シン・ゴジラと北朝鮮への対応

2017.05.01 Monday
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    JUGEMテーマ:映画

     

     遅ればせながら、DVDで『シン・ゴジラ』を観ました。

     

     政府の危機対応が素晴らしく、いまの安倍政権の対比でみると対照的でした。

     ゴジラのエネルギー源が核反応であり、それが発する放射線にモニタリングポストが反応してアメリカ空母が非難していくシーンは現在の日米同盟のあり方に一石を投じます。

     この映画の主役はもちろん「ガッジーラ」(ゴジラ)ではありますが、それが出現した背景に海中への核物質投棄があり、それを飲み込んで“進化”しつづける生物だったとの仮説が面白い点です。旧ゴジラも核兵器への反語として出現したのでしたから、それを踏まえて脚本上で深めたものと考えられます。

     この映画は一方で自衛隊の宣伝にもなっていて、知らなかったのは御殿場あたりからの誘導ミサイル弾を東京まで飛ばすことができたり、青森の三沢基地から東京までスクランブル発進して空爆できることや、朝霞・練馬駐屯地で作戦計画全体を練ることなど、いつでも首都東京を壊滅できる火力を自衛隊がもっているということが理解できました。

     ゴジラがこの火力を使っても“駆除”できないため、さらに米軍に応援をたのみ核兵器に次ぐ巨大な貫通力をもつマザー爆弾投下でさえ、ゴジラを壊滅できないので、国連安保理は熱核兵器を使うことを決議しますが、ここでムクムクと唯一の被爆国である日本人の心が大きく台頭してきます。

     物語は主に、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ演ずる配役が回していきます。それぞれ革新政治家、保守政治家、アメリカの利益を代表しています。ただ、石原さとみ演ずるアメリカ特使は、祖母が日本人という設定で日本人の心を奥深く宿しています。

     これらの駆け引きで、最終的には熱核兵器を使わせないギリギリの選択を長谷川(総理補佐官・国会議員)にさせ、石原(日系アメリカ特使)も本国アメリカの意に反して同調します。

     最後の選択が、核エネルギーを使うゴジラに対して国連軍に核兵器を使わさないという選択だった、というところが今回の北朝鮮危機への対応として学ぶべきところでしょう。

     あらためて、『シン・ゴジラ』の現在的意味を浮き彫りにしたと言える“危機的”状況になっています。

     しかし、危機なのは誰か?

     明日にも過労死、さもないと失業する労働者がゴマンといる日本ではないか。

     

     

     

     

     

     

     

     

    映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

    「君の名は。」と「幸福の科学」宣伝映画

    2017.04.25 Tuesday
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       ご存じ大人気映画アニメ『君の名は。』は、巨大隕石が諏訪湖付近(仮想地域)に落下して時空が歪み過去と現在がシンクロしてしまったという設定です。

       

       さて、これに似ている映画が幸福の科学の宣伝映画にも出てきます。

       でも、こちらは隕石ではなく、北朝鮮の核弾頭ミサイルが東京駅上空で炸裂したという設定で、若者の日常生活が突然破壊されるのです。何か飛行機雲のようなものが見えた瞬間、東京から鎌倉あたりまで爆風などで被害が及ぶのです。山手線内は瞬時にして蒸発するぐらいだという“計算”になっていて、いかにも北朝鮮の核弾頭が恐ろしいということを描いています。

       最後に、幸福の科学の主張がテロップで流されて、平和のために核武装が必要だというのです。

       

       ここで、前提とされているのは、

       )鳴鮮が理性のない人間に指導されていると観念です。確かに、vxガスで暗殺したであろうことからなんでもやる政権であるこ 

       とは認められますが、アメリカでもロシアでも中国でもなんでもやるのではないかという国際政治への不理解とデマゴーグがあり

       ます。

       ⊆鹽圓乏肪篤を落とすという観念は、平和時におけるアメリカ同時多発テロのドグマに他なりません。戦略的には、やはり中枢

        である米軍横田基地か、空爆の出撃拠点である青森県三沢または空母というのがふつうです。

       最大のミスは、最初の平和的外交交渉を前提としない映画作りになっている点です。

       

       今回の北朝鮮危機で、馬脚を現すのは「幸福の科学」であると信じます。

       

       基本は、\こεに戦争はしてはならないという前提があるということと、日本は戦争放棄・武力放棄した国であるということ、そして唯一の被爆国であることを忘れてはならないのであります。

       

       

       

       

       

       

      映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

      映画「この世界の片隅に」を絶対見るべし

      2016.11.30 Wednesday
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         この映画は他の人と一緒に観ると恥ずかしいくらい泣けるアニメ映画です。

         「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」と並べて、今年のアニメ映画の「3K」というらしいですが、どれも同列に並べられないくらい素晴らしさがあります。

         とくに、「片隅」は、近い将来、「蛍の墓」と並び称される戦争犯罪告発映画となるでしょう。

         

         のん(能年玲奈=「あまちゃん」の主人公を演じた女優)のノウテンキな口調と戦争の悲惨さとが綯交ぜになって、よじれるほどの悲しい感情を表現しています。

         

         戦時下の限られた“楽しい”生活から一転、右手を失った生活にもかかわらず、嫁という封建的しがらみのなかで、明るさを維持しつつ懸命に生きる姿に、現代人も通じる感情があります。

         取材と表現が綿密なので、見終わったあとで、あっこれはアニメだったと改めて思いました。

         

         よくぞ、こんな映画を作ってくれたとプロデューサーや監督、原作者のこうの史代さんに感謝いたします。

         クラウドファンディングという寄付金集めについても新たな映画製作の力になると思い知らされました。

         

         

        p.s.

         やはりというべきか。

         2016年キネマ旬報日本映画第1位となりましたね。

         アニメとしては「となりのトトロ」以来らしいので、今後の期待も大きいですね。

         こうの史代さんの原作の歴史に対する的確性と庶民感覚が功を奏していました。

         

         

         

         

         

        映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

        「バケモノの子」になるべきか

        2015.07.20 Monday
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          評価:
          細田 守
          KADOKAWA/角川書店
          ¥ 605
          (2015-06-20)

           心に空洞、それを埋める旅路が人生なのか。
           多くは「闇」と表現され、大人になってもブラックホールのように、それに振り回され飲み込まれる。
           
           なぜ、そういう表現になったか。
           心理学者にでも尋ねるがいい。

           渋谷の喧噪から一歩入るとバケモノのパラレルワールドが現れる。
           そこに行けるのは、心に闇を抱えた若者ばかり。

           ヨーダのようなウサギがまとめるワールドは、ネズミの世界とは裏腹の現実。
           その跡目争いが、巨大コロッセオでの決闘なのだ。

           ところが跡目を継ぐためには、子どもがいるのだ。
           その子どもたちは、実際の子どもか人間界からサラってきた子どもかどちらか。

           心に闇を抱えた人間の多くは反発と瞬発力を備えている。
           それを開放したのがこのパラレルワールドなのだ。

           ちょうど、ハリーがロンドンの駅の柱のまん中から出発したように、
           渋谷のビルの谷間から落ち込んだのだ。

           そのゆったり流れる世界で学歴とも貧困とも関係なく生きてきた。
           それが最大の力だったのに、決闘という競争を目の前にして、

           心の闇がまた襲ってきた。
           それが、バケモノの子の正体。

           プレッシャーがかかればかかるほど、心の闇がクジラになるほど、大きくなり、
           他人の領域まで襲い掛かるのだ。

           巨大な心の闇を抑えるのは、ただ一つ。
           心の中での葛藤と闘争。しかも、一人ではない。

           そういうものを発見したとき、心の武器が発生するのだ。
           自分との闘い。これが解答だということさ。

           バケモノの子は正しい?
           社会性の不足を補ってやる風潮が必要なのに。

          映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

          映画「海街ダイアリ」の寂寥感

          2015.06.14 Sunday
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            評価:
            高瀬 ゆのか,吉田 秋生,是枝 裕和
            小学館
            ¥ 616
            (2015-05-08)

             
             吉田秋生さんの原作を2008年に読んで、現代の崩壊した家族の回復をテーマにしていると思いました。
             何度か、ブログで一部を紹介したりしています。
             今回の映画はそのダイジェスト版になっていて、原作を読んでいないと理解不能な部分があります。
             
             雑誌「サライ」で鎌倉特集を組んで、是枝監督を出演させてプロモーションしていますが、映画そのものに鎌倉の本当の良さを感じさせる部分が少ないのはさみしい思いです。
             だいたいどこでロケをしたかわかりますが、もっと活気ある仕上がりになってもよかったと思います。
             
             極楽寺駅は小さい駅で、崩壊した小さい家族の社会への窓です。
             しかし、実父や実母の奔放さの仕業まではわかるのですが、なぜ崩壊したのかという社会的裏付けを暗示するものを、映画ならば、是枝監督ならば注入してほしかったのです
             
             おそらく衣笠山から撮影された鎌倉の風景で、最後に叫ぶシーンは、成功者の街というイメージと家族の崩壊の間で苦しんでいる象徴として描かれています。
             ところが、そこからの展開と深みを描いていない中途半端性を感じてしまいました。

             山形の風景と似ていることで、家族を崩壊させた父親が鎌倉を思い出していたと推測するということも、一種の感傷として存在するのでしょう。すずが、しらすパンを父親が好きだったことを三女にかくして、思い出を大切にしたかった思いもわかります。
             そこで、長女を演じる綾瀬はるかが「お父さん、バカヤロー」、母親違いの妹を演じた広瀬すずが「お母さん、バカヤロー」と叫びます。
             そのあとに、父親と実母との喧嘩やその理由、父親とすずの母親との不適切な出会いなどを挿入すれば、大きな効果をもたらしたと思うです。
             この思いは、原作「レ・ミゼラブル」とミュージカル「レ・ミゼラブル」を比べたときと同じ思いで観ていました。
             
             長女が医者との幸せを蹴って、姉妹の絆を大切にしようという力強い思いの理由は、あまり正確に表現できていなかったのです。
             4姉妹で結婚せずに生きていくの?
             「海猫食堂」のおばちゃんの死の意味は、鎌倉4姉妹の行方なの?
             
             とにかく、テーマがぶれていて、よくわからないという映画だったものですから、原作読んでから観てくださいとしか言いようがないのです。それは、誰も主役を張ってもいいくらいの俳優陣で固められているところからみても、焦点のない「開放」レンズなのでした。
             一つ一つはいいシーンなのに、全体として惜しいと思います。ポッキー四姉妹のような短編映画の継ぎ合わせです。

             柳楽優弥さんをカンヌで受賞させた監督なので、スポンサーや地元や映画会社の力関係がそれぞれあらわれた映画としては、最高傑作です。
             御成中学のみなさん、腰越漁協のみなさん、撮影機材を抱えて道なき道を登ったスタッフのみなさん、おつかれさまでした。

             
              P.S.
               その後、広瀬すずさんが「とんねるずのおかげでした」という番組で、スタッフ軽視と受け取れる発言をして、Twitterで謝罪するという事態になりました。これは、広瀬さんだけの問題よりも、映画界、テレビ界の大問題だという認識に、大人が自省する問題なのです。ADへの差別的待遇やスタッフと俳優の上下関係は、階級差別のようになっている実態があると関係者は知っていて知らないふりをしているのです。
             スタッフ奴隷がテレビを支えています。
             すべてのスタッフ奴隷よ。団結してたちあがれ!! 鎖を断ち切ろう Unite!


             

            映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

            グレート・ギャツビー

            2013.07.19 Friday
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              JUGEMテーマ:映画

               この映画はレオナルド・デ・カプリオ主演で上映されています。
               村上春樹氏の翻訳なども出ています。
               原題は「the Great Gatsby」。
               この「Great」をどう翻訳するかで意味が違ってきますが、映画では「華麗なる」と訳しています。
               辞書には「華麗なる」という意味はありません(英和辞典 Weblio辞書)。
               フィツジェラルドの小説の内容からすると「(軽蔑をこめた)偉大なる」が最も当っていると思うのですが。
               ホームページの解説もちょっと違うし、なんかイライラするような映画宣伝になっています。
               
               そこで、私なりに解説すると・・・・・
               
               「グレート・ギャッビー」はアメリカ文学の一つで、1920年代の第一次大戦後のいわゆるアプレゲールの小説です。アメリカンドリーム?の体現者であるギャッビー氏は貧乏な青年時期に果たせなかった上流階級の娘との恋を実らせようとする話です。それを傍で見ている若き友人キャラウェイ氏が語り部になります。
               だいたい、何か悪いことをして(だいたい酒の密売とか相場師ですが)、成りあがった人をアメリカンドリームと言います。ケネディのお父さんについてもそういう話を聞きます。
               
               小説家フィツジェラルドはアメリカというものについて揶揄的に悲劇的に描いたのでしょう。
                他の小説で「皐月祭(メーデー)」というのがあります。
               金持ちでエリート大学出身なのに女にだらしなくて会社を首になって堕落している男が、メーデーとは別に行われた大学のパーティで飲んだくれ、世間から無視される。一方で、メーデーなのに「アカ」を攻撃する労働者が、真面目に社会悪を追及する新聞記者を襲撃する。そして、双方が飲んだくれて朝になったら終夜営業のレストランで一緒になっている。
               そんなアメリカン・シーンを描いています。
               「the Great Gatsby」も、アメリカンシーンの一つであり、表現の一つ一つに技巧をこらした複雑さはあれども、つらさが身にしみるばかりで何一ついいところがないのです。 
               ヘミングウェイやセオドア・ドライサーなどと同時代になりますが、総じて暗いアメリカを感じざるを得ません。
               どうか、誰かが、こんなアメリカを変えてほしいと慟哭しているような小説です。
               読みたいなら読んでください。
               

              映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

              映画「リンカーン」の視点

              2013.05.05 Sunday
              0
                評価:
                エイブラハム・リンカーン
                岩波書店
                ¥ 693
                (1957-03-25)

                JUGEMテーマ:映画

                 スピルバーグ監督の映画は全部観たいというか、まあだいたい観てきたわけです。
                 今回公開されているのは歴代アメリカ大統領の人気1のリンカーンを描きました。
                 南北戦争の終結に心血を注ぎ、黒人奴隷解放をその梃子にしたという設定です。
                 
                 「奴隷解放」という単なる思想を憲法修正にまで実体化した大統領という人間性を描いています。
                 ただし、現実的にはリンカーンはインティアンに対しては厳しく差別しています。
                 特に、黒人奴隷を解放することで南部連合を骨抜きにし、戦争の火種を無くしたかったのです。
                 本当に、差別をなくそうと思ったわけではないように見えます。

                 アメリカ憲法修正第13条では、「奴隷またはその意に反する苦役は、当事者が適法に有罪判決を受けた犯罪に対する処罰の場合を除いては、合衆国またはその権限の及ぶいかなる場所においても存在してはならない。」となっています。
                 この「奴隷またはその意に反する苦役」については判例が数々あります。
                 映画との関連で言えば、これは黒人奴隷ということを指していたのです。
                 しかし、たとえば、徴兵制はこの憲法に反しないというのがアメリカの判例で確立されています。
                 
                 逆を考えれば、実は不思議な命題も成り立ちます。
                 「意に反しない苦役」ならば良いのか?という疑問です。
                 実際にそういう実態はあるのかというと実はあるのです。
                 もし人が苦しみを苦しみと思わない労働をしているならば、それは「意に反しない苦役」なのです。
                 ただ、アメリカ的感覚ではありえない労働ではあります。

                 しかし、日本では、カローシを起こすほど働き、働かされます。
                 キンタロー。が真似するように、前田敦子さんは「何故こんなに一杯歌わされなきゃいけないのか」と思うくらい働いていたのです。この例は特殊ですが、多くの日本人は気付かないまま必要以上に多く働いているのです。
                 また、社会科学的に見ると、時間内労働と時間外労働。その時間外労働は対価が支払われる労働と不払い労働に分けられるのです。そういう不払い労働をサービス残業と言って、前残業と後残業があります。
                 このサービス残業というのは、実は「意に反しない苦役」に相当します。
                 ここで問題になるのは「苦しい」かどうかではなく、「意に反しない」という点です。
                 実は、この言葉は「苦しい」労働は暗に人間がするはずがないと認識している社会規範を表現しています。
                 ところが、苦しみの中にちょうど「ダイエット・ハイ」的な喜びが生じ、あたかも「喜んで」苦役を行ってしまうある種の道徳を作ってしまう社会・団体・会社もあるのです。
                 これは、宗教の「苦行」に似ています。
                 そしてその「苦行」こそ、会社なり団体なり社会につながるキヅナとなっています。
                 その苦しさは本人にとっては、自己証明であり、存在意義にもなり、自覚した人こそ真の働き手であるかのような錯覚を持ってしまうのです。

                 アメリカ黒人奴隷はアメリカのイギリスからの経済的自由を獲得する梃子になりましたが、一方で南部・北部の結合、新アメリカ連合を構成するためには桎梏にもなった矛盾的存在でした。
                 なかには、長い血ぬられた歴史を忘却した結果、今言ったような「喜んで」苦役を行う奴隷もいたと思います。
                 しかし、それはことの本質をとらえていないのです。
                 その本質とは、必要以上に労働させる社会的環境なのです。社会規範、団体規範、会社規範です。
                 「空気が読めない」というのは、社会環境を読めないことに対する批判であり、抑圧です。
                 
                 リンカーンはそういう「空気」を除去したかというと、そうではない。今回の映画ではそれがわかりました。
                 俳優トミー・リー・ジョーンズ扮する国会議員が圧力をかけて奴隷解法反対派を寝返りさせたシーンを見れば一目瞭然です(彼は日本のCMで宇宙人になっています)。

                映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                ファンティーヌ、ナチスの女、峰岸みなみ

                2013.02.25 Monday
                0
                  評価:
                  サントラ
                  ユニバーサル インターナショナル
                  ¥ 2,200
                  (2012-12-26)

                  JUGEMテーマ:映画


                  ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を観ましたが、この内容を階級的に理解している人は何人いるのか、疑問に思いました。
                   前田敦子さんは2回観たとツイッターで書いていましたが、原作を理解し、かつ社会発展史のなかでとらえないと、かなり理解不能の映画になってしまいます。
                   
                   フランス革命はアメリカ独立革命の影響のもとなされた国民の階級闘争であります。
                   また、フランス国民は王がなくても国は成立するという確信や国民の苦しみの根源に王制があると判断したのです。
                   
                   
                   ところが、王制打破のあとについての構想が国民の間で分かれ、
                   ヽ很晋紊虜乱収拾のための独裁、
                   △修譴鯣歡蠅掘古代ローマを手本にしたナポレオン帝政、
                   守旧派の巻き返しである王政復古から周辺各国の干渉(ウィーン体制)
                   い修隆馨弔らの脱却としての制限選挙による立憲君主制樹立(7月王政)、
                   イ修譴頬阿足らない一般人を味方につけた富裕層の革命(2月革命)、
                   Δ修良挈義悗竜盾屬膨餽海靴浸毀韻離丱螢院璽廟錙
                   С姐颪隆馨弔ら逃げ出したその富裕層政府に対する労働者自治政府コンミューン、
                   ・・・と続きます。
                   フランスは、1789年から1871年までの約80年間、世界でもまれにみる典型的な国内での闘争で自らの知恵を鍛えて行きました。
                   
                   今回の映画はこのうちΔ良分を描いているのです。
                   ここを理解しないと、何故学生をはじめとした国民が政府軍とたたかっているのか不明な映画になります。
                   その前後を抜きにして人道性を語ってるため、理解しがたいものになっています。
                   その上、革命に対する理解が未熟な人の心理に、この解説ぬきに「革命」を語ると、革命は暴力でやるものだと宣伝するような弊害を生じます。
                   
                   この点は気がかりですが、観客は老若男女、ぎっしり入っていました。
                   普通の言葉なのにどうして歌わなければならないのか?どうして、そんな場面で歌うの?ミュージカル映画の根本に疑問付を打つ人も沢山いると思いました。
                   ジャベールが執拗に追いかける心理、コゼットの切なさ、その母ファンチーヌの歌は知らない人はいません。片思いのエポニーヌの苦しさ、その両親テナルディエ夫妻のゆがんだ知恵、マリウスの革命歌、プチ・ガブローシュのすばしこさ。
                   これらが皆、うたごえになるのです。
                   ミリエル神父の寛容性 → ジャン・パルジャンの利他性 → 学生たちの革命性 
                   この三位一体の人間性が、ばらばらに見えてしかたない映画になったので残念でした。


                   そういうなかでさえ、この映画の筋になる女性がいて、現在に通じる哲学は発見しました。
                   それは、女優アン・ハサウェイ演じるファンチーヌ。
                   子ども(コゼット)を他人に預け仕送りするシングルマザー。
                   彼女はマドレーヌ市長(実はジャン・パルジャン)の経営する縫製工場の女工でした。工場でイジメぬかれて凌辱され解雇されるはめになります。挙句、娼婦の道に。
                   その際、さらなる仕送り金を得るため「丸坊主」にされるのです。

                   写真家ロバート・キャパの撮った写真では、ナチスに協力した女性が「丸坊主」にされています。おそらくフランスでドイツが降伏した後に撮られたものでしょう。
                   AKB48の峰岸みなみさんが「丸坊主」になったのも海外で報道されました。その理由は恋愛だった!という驚きの見出しでした。
                   もう一つ、市民ランナーの星、川内さんもロンドンオリンピック代表選考に漏れた時、「丸坊主」にした記憶が日本人にはあるでしょう。
                   
                   つまり、人によって作られた「罪」のあがないに「丸坊主」になる行為が強制される、ということです。髪が命の女性にとっては死刑にも相当する残虐な強制なのです。
                   たとえ、自ら髪を切ったとしても、「場の論理」が強制として働いています。
                   しかしながら、ファンチーヌを見捨てざるをえなかった工場主のジャン・パルジャンは償いとしてコゼットを育て、その瀕死の恋人マリウスを助け、自らは消えていきます。「丸坊主」にはならないのです。この違いは何なのか。
                   利他、無償の愛、敵を愛すことで、実体として償う行為こそが、ほんとうは必要だということでしょう。


                  p.s.
                   アン・ハサウェイさんは、この映画で米アカデミー賞助演女優賞を獲得しました。おめでとうございます。
                  「アン・ハサウェイ」という名前は、あのシェイクスピアの妻の名前と同じです!!!!!!!
                  女優に賭ける決意がわかります。



                  映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                  映画「東京家族」の初日

                  2013.01.20 Sunday
                  0
                    評価:
                    久石譲,サントラ
                    ユニバーサル シグマ
                    ¥ 2,100
                    (2013-01-16)

                    JUGEMテーマ:映画

                     
                     土曜日(1月19日)は山田洋次監督の映画「東京家族」上映の初日でした。
                     言葉を大切に使う山田洋次監督らしい映画でした。
                     
                     田舎の老親が東京に訪ねて来ても、子どもたちは自分のことが精いっぱいで丁寧な対応もできない。
                     自立している息子・娘にとってはやっかいな存在でもあるが、なくてならない親族であることには変わりは無い。
                     しかし、自分たちの目の前のことばかりに追われて気を使うこともできなくなっている世知辛い社会が重くのしかかってくる。
                     誰がこんな社会にしたのか?
                      核家族の矛盾を描く小津安次郎監督の精神を継いだ山田監督らしい映画になりました。
                     
                     なんのスペクタクルもない淡々とした構成ですが、深い矛盾がそれぞれの個人にのしかかっていることを考えると人生の深淵を見るようです。しかも、出て来る人々のそれぞれの矛盾が社会と絡み合ってくるのです。
                     新幹線が品川駅に止まることも知らないまま舞台美術の仕事をしている次男(妻夫木)、休みなのに急患で往診に行く医者の長男、美容師で商店街行事の役をして不況とたたかっている長女、おじいちゃん・おばあちゃんが来ても夜の塾や休日野球の練習に行く孫、旧友が来ても自宅に泊められない友人。
                     
                     みんな悪気がなく精いっぱいやっていることが、老親を疎外していくのです。
                     
                     この中では、俳優の妻夫木さんの演技がとても印象的でした。
                     勤務評定や学力テスト問題での闘争をしてきた、あまり感情を表に出さない強面のお父さんが、病院の屋上で朝日を浴びながら「母さん、死んだぞ」と無表情に言う。
                     それにたいして、押し殺していた感情が一気にこみあげて来るような悲しみの表情で、泣きだす。
                     なかなかできないリアリティでした。

                     妻夫木さんは、かつて、小学校でブタを飼うことについての是非を問うた映画の青年教師を演じていましたが、ブタが最終的に賭殺場に送られるシーンで泣いてしまう演技も見事でした。
                     私は、そのシーンに重ねあせて観ていました。
                     
                     華やかな舞台裏を支える人々が犖悗蠅△覘疉堋蟯労働者で支えられていることも、多くの人が知る良い機会にもなったと思います。


                     全体としては、会話のタイミングが少しずれているような印象は持ちましたが、「今」の普通の人々を描く力量をもつ映画監督は山田監督をおいてほかにないというべきでしょう。

                    映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                    映画『一枚のハガキ』から得るもの

                    2012.07.29 Sunday
                    0
                      評価:
                      ---
                      TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
                      ¥ 3,626
                      (2012-02-21)

                      JUGEMテーマ:映画

                       
                       新藤兼人監督の最後の作品となった映画が、この『一枚のハガキ』です。
                       クジが生死を決めた事実を悲惨と笑い飛ばしで描きました。
                       
                       このクジは、進化が突然変異を第一原因とし、その淘汰が第二原因であるのとは、かなり違う偶然です。
                       なぜなら、戦争という政府の行為を第一原因とし、その遂行施策が第二原因であるからです。
                       進化の突然変異は避けられませんが、戦争は止めることができたからです。
                       しかも、戦争遂行施策の何万分の1として、フィリピン行きか、潜水艦行きか、掃除係として滞在するかを選ばれるのです。
                       さらに、そのクジは自分で引くのではなく上官が引いたものを強制させられるのです。
                       
                       この前提には、2等水兵は、一銭五厘の赤紙で招集された最下層の人間だという差別認識が横たわっています。
                       だから上官にとってクジであろうと、トランプであろうと構わないのです。ただのコマでしかないわけです。
                       ところが、本人は生死を分ける事態になり、戦死した場合は、家族の破壊につながるという事実を直視しないといけません。
                       
                       単にクジで選ばれ生き残ったので悲しいとか、つまらない人生とかの慨嘆では終わらないのが、この映画のすごいところです。
                       曲折や動揺や死に別れた人への執着はあるものの、最終的には、この残された世界で生きる力を人はもっているのだ、とうことを言いたいのでしょう。
                       それは、大震災・津波被災にも言えることでもあります。
                       ただし、その認識や洞察に到るまでに、死に物狂いの模索の後にあるのです。
                       もうどうにでもいいという放棄や甘えや悔しさを乗り越えた先にこそ生まれ出るものなのです。
                       この映画をここを衝いています。

                       そういう戦争は国の施策で行うものですが、オリンピックは違います。
                       何の援助も受けていないのに、国を背負って出場しています。帰ってからも国からの援助はないのです。
                       にも関わらず、国歌を歌わされ、日の丸を掲げさせられる選手は、軍隊以上にひどい扱いを受けています。
                       オリンピックは平和の祭典なのに、国どうしのたたかいのように演じられるのは良くない世界の潮流だと考えます。
                       偶然、手が滑った体操選手のように、偶然に支配される人を国の恥のような描き方をするべきではありません。 


                       『一枚のハガキ』を観て、人生の偶然性は戦争においては避けられるものであり、オリンピックでは避けられないものであると思いました。
                       そして、それが原因ですべてを失ったり、すべてを得たとしても、それを克服して新い理想的な社会を作り上げるのが人間でもあるのです。

                      映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ
                       
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