機なのは誰か?

             明日にも過労死、さもないと失業する労働者がゴマンといる日本ではないか。

             

             

             

             

             

             

             

             

            映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

            「君の名は。」と「幸福の科学」宣伝映画

            2017.04.25 Tuesday
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              JUGEMテーマ:映画

               

               ご存じ大人気映画アニメ『君の名は。』は、巨大隕石が諏訪湖付近(仮想地域)に落下して時空が歪み過去と現在がシンクロしてしまったという設定です。

               

               さて、これに似ている映画が幸福の科学の宣伝映画にも出てきます。

               でも、こちらは隕石ではなく、北朝鮮の核弾頭ミサイルが東京駅上空で炸裂したという設定で、若者の日常生活が突然破壊されるのです。何か飛行機雲のようなものが見えた瞬間、東京から鎌倉あたりまで爆風などで被害が及ぶのです。山手線内は瞬時にして蒸発するぐらいだという“計算”になっていて、いかにも北朝鮮の核弾頭が恐ろしいということを描いています。

               最後に、幸福の科学の主張がテロップで流されて、平和のために核武装が必要だというのです。

               

               ここで、前提とされているのは、

               )鳴鮮が理性のない人間に指導されていると観念です。確かに、vxガスで暗殺したであろうことからなんでもやる政権であるこ 

               とは認められますが、アメリカでもロシアでも中国でもなんでもやるのではないかという国際政治への不理解とデマゴーグがあり

               ます。

               ⊆鹽圓乏肪篤を落とすという観念は、平和時におけるアメリカ同時多発テロのドグマに他なりません。戦略的には、やはり中枢

                である米軍横田基地か、空爆の出撃拠点である青森県三沢または空母というのがふつうです。

               最大のミスは、最初の平和的外交交渉を前提としない映画作りになっている点です。

               

               今回の北朝鮮危機で、馬脚を現すのは「幸福の科学」であると信じます。

               

               基本は、\こεに戦争はしてはならないという前提があるということと、日本は戦争放棄・武力放棄した国であるということ、そして唯一の被爆国であることを忘れてはならないのであります。

               

               

               

               

               

               

              映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

              映画「この世界の片隅に」を絶対見るべし

              2016.11.30 Wednesday
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                JUGEMテーマ:映画

                 

                 この映画は他の人と一緒に観ると恥ずかしいくらい泣けるアニメ映画です。

                 「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」と並べて、今年のアニメ映画の「3K」というらしいですが、どれも同列に並べられないくらい素晴らしさがあります。

                 とくに、「片隅」は、近い将来、「蛍の墓」と並び称される戦争犯罪告発映画となるでしょう。

                 

                 のん(能年玲奈=「あまちゃん」の主人公を演じた女優)のノウテンキな口調と戦争の悲惨さとが綯交ぜになって、よじれるほどの悲しい感情を表現しています。

                 

                 戦時下の限られた“楽しい”生活から一転、右手を失った生活にもかかわらず、嫁という封建的しがらみのなかで、明るさを維持しつつ懸命に生きる姿に、現代人も通じる感情があります。

                 取材と表現が綿密なので、見終わったあとで、あっこれはアニメだったと改めて思いました。

                 

                 よくぞ、こんな映画を作ってくれたとプロデューサーや監督、原作者のこうの史代さんに感謝いたします。

                 クラウドファンディングという寄付金集めについても新たな映画製作の力になると思い知らされました。

                 

                 

                p.s.

                 やはりというべきか。

                 2016年キネマ旬報日本映画第1位となりましたね。

                 アニメとしては「となりのトトロ」以来らしいので、今後の期待も大きいですね。

                 こうの史代さんの原作の歴史に対する的確性と庶民感覚が功を奏していました。

                 

                 

                 

                 

                 

                映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                「バケモノの子」になるべきか

                2015.07.20 Monday
                0
                  評価:
                  細田 守
                  KADOKAWA/角川書店
                  ¥ 605
                  (2015-06-20)

                   心に空洞、それを埋める旅路が人生なのか。
                   多くは「闇」と表現され、大人になってもブラックホールのように、それに振り回され飲み込まれる。
                   
                   なぜ、そういう表現になったか。
                   心理学者にでも尋ねるがいい。

                   渋谷の喧噪から一歩入るとバケモノのパラレルワールドが現れる。
                   そこに行けるのは、心に闇を抱えた若者ばかり。

                   ヨーダのようなウサギがまとめるワールドは、ネズミの世界とは裏腹の現実。
                   その跡目争いが、巨大コロッセオでの決闘なのだ。

                   ところが跡目を継ぐためには、子どもがいるのだ。
                   その子どもたちは、実際の子どもか人間界からサラってきた子どもかどちらか。

                   心に闇を抱えた人間の多くは反発と瞬発力を備えている。
                   それを開放したのがこのパラレルワールドなのだ。

                   ちょうど、ハリーがロンドンの駅の柱のまん中から出発したように、
                   渋谷のビルの谷間から落ち込んだのだ。

                   そのゆったり流れる世界で学歴とも貧困とも関係なく生きてきた。
                   それが最大の力だったのに、決闘という競争を目の前にして、

                   心の闇がまた襲ってきた。
                   それが、バケモノの子の正体。

                   プレッシャーがかかればかかるほど、心の闇がクジラになるほど、大きくなり、
                   他人の領域まで襲い掛かるのだ。

                   巨大な心の闇を抑えるのは、ただ一つ。
                   心の中での葛藤と闘争。しかも、一人ではない。

                   そういうものを発見したとき、心の武器が発生するのだ。
                   自分との闘い。これが解答だということさ。

                   バケモノの子は正しい?
                   社会性の不足を補ってやる風潮が必要なのに。

                  映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                  映画「海街ダイアリ」の寂寥感

                  2015.06.14 Sunday
                  0
                    評価:
                    高瀬 ゆのか,吉田 秋生,是枝 裕和
                    小学館
                    ¥ 616
                    (2015-05-08)

                     
                     吉田秋生さんの原作を2008年に読んで、現代の崩壊した家族の回復をテーマにしていると思いました。
                     何度か、ブログで一部を紹介したりしています。
                     今回の映画はそのダイジェスト版になっていて、原作を読んでいないと理解不能な部分があります。
                     
                     雑誌「サライ」で鎌倉特集を組んで、是枝監督を出演させてプロモーションしていますが、映画そのものに鎌倉の本当の良さを感じさせる部分が少ないのはさみしい思いです。
                     だいたいどこでロケをしたかわかりますが、もっと活気ある仕上がりになってもよかったと思います。
                     
                     極楽寺駅は小さい駅で、崩壊した小さい家族の社会への窓です。
                     しかし、実父や実母の奔放さの仕業まではわかるのですが、なぜ崩壊したのかという社会的裏付けを暗示するものを、映画ならば、是枝監督ならば注入してほしかったのです
                     
                     おそらく衣笠山から撮影された鎌倉の風景で、最後に叫ぶシーンは、成功者の街というイメージと家族の崩壊の間で苦しんでいる象徴として描かれています。
                     ところが、そこからの展開と深みを描いていない中途半端性を感じてしまいました。

                     山形の風景と似ていることで、家族を崩壊させた父親が鎌倉を思い出していたと推測するということも、一種の感傷として存在するのでしょう。すずが、しらすパンを父親が好きだったことを三女にかくして、思い出を大切にしたかった思いもわかります。
                     そこで、長女を演じる綾瀬はるかが「お父さん、バカヤロー」、母親違いの妹を演じた広瀬すずが「お母さん、バカヤロー」と叫びます。
                     そのあとに、父親と実母との喧嘩やその理由、父親とすずの母親との不適切な出会いなどを挿入すれば、大きな効果をもたらしたと思うです。
                     この思いは、原作「レ・ミゼラブル」とミュージカル「レ・ミゼラブル」を比べたときと同じ思いで観ていました。
                     
                     長女が医者との幸せを蹴って、姉妹の絆を大切にしようという力強い思いの理由は、あまり正確に表現できていなかったのです。
                     4姉妹で結婚せずに生きていくの?
                     「海猫食堂」のおばちゃんの死の意味は、鎌倉4姉妹の行方なの?
                     
                     とにかく、テーマがぶれていて、よくわからないという映画だったものですから、原作読んでから観てくださいとしか言いようがないのです。それは、誰も主役を張ってもいいくらいの俳優陣で固められているところからみても、焦点のない「開放」レンズなのでした。
                     一つ一つはいいシーンなのに、全体として惜しいと思います。ポッキー四姉妹のような短編映画の継ぎ合わせです。

                     柳楽優弥さんをカンヌで受賞させた監督なので、スポンサーや地元や映画会社の力関係がそれぞれあらわれた映画としては、最高傑作です。
                     御成中学のみなさん、腰越漁協のみなさん、撮影機材を抱えて道なき道を登ったスタッフのみなさん、おつかれさまでした。

                     
                      P.S.
                       その後、広瀬すずさんが「とんねるずのおかげでした」という番組で、スタッフ軽視と受け取れる発言をして、Twitterで謝罪するという事態になりました。これは、広瀬さんだけの問題よりも、映画界、テレビ界の大問題だという認識に、大人が自省する問題なのです。ADへの差別的待遇やスタッフと俳優の上下関係は、階級差別のようになっている実態があると関係者は知っていて知らないふりをしているのです。
                     スタッフ奴隷がテレビを支えています。
                     すべてのスタッフ奴隷よ。団結してたちあがれ!! 鎖を断ち切ろう Unite!


                     

                    映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                    グレート・ギャツビー

                    2013.07.19 Friday
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                      JUGEMテーマ:映画

                       この映画はレオナルド・デ・カプリオ主演で上映されています。
                       村上春樹氏の翻訳なども出ています。
                       原題は「the Great Gatsby」。
                       この「Great」をどう翻訳するかで意味が違ってきますが、映画では「華麗なる」と訳しています。
                       辞書には「華麗なる」という意味はありません(英和辞典 Weblio辞書)。
                       フィツジェラルドの小説の内容からすると「(軽蔑をこめた)偉大なる」が最も当っていると思うのですが。
                       ホームページの解説もちょっと違うし、なんかイライラするような映画宣伝になっています。
                       
                       そこで、私なりに解説すると・・・・・
                       
                       「グレート・ギャッビー」はアメリカ文学の一つで、1920年代の第一次大戦後のいわゆるアプレゲールの小説です。アメリカンドリーム?の体現者であるギャッビー氏は貧乏な青年時期に果たせなかった上流階級の娘との恋を実らせようとする話です。それを傍で見ている若き友人キャラウェイ氏が語り部になります。
                       だいたい、何か悪いことをして(だいたい酒の密売とか相場師ですが)、成りあがった人をアメリカンドリームと言います。ケネディのお父さんについてもそういう話を聞きます。
                       
                       小説家フィツジェラルドはアメリカというものについて揶揄的に悲劇的に描いたのでしょう。
                        他の小説で「皐月祭(メーデー)」というのがあります。
                       金持ちでエリート大学出身なのに女にだらしなくて会社を首になって堕落している男が、メーデーとは別に行われた大学のパーティで飲んだくれ、世間から無視される。一方で、メーデーなのに「アカ」を攻撃する労働者が、真面目に社会悪を追及する新聞記者を襲撃する。そして、双方が飲んだくれて朝になったら終夜営業のレストランで一緒になっている。
                       そんなアメリカン・シーンを描いています。
                       「the Great Gatsby」も、アメリカンシーンの一つであり、表現の一つ一つに技巧をこらした複雑さはあれども、つらさが身にしみるばかりで何一ついいところがないのです。 
                       ヘミングウェイやセオドア・ドライサーなどと同時代になりますが、総じて暗いアメリカを感じざるを得ません。
                       どうか、誰かが、こんなアメリカを変えてほしいと慟哭しているような小説です。
                       読みたいなら読んでください。
                       

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