政治経済学再入門 53 地代と「農業問題」

2010.12.06 Monday
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    13章 地代と「農業問題」

     

    1.差額地代と絶対地代

     発達した資本主義諸国では、資本主義生産は、工業の部面だけではなく農業の部面をも支配しています。資本主義農業においては、まず地主が、「近代的土地所有」といって、広大な土地を私的に所有しています。そこで、農業資本家は、地主に借地料を支払って一定の期間その土地を借り受け、また自分の資本をもって一方では耕作機械や種子などを買い入れ他方では賃金労働者を雇い入れて、農業生産をおこなうのです。この場合の借地料が、資本主義の地代です。

     ○地主 

    土地所有者のこと。封建社会における地主(封建的地主)階級は、農民階級を搾取していましたが、資本主義社会における地主(近代的地主)階級は、資本家階級とともに、労働者階級を搾取しています。地主階級は、それらの社会では、社会的生産とその発展になんの寄与もせず、ただ寄生している点で、社会進歩に対して保守的反動的な性格をもっています。

     ○農業資本家

     工業資本家に対して、農業に資本を支出した資本家をいいます。しかし、農業資本家も、産業資本家であることは、工業資本家とかわりありません。工業資本家にたいする農業資本家の特徴は、地代を支払って地主から土地を借りる点です。ですから、農業資本家のことを、厳密には借地農業資本家といいます。

      たとえば、アメリカ合衆国、イギリス、フランスなどの資本主義諸国では、土地の大部分は近代的土地所有のもとにあり、商品である農業生産物の大部分は、このような資本主義農業を行う大経営によって生産されています。

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    政治経済学再入門 52 株式会社

    2010.12.06 Monday
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      4.株式会社、創業者利得

       資本主義生産が増大し、信用が発達するのにともなって、資本主義企業は、個々のの資本家各人が所有する個人会社というかたちから、しだいに株式会社というかたちをとるようになりました。株式会社とは、よく知られているように、その企業の資本金を、多数の小額の株式にわけて徴募し、多数の株主(株式の所有者)の払込み金によって調達するというかたちをとった企業です。そうして、株主にはその所有する株式に応じて企業の利潤の一部を配当するというしくみになっています。後にみるように、株式会社の普及によって、個人では調達できないような巨額の資本が調達できるようになり、資本の集積と集中(さらには独占の形成)の過程はいちじるしく促進されました。

       歴史的に見ると、株式会社は、すでに17世紀のはじめに発生しましたが、とくに19世紀の後半から、鉄道などの巨額の資本が必要な工業部門および銀行業でひろく普及されました。現代では、株式会社は、おもな資本主義諸国の工業生産において圧倒的な比重をしめるにいたりました。

       株式会社における最高機関は、形式上は株主総会です。株主総会は、事業報告の承認、方針の決定、役員の任命、などの企業の活動についての最重要事項をきめますが、そこでの議決はすべて議決権のある株式数に応じてなされるのです。したがって、形式的には、ある株式会社を支配するのには、その株式総数の50%以上を所有していれば完全なわけです。しかし、実際には、大多数の中・小株主が多いので互いに連絡をとってまとまることもなく、はじめから株主総会には出てきません。彼らは、もともと企業の運営に関与する意志も力もなく、たんに配当金をうけとるだけのの事実上の「利子取得者」にすぎません。

       それゆえ、実質的には、ある株式会社を支配するのには、その株式総数の50%以上を所有している必要はないので、それよりずっと少ない株式数を所有していれば十分支配的地位につけるのです。

       このように、ある株式会社を支配することができるのに実際に必要な株式数のことを、「支配可能株数」といい、それは今日では、普通には株式総数の10%20%程度であると見られます(この点をつかんでおくことは、のちに独占資本の支配方法を理解するためのカギの一つになります)。

       現在、株式が僅かな額の株式しかもたない多数の小株主にますます分散した現象をとらえて、ブルジョア経済学者はそれを「株式の民主化」とよび、それがまるで資本主義企業が「民主化」して、多数の人民の「支配」に服し、人民の利益に奉仕するものに変えられた(人民資本主義!!)ことであるかのように主張していますが、これくらい人々を欺瞞する話はありません。いわゆる「株式の民主化」の本質は、「支配可能株数」をいっそう少なくてすむようにし、したがって、少数の大株主である大資本家の支配を著しく強めることにあるのです。

       ところで、株式は、株式市場(証券取引所)においては、じつはその額面価格とはべつの、ちがった価格で売買されます。それを株式の時価または相場といいます。株式相場のの大きさは、つぎのように株式の配当金額を利子率で割った額にもとづいてきまります。すなわち、貸付資本または利子うみ資本の機能が一般化すると、貨幣資本はつねに銀行に預金しさえすれば定期的に一定の率で利子をもたらします(ただし、ゼロ金利政策のもとでは、この考えが正しいかは疑問)。

       そうなると、こんどは定期的に一定の率で支払われる配当は一種の利子のようにみなされ(利子化され)、そこでの配当をもたらす株式もそれだけの利子をもたらす利子うみ資本のようにみなされる(資本化される)のです。ですから、株式は、もしその売却代金を銀行にあずけたときの利子所得が、配当と同じ大きさ、またはそれ以上になるような価格で売買されることになります。

                

       

       

       


      たとえば、いま、利子率(平均利子率または公定歩合)が年5%で、年20%の配当をもたらす額面50円の株式ががあるとすれば、その相場は、

        (=時価=相場)

      にもとづいてきまります。

      この場合、もし株式相場が200円より安ければ、株式の所有者は株式を売って銀行に預金しようとし、株式相場は、たえざる変動をとおして、結局200円に落ち着くわけです。以上でわかるように、株式相場は、配当がふえるにつれてあがり、利子率があがるにつれて下がるのです。

       

       以上のように、定期的に一定の率で配当をもたらす株式などの有価証券[1]は、ちょうどそれだけの利子をもたらす利子うみ資本のようにみなされる(資本化される)ので、擬制資本といいます。擬制資本とは、定期的にもたらされる貨幣所得にたいする請求権の価格であるわけです。

       ですから、この請求権そのものは、利子うみ資本そのものとはちがって、実際には価値もなく、したがって資本でもないわけです。このほんらいは価値でもなく資本でもない証券が、売買されしたがって価格をもつようになると、それから逆に類推されて、そこに架空の資本価値が擬制される(実際にあるかのようになぞらえられる)にいたるのです。

       さきにのべたように、利子うみ資本の成立は、資本の価値増殖の生産的基礎をまったく覆い隠すものでしたが、擬制資本はさらにそのことに輪をかけるのであって、ここにいたって資本の物神的性格の完成はその頂点に達します。さきにのべたように、資本主義の発展につれて利子率が低下する傾向にあるため、擬制資本は現実の資本よりはるかにはやく増大します。

       株式への配当は(利潤のなかから社内留保や重役賞与をひいた)利潤の一部分ですから、配当の率は、利潤率よりは低いが、しかし利子率より高いのが普通です。

      利子率i’ ≦ 配当率r’ ≦利潤率p’

       


       ですから、株式相場(時価)は、普通は株式の額面価格より高いのです。いいかえれば、擬制資本は、現実に支出された資本より大きいのです。そこで、この両者の差額が、つぎのように創業者利得という特別の利潤となって大資本家のふところにころがりこみます。

      すなわち、いま株式会社の創業(設立)にあって、巨大な資金力をもった資本家(普通は大銀行)が、その資本をいっきょに調達するとともに、全株式の発売をひとりじめに引き受けます(たとえば、額面50円の株式一億株を総額50億円でひきとり、その発売を引き受けます)。そうすると、その株式会社はまもなく事業をおこない、平均利潤をあげ、平均利子率より高い率で配当を支払うか、支払うことが確実とみなされます(たとえば、平均利子率5%のときに20%の率で配当を支払います)。

       そこで、創業にあたって全株式を額面価格でひきうけていた資本家は、それを額面価格より高い相場で発売し、その差額をまんまとふところにいれるのです(たとえば、時価1200円の株式一億株を総額200億円で売りさばき、最初に支出した資本50億円との差額150億円をふところにいれるのです)。

       このようにして、株式会社の創業にあたって、株式の発売をひとりじめに引き受けた創業者が、自分の利得として手に入れる、株式相場と株式の額面価格との差額、いいかえれば擬制資本と現実に支出した資本との差額が創業者利得です。

       (インサイダー取引は、創業時でなくても値上がり確実な情報を株式公開前に得て取得・売買することなので、創業者利得獲得に似ていますが、資本主義の高度の段階に特有な利得との差があり、また、合法、非合法の大差があります。)

       創業者利得は、たんに株式会社を新しく設立する場合だけでなく、個人会社を株式会社に組織がえする場合にも、増資をする場合にも、ひねりだされます。創業者利得の発生は、巨大な資本家が(株式の発売の独占力にものをいわせて)、ほかの多数の出資者を搾取することを意味します(創業者利得は、独占的高利潤の源泉の一つです)。

       一方では、多数の労働者が毎日汗水流して働いても、ぎりぎりの生活しかできないでいるのに、他方では、ひとにぎりの大資本家が株式の売買を電話やネットで指示しさえすれば、たちまち巨億の金がまるで魔法のように転がり込む、資本主義とはなんとあくどいカラクリに満ちた社会でしょうか。



      [1] 有価証券。普通は、一定の額の出資金とひきかえにだされる所有者の経済的利権の保証書であって、証券市場で自由に売買されます。株式・国債・公債・社債などが、そのおもなものです。


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      政治経済学再入門 51 信用と銀行の役割

      2010.12.06 Monday
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        3.信用と銀行の役割

         

        他人に貨幣を一定の期間貸してやることを信用といいます。資本主義の信用には、商業信用と銀行信用という2つの基本的な形態があります。

         (1)商業信用とは、商品の取引にあたって機能資本家どうしがあたえあう信用で、取引した商品の代金の支払いを一定の期間さきにのばすことです。つまり、普通にいわれる掛売りまたは掛買いのことです。この場合には、買い手は売り手に対して、指定の期日にある額の貨幣を支払うことを約束した債務証書、すなわち手形を発行します。

        2)これにたいして、銀行信用とは、貨幣資本家(銀行家)が機能資本家にあたえる信用、つまり貨幣資本を貸付資本に転化させることです。

        銀行は、貨幣資本そのものを商品として取引きし、債権者と債務者とのあいだのなかだちをする資本主義的企業です。銀行は、まず手形の割引という業務をします。すなわち、すぐに現金が必要な機能資本家は、自分のもっている手形の支払い期日がくるまで待っていないで、その手形を銀行にもっていくのです。すると、手形をもらった銀行は、手形の額面金額から支払い期日がくるまでの期間の利子(割引料)を差し引いただけの貨幣を渡します。このようにして、銀行信用は商業信用と絡み合うのです。銀行は、つぎにその持参人に即時に支払う約束をした自分自身にあてた手形を発行します。それが信用貨幣といわれる銀行券です。

        私たちが日常使っている貨幣は、よく知られているように、実は国家から銀行券の発行の独占権を与えられている日本銀行が発行した銀行券です。しかも、現在では、日本銀行券は金と兌換(だかん)されない不換銀行券です。インフレーションは、独占資本が国家をつかって勤労者を追加的に搾取する強力な手段になっています。こうして資本主義の信用の発展は、これまでのべてきた資本の搾取をつよめ、資本の集積と集中をはやめ、資本主義の諸矛盾を著しくはげしくします。

        銀行の基本的な業務は、一方では、あそんでいる貨幣資本(および、現実には大衆の無数の小額の所得)を預金として低い利子を払って借り入れ、他方では、その資金を機能資本家により高い利子をとって貸し付けることです。このばあい、銀行資本家は、この借り入れの利子との差額という形で、実は生産過程でつくられた剰余価値の一部分を手に入れるわけです。

        そうして、銀行資本家は、この剰余価値部分から、(1)銀行の建物や設備などに支出した「物的経費」をうめあわせたうえ、(2)銀行労働者の賃金を支払い、(3)あとにのこっている剰余分を自分の銀行利潤として取得します。銀行利潤の大きさは、資本どうしの競争をとおして、平均利潤率によって規定されます。銀行利潤は利子の一部であり、したがってその源が生産過程でつくられた剰余価値であることはいうまでもありません。

        さきの商業労働者の搾取の場合と同じように、銀行利潤の成立の過程で、銀行資本家による銀行労働者の搾取がおこなわれます。すなわち、銀行労働者の労働は価値も剰余価値も生産しませんが、その労働のおかげで、銀行資本家は、はじめて利子の差額という形で剰余価値の一部分を手に入れることができます。しかし、銀行資本家は、その剰余価値部分から「物的経費」をさしひいた残りの全部を、そっくり銀行労働者の賃金として支払うことは決してありません。銀行資本家は、もともと賃金労働者として雇い入れた銀行労働者にたいしては、労働力の価値によって規定されている賃金を支払うにすぎず、あとの剰余分は自分の利潤としてただでとってしまいます。こういう形で銀行労働者も搾取されているのです。

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        政治経済学再入門 50 貸付資本

        2010.12.06 Monday
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          2. 貸付資本、利子と企業者利得

           資本が回転する過程で、産業資本家の手元には、たとえば固定資本の償却基金などのように、一時遊んでいる貨幣資本ができます。また他方では、産業資本家は、たとえばまだその商品を売る前に現料を買い入れなくてはならないなど、急に貨幣を必要とするばあいがあります。そこで、資本家のあいだで、遊んでいる貨幣資本の貸し借りが行われます。

           【固定資本の償却基金】

           固定資本は、その価値を何回かの回転期間にわたって、それが消耗するのにおうじて、すこしずつ新しい生産物にうつしていきます。したがって、固定資本の更新のためには、資本の一回の回転期間ごとに、その価値が減ったのにみあうだけの貨幣額をつみたてておかなくてはなりません。その貨幣額を、固定資本の償却基金といいます。

           

           貸付資本とは、その所有者が一定の代償をとってほかの資本家にある期間つかわせる貨幣資本のことです。資本主義の発展とともに、銀行家のように、専門的に貨幣資本の取引を行う貸付資本家が、産業資本から自立します。そうなれば、産業資本家は、いつも自分の手元に多額の予備金をねかしておく必要がなくなり、また借入金によって自由に生産を拡大することができるようになります。貸付資本の特徴は、それを所有している資本家とそれを現実に機能させる資本家(=経営者)とちがうという点にあります。貸付資本にたいして、産業資本家と商業資本は、貨幣資本を現実に機能させますから、機能資本といいます。

           機能資本家は、貨幣資本をある期間つかわせてもらう代償に、自分の利潤の一部を貸付資本家に支払います。それが利子です。このように貸付資本は利子をうむ資本ですから、利子うみ資本ともいわれます。

           利子は利潤の一部分であり、したがって、利子のみなもとが生産過程でつくられた剰余価値であることはいうまでもありません。

           ところで、貸し付けられた貨幣資本にたいする利子の大きさの比率が利子率です。利子は平均利潤のなかかから支払われますから、利子率の上の限界は平均利潤率です。その限界内で、実際の利子率の大きさは、貸付資本の需要と供給の関係できまり、普通は平均利潤率よりかなりの低さになります。

           

          【利子率】

          たとえば、1950年〜1960年における日本の製造業の平均利潤率は、27.734.9%ですが(『経済』創刊号、p118、山岸一夫氏の推計)、これにたいして利子率は、5.58.0%でした(日本銀行調査月報)。

          現在の平均利潤率、利子率について調査・研究が必要です。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           


           資本主義が発展にするにつれて、利子率は低下する傾向があります。というのは、資本主義が発展するにつれて、平均利潤率は傾向的に低下するし、また、のちに述べるように、資本家階級の寄生的性格がまして、貸付資本の総額がそれにたいする需要より急速に大きくなる(資金過剰)傾向があるからです。

           平均利潤の一部が利子になると、平均利潤は、図のように、利子と企業者利得との2つの部分にわかれます。すなわち、企業者利得とは、利潤のうち、利子を支払ったのちに機能資本家の手元にのこる部分です。

           貸付資本の運動はG-G’です。この運の形式そのものはまったく無内容であって、ここから、あたかもリンゴの木にリンゴがなるように、貨幣が自然に利子をうみだすようないつわりの外見がうまれます。

           ここにいたって、さきにのべた資本の物神的性格はまったく完成されるのです。ところで、このようにひとたび利子が資本の本来の果実としてあらわれると、つぎに今度は企業者利得が機能資本家(経営者)の指揮・監督などの企業活動への支払いであるかのようにみなされてきます。

           このように、資本主義経済の現象面では、ものごとの本質的な関係は転倒されてしまってまるで目に映らなくなり、資本主義の搾取は完全におおいかくされてしまいます。

           ブルジョア経済学者たちの「利子は節欲のたまものである」とか「利潤は企業家の高級労働に対する報酬(賃金)である」などという無数のたわごとは、彼らがいかに資本主義経済の現象面だけをなでまわしているに過ぎないかをよく示しています。

           

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          政治経済学再入門 49 商業資本と貸付資本

          2010.12.06 Monday
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            12章 商業資本と貸付資本

             

             

            1. 商業資本と商業利潤

             まえにのべたように、資本は、その循環の中で、貨幣資本、生産資本、商品資本、という3つの姿(形態)をとります。資本のこの3つのすがたは、商品の生産にたずさわる産業資本の一定の発展段階で、互いに自立するようになります。

             すなわち、産業資本が大きくなると、そこからもっぱら商品流通の部面にたずさわる商業資本と、もっぱら貨幣の調達と貸付の部面にたずさわる貸付資本とが、それぞれ自立した一資本としてわかれるのです。

            このようにして、近代的な商業資本が、ほんらい、産業資本の流通の部面での機能を代行するものにすぎず、したがって、すでに成立している産業資本の再生産過程のなかにくみこまれ、それによって規制されています。

             しかし、商業資本一般は、商品の売買にたずさわる資本ですから、歴史的には、ある程度発達した商品流通および貨幣流通があるかぎり産業資本があらわれる以前から存在しました。

             そういう産業資本の成立にさきだって存在した商業資本を、前期的商業資本といいます。

             前期的商業資本は、資本まだ社会の再生産過程を全般的に支配しておらず、したがって、市場もまだ十分に統一され安定したものになっていないので、価値法則が商品交換を完全に規制していないという状態を、その存在の前提にしていました。そこで、前期的商業資本の利潤は、個別的に安く買って高く売ることから、すなわち、もっぱら流通における商品の価格の差(不等価交換)からひきだされました。このようにして得られる利潤を「譲渡利潤」といいます。前期的商業資本(およびそれらに貸し付けていた高利貸資本)のもとに、かなりの大きさの貨幣財産が集積されたことは、歴史的には、産業資本及び資本主義生産様式の成立の条件の一つでした。

             これにたいして、近代的に商業資本は、すでに産業資本および資本主義生産様式の支配のもとであらわれる商業資本です。たがって、その利潤は、もとより「譲渡利潤」ではありえず、むしろ価値法則の完全な作用を基礎らして成立するものなのです。みのノートでは、もっぱら近代的な商業資本と商業利潤の本質について解説します。

             というのも、その解明をとおしてのみ、前期的商業資本と「譲渡利潤」の本質もはじめてあきらかにされるからです。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

            この産業資本とは、商品を直接に生産し、したがって、剰余価値を直接に生産し、取得する資本です。産業資本の支配が成立すると、資本主義生産様式もまたはじめて成立しました。産業資本は、資本主義社会における資本の基本的な存在形態です。

             商業資本は、商品の流通過程に支出される資本です。ところで、さきに述べたように(純粋な)流通過程では剰余価値=利潤は生産されません。では、商業資本の利潤はどうして生まれるのでしょうか。

             もしも産業資本家が、その商品を自分で売らなければならないとすれば、商業用のいろいろな設備や販売員の雇い入れなどに、自分の資本の一部を追加的に支出しなくてはなりません。 

             そうすれば、自分の資本を全部生産にふりむけたときにくらべれば、(生産における)その利潤率はさがり、利潤は減ってしまいます。したがって、産業資本家は、たとえその商品を生産価格以下でひきわたしても、商品の販売を商業資本家にまかせたほうがよいことになります。

             そのうえ、産業資本家は、商品の販売を商業資本家にまかせれば、自分の資本の回転をはやめて、利潤をふやすことができます。

             さらに、商業資本が商品の流通に専門的にたずさわるようになると、分業の利益によってまえよりも流通にいる時間と費用を節約でき、また一つの商業資本が多数の産業資本の商品の販売をまとめて引き受けることができ、そのことによって、資本全体の流通費用が少なくてすむようになります。こういう諸事情のために、産業資本家は自分の商品をその生産価格より低い価格で商業資本家に引渡し、商業資本家はそれを生産価格で売って、その差額を自分の利潤として手に入れるのです。こういうしくみで、生産過程でつくりだされた剰余価値の一部分が、商業資本に分配されます。

             このように、商業利潤とは、剰余価値のうち、産業資本家が自分の商品を実現してもらう替わりに商業資本家にゆずりわたす部分です。こうして、剰余価値は、産業利潤と商業利潤とにわかれます。

             商業資本の運動は、G – W - G’です。ここでは、生産資本の段階はなくなっていて、生産との結びつきは外見上はたちきられています。ここから、商業利潤が価格のつりあげからうまれるような偽りの外見がうまれます。こうなると、先に述べた「利潤の真の性質と起源」はいっそう覆い隠されてしまいます。

             ところで、商業利潤の大きさはどのようにしてきまるのでしょうか。

             もしも、商業の利潤率が産業の利潤率より低ければ、商業資本の一部は引き上げられて、産業資本代えられます。逆の場合には、逆です。こうして、より高い利潤率をもとめる資本の競争と移動をとおして、産業資本と商業資本の利潤率は平均化されます。

             このように、商業資本は利潤の生産にはくわわりませんが、利潤の分配にはくわわり、産業資本と一緒になって新しい平均利潤率の形成に参加するのです。こうして形成されたあたらしい平均利潤率(P’’)は、産業資本だけが平均利潤率の形成に参加すると過程した場合の平均利潤率(P’)より当然小さく、剰余価値=総利潤の産業資本と商業資本とをあわせた全資本に対する比率できまります。

             すなわち、図のように、産業資本の総量(C+V)は500兆円、剰余価値=総利潤(m)は150兆円、したがって平均利潤率(P’)は30%1桁は切り捨て)であるとします。つぎに、この新しい平均利潤率が形成されたときの商業資本の総量を250兆円とすれば、新しい平均利潤率(P’’)は、

            であり、したがって、産業利潤は100兆円(500×20%)、商業利潤は50兆円(250×20%)になります。

             

              商業利潤の成立の過程で、商業資本による商業労働者の搾取が行われます。まず、商業資本に雇われる商業労働者もまた、生産労働者とおなじ賃金労働者です。なぜなら、彼らもまた、生産労働者とおなじように、もともと自分を雇った資本の利潤追求の手段にすぎず、彼の労働力を商品として売っているのであり、したがって、彼の賃金の大きさはその労働力の価値によって規定されており、彼の労働の量やそれによってもたらされる利潤の量とはなんの関係もないからです。

             商業労働者の労働は、なんらの物質的財貨=商品を生産せず、したがって、価値も剰余価値も生産しません。しかし、商業労働者のおかげで、商業資本家は、はじめて生産過程で作り出された剰余価値の一部を手に入れることができます。

            商業資本家は、この剰余価値部分から、

            1)商業用の建物や設備などに支出した「物的経費」を埋め合わせたうえ、

            2)商業労働者の賃金を支払い、

            3)あとにのこっている剰余分を自分の商業利潤として取得します。[1]

             すなわちこの場合、商業資本家が、生産過程からひきだした剰余価値部分から「物的経費」をさしひいたのこり全部を、そっくり商業労働者の賃金として支払うなどということはありません。商業労働者にたいしては、あくまでその労働力の価値によって規定されている賃金を支払うにすぎず、あとの剰余分はただでとってしまう、すなわち搾取するのです。

             商業労働者の労働も不払い労働と支払い労働に別れます。そうして、「労働者の不払い労働が生産資本のために直接に剰余価値をつくりだすのとおなじように、商業の賃金労働者の不払い労働は商業資本のためにこの剰余価値の分け前をつくりだす」のです[2]



            [1] ここに述べた(1)の商業用の「物的経費」(これを流通手段といいます)、および(2)の商業労働者の賃金は、純粋に流通費用です。したがって、これらへの支出は、社会的にみれば、いわゆる「空費」であり不生産的支出ですが、商業資本にとっては、「資本投下」であり生産的支出です。「商人にとっては(ほんらいは“空費”である)流通費が彼の利潤の源泉としてあらわれ、この利潤は、---平均利潤率を前提すれば---流通費の大きさに比例する」(『資本論』)わけです。

            [2] 『資本論』

            政治経済学再入門|-|-|-|-|by ネコスキイ

            政治経済学再入門 48 利潤率の傾向的低下の法則

            2010.12.06 Monday
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              3 利潤率の傾向的低下の法則Gesetz des tendenziellen Falls der Profitrate  p221

               

               すでに述べたように、おなじ生産部門の内部の資本どうしが、特別剰余価値(超過利潤)をもとめて、たがいにあらそって技術を改善する結果、その生産部門の資本の有機的構成(資本の有機的構成比c/v=c’ )はたかまります。

               このようなことは、すべての生産部門でおこります。したがって、資本の蓄積過程で、社会的総資本の有機的構成もたかまるのです。その結果、平均利潤率が低下する傾向が生まれます。固定資本が流動資本よりいっそう急速に増大するため資本全体の回転が遅くなることも、この傾向を強めます。再録。

              搾取過程で果たす役割よる区分

              ◆資本の構成◆

              回転のしかたによる区分

               

              不変資本

              工場の建物

              固定資本

              機械・設備

              原料・燃料・補助材料

              流動資本

              可変資本

              労働力を買う賃金

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               しかし、この傾向をもたらす資本の蓄積過程は、他方では同時に、その内部につぎのような利潤率の低下に反対に作用する諸要因

              Counteracting Factors)を伴っています。

              1)第一は、剰余価値率の増大です。

               資本の有機的構成がたかまることは労働の生産性の向上と結びついていますが、それは同時に労働日の延長、労働の強化をもたらし、剰余価値率をたかめ 、したがって、利潤率の低下に反対に作用します。

              2)第二は、不変資本の価値の低下です。

              労働の生産性が向上すると機械や現料などの生産手段の価値がさがり、それは資本の有機的構成がたかまる速度をおくらせて、利潤率の低下に反対に作用します。

              3)第三は、相対的過剰人口の増大です。

               資本の蓄積過程は、相対的過剰人口をうみだし増大させますが、それは、一方においては、賃金水準をきりさげるとともに、他方においては、低賃金の労働者を中小企業などの資本の有機的構成の低い生産部門におくりこんで、それらの部門を維持し利潤率の低下に反対に作用します。

               利潤率の低下の傾向に反対する諸要因のうちで「もっとも一般的なもの」として、マルクスは、『資本論』のなかでは、ここにあげた3つの他に、(4)「賃金の労働力の価値以下への切り下げ」、(5)「外国貿易」、(6)「株式資本の増加」の3つをあげています。

               さらに、現代的要因として、不破氏は、「マルクスと『資本論』」の中で(2巻、p130132)、(7)独占資本主義の成立、(8)帝国主義の地球支配、(9)国家独占資本主義の発展をあげています。

               

              以上のように、資本の蓄積過程は、利潤率の低下の傾向をもたらすとともに、他方では、その同じ過程の内部にこの傾向に反対に作用する諸要因を伴っています。しかし、これらの「反対に作用する諸要因」は、ほんらい、利潤率の低下の傾向を完全におしとどめるものではありません。

               なぜかとう理論的な理由は、次の点にあります。

               利潤率の低下の傾向に反対に作用する諸要因のうちで、もっとも基本的な要因は第1の「剰余価値率の増大」に帰着するものです。そこで、いまもっとも基本的な要因である「剰余価値率の増大」についてみると、それは、資本の蓄積につれてますます増大していく不変資本(=蓄積された労働)にくらべて可変資本(=生きた労働)が相対的にますます減少していくなかで、進行することにすぎず、したがって、それが利潤率の低下に反対に作用する範囲または基盤そのものがますます縮小していかざるをえないわけです。それゆえ、剰余価値率の増大が利潤率の低下をおしとどめる作用には、(いまの資本の搾取にたいする労働者の組織的抵抗などの現実的な諸事情を度外視しても)なお、ほんらい、こえることのできない一定の限度があるのです。

               20世紀の最初から、修正主義者たちがとなえてきているマルクスの利潤率の傾向的低下の法則は「論証不可能」で「不確定」なものであるという主張は、おもに、以上の点についての無理解に根ざしています。

               

              それゆえ、平均利潤率は、「反対に作用する諸要因」によって弱められたり中断されたりしながら、したがって、資本の有機的構成の高度化や回転速度の緩慢化に比例してではありませんが、長期的に見れば、しだいに低下していくのです。

               そこで、これを利潤率の傾向的低下の法則(The Law of the Tendential Fall in the Rate of Profit 『資本論』第3部第3篇)といいます。

               ところで、利潤率の低下は、けっして(絶対的)利潤量の減少を意味しません。それどころか、平均利潤率の低下の傾向は、実は、社会的総資本が取得する利潤の総量の増大とたがいに結び合わさっているのです。

               なぜならば、利潤率の低下の傾向をもたらす資本の蓄積過程が、

               ‖莪譴望衢床礎洋┐鯀大させるからであり、

               第二に、社会的総資本に使用される労働者の数を増大させるからです。

               ところで、平均利潤率の低下にもかかわらず利潤の総量を増大させるには、資本の有機的構成の高度化とそれによる平均利潤率の低下よりもいっそう急速に社会的総資本が増大しなくてはなりません。たとえば、利潤率が2分の1に低下ししかも利潤量を増大させるためには、資本投下を2倍以上に増大しなくてはならないからです[1]

               したがって、平均利潤率の低下の傾向は、このように利潤率の低下を資本の規模の拡大による利潤量の増大でおぎなうための、社会的総資本のいっそうの急速な蓄積を強制します。

               そして、このいっそう急速な蓄積は、またあらたに平均利潤率の低下の傾向をつよめます。このように、利潤率の傾向的低下の法則は、もともと平均利潤率の低下と利潤の総量の増大との対抗関係と矛盾を含んでいるのです。

               利潤率の傾向的低下の法則は、利潤の追求を自己目的とする資本主義生産の深刻な矛盾と、資本主義の歴史的限界性をしめしています(注意!!)。

              この法則は、一方では、利潤の総量の分配をめぐる資本家階級の内部の矛盾をはげしくし、他方では、資本による労働者の搾取の強化を呼び起こして、資本家階級と労働者階級との矛盾をはげしくします。そうして、資本家は、利潤率の低下を資本の規模の拡大による利潤量の増大によって補おうとして、支払い能力のある需要をこえて、ますます生産の規模を拡大します。このために、生産と消費との矛盾はふかまり、恐慌への危険性がいっそうつよまります(ここに論理的飛躍がある-------下記(注)参照)。

               また、資本家は、利潤率の低下を防ぐために、独占を形成したり、利潤率の高い植民地や従属国に資本を輸出したりしようとします。

               これらの事情は、「帝国主義論」の分野になります。

               

              (注意)これは、『資本論』の根幹をゆるがす根本的提起です!!!!!!!!!

              1.利潤率の低下は資本主義経済だけの特有の問題か? 

                不破氏は、「『資本論』全三部を読む」(第6冊、p7884)の中で、社会主義の経済体制の中でも、この法則は作用し続けると提起しています。レーニンも、大局的にはそのように考えていたようです。(「レーニンと『資本論』」第1巻、第五章「実現論争・後日談社会主義社会の再生産表式」参照)。

               

              2.平均利潤率の傾向的低下の法則と恐慌とは結びつかない!!

                「(マルクスは)この結びつきを事実に裏付けられた説得力をもって解明することには成功していません」(「『資本論』全三部を読む」(第6冊、p86))



              [1] いわゆる「薄利多売」という経験的商法は、このような利潤率と利潤量との関係が、資本の競争の過程で転倒されて、個々の資本家の実践上の意識の中に現れたものにほかなりません。

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              政治経済学再入門 47 サブ・プライムローン

              2010.12.06 Monday
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                応用編 アメリカのサプ・プライムローン問題について

                 利潤の高い部門への資本の移行は、基本的には以上の解明で十分です。サブ・プライムローン問題は、その証券化などで儲かるところへ大量の投機マネーを流入させ、安く買って高く売る作用を繰り返し、儲からないと見たら次の対象に移るという流れは、同じです。

                 これは、ローン証券から、石油、食糧、金・・・など生産しないのに名目の価格を吊り上げて売り抜ける錬金術です。この売買差益 の一部は、再度、生産部門に流入して、平均利潤率の法則にしたがうことになるとしても、大半は、利潤のための利潤になります。

                 しかし、この投機マネーは生産・流通過程または政治・モラルを破壊する極限まで働く可能性があるので、「我なきあとに洪水よきたれ」の典型になります。

                ◆「投機」の経済学的説明

                 投機は、商品流通過程で生じるところの「実需給」を反映した価格変動に外部から吸着して売買差益を入手する活動である。・・差益のみを目的とする投機的需給=「仮需給」はそれ自体としては生産的意義をもたない寄生的なものです。

                 不破哲三『マルクスは生きている』[1]では、マルクスの「恐慌論」を深めるなかで、「架空の需要」について説明しています。すなわち:

                古典派経済学では需要供給はつねにその均衡が破られますが、市場の調節作用で回復すると見ています。しかし、実体経済は、恐慌にいたる過程ではその市場の調節作用は働きません!ブレーキが利かないのです。マルクスが、この恐慌にいたる過程でのバネとして注目したのが、商品の売買に商人資本が入り込んでくることです。つまり、資本が商品を生産してお金を得るということは、銀行が一旦、商品を預かることでも成立するのです。現実の需要がなくても、商品を消費者の手に移す流通過程が完了する前に、次の生産に取りかかれるのです。これをマルクスは「流通過程の短縮」と呼んでいました。そして、現実の需要がしぼむ、つまり、購買力がなくなるとたちまち、「架空の需要」が瓦解して銀行は支払い不能に陥るのです。すると生産資本に打撃が跳ね返り、そこに働く労働者に襲いかかるのです。2008年末の「非正規切り」現象は、こういう資本運動の本質現象だったのです。さらに、マルクスは、恐慌を大規模化する上で、「信用制度」と「世界市場」が特別の役割を果たしていることに注目しています。

                 

                 以上であきらかなように、生産価格はマルクスのいうように「価値の転化形態」[2]なのであり、また資本主義の下では、さきにのべた価値法則の作用によるそれぞれの生産部門のあいだへの社会的労働と生産手段の配分は、平均利潤率と生産価格の形成をとおしておこなわれるのです。

                 ところで、このように利潤率が平均化し、価値が生産価格という形をとると、資本主義の搾取はますます覆い隠され、利潤の真の源がますますわからなくされます。「個々の生産部門における利潤と剰余価値とが現実にちがう大きさであることは、いまや・・・利潤の真の性質と期限とをすっかり覆い隠してしまう。価値が生産価格に転化されれば、価値規定そのものの基礎は目に見えなくなる」[3]のです。

                 平均利潤率の法則は、一方では、剰余価値の分配をめぐる資本のあいだのはげしい競争関係と矛盾をしめすとともに、他方では、資本家階級と労働者階級とのいっそうの発展し深刻になった敵対関係と矛盾をしめしています。

                 すなわち、平均利潤率と生産価格の形成の過程で、資本家は労働者から搾取した剰余価値=利潤をまず全体としてひとまとめにし、個々の資本家は、普通はたがいの自由を通してそれぞれ自分の支出した資本額(c+v)に応じて分配しあうわけです。

                 ですから、個々の資本家の利潤には他の生産部門の労働者が生産した剰余価値も混じっています。そうして、平均利潤率と平均利潤の増大は、資本全体による労働者全体の搾取の増大にかかっています。したがって、資本家は、自分の企業での搾取に関心をもっているだけではなく、他の企業での搾取にも関心をもっており、社会全体の規模で資本家階級による労働者階級の搾取が増大することを資本の本能によって望んでいるのです。

                 このように、平均利潤率の法則は、資本による労働者の搾取はもともと単に個別的なものではなく階級的なものであること、すなわち、資本家階級全体が労働者階級全体を搾取していることを、いっそうあきらかにしています。ここに、資本の搾取とたたかうために、労働者階級が、所属する企業や部門のわくを超えて、階級として団結しなくてはならない経済的な根拠があります[4]

                 

                [1] 『マルクスは生きている』

                [2] 『資本論』

                [3] 『資本論』

                [4] 三井三池闘争がその例です。

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                政治経済学再入門 46 平均利潤と生産価格

                2010.12.06 Monday
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                  2 平均利潤と生産価格

                   

                   資本主義社会にはさまざまな生産部門があり、それらのちがった部門では、技術の水準の違いに応じて資本の有機的構成が違います。たとえば、製鉄部門では、c : v =80 : 20、製糸部門では、c : v =60 :40 というように違います。それゆえ、いま剰余価値率を社会的に一定の大きさとすると、資本有機的構成の低い部門ほど大きな剰余価値が生産され、したがって、(これまでのように商品がその価値どおりに売られることを前提とするかぎり)、その利潤と利潤率は大きいことになります。

                   (すでに見たように、労働日の長さと賃金の水準とは、一定の国の一定の時代にはある標準的にきまった大きさをもっているので、剰余価値率をおなじ大きさとすることは、現実にも根拠のあることなのです。なお、ここでは、問題を簡単化してあつかうために、表 の注の(ニ)にしめしたように、資本の回転期間の違いは度外視します。)

                   

                  しかし、実際には、さまざまな生産部門の資本どうしの競争をとおしての生産部門の利潤率は平均化され、同じ大きさの資本は等しい利潤をうけとるのです。表 と図 によって、そうなる事情を説明しましょう。

                   社会は資本の有機的構成が違う5つの生産部門(ABCDE)から成り立っており、それぞれの部門に同じ大きさの100億円の資本が支出され、剰余価値率は100%とします。そうすれば、表 のように、それぞれの部門では違った大きさの剰余価値が生産され、それに応じて違った利潤率(=特殊的利潤率)が成り立ちます。

                   特殊的利潤率とは、ある生産部門の内部の多くの個別的資本の個別的利潤率の平均、またはその部門の標準的な資本の利潤率のことです。この特殊的利潤率は、実は、すでに特別剰余価値の生産のところで説明したように、おなじ生産部門の内部における資本どうしの競争をとおして形成されるのです。

                   



                   

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                  政治経済学再入門 45 利潤と利潤率

                  2010.12.06 Monday
                  0
                     

                    11章 平均利潤率と生産価格の形成

                     

                    1 利潤と利潤率

                     

                     これまでで、資本の生産過程でいかにして剰余価値が生産され増大されるか、また資本の流通過程をとおしてそれがいかにして維持され再生産されるか、があきらかになりました。そこで、これからは、その剰余価値がどのような現象形態[1]をとってあらわれるか、またそれがどのようにして資本主義の搾取者たち(資本家と地主)のあいだに分配されるか、を考察することにしましょう。

                     

                     剰余価値は、可変資本で買われた労働力が使用される過程でのみつくりだされます。しかし、資本家は、商品を生産して剰余価値を手に入れるためには、可変資本ばかりではなく、不変資本をも支出しなくてはなりません。したがって、資本家にとっての商品の生産費用は、不変資本と可変資本とへの支出すなわち、c+v です。これを、費用価格といいます。資本家の立場からみれば、剰余価値は、費用価格をこえる商品の価値(販売価格)の超過分としてとらえられます。したがって、資本家は、自分のもうけをはかる場合、この超過分を支出した全資本と比べてみます。

                     このように支出された全資本に対して捉えられた剰余価値を、利潤といいます。不変資本と可変資本が費用価格という形をとると、互いの本質的な区別が消し去られて、ともに商品の価値(販売価格)からまず補填されるべき「費用」として現れるのにたいして、剰余価値が利潤という形をとると、あたかも支出された全資本(費用価格)が生み出した果実であるかのように現れるのです。

                     最近の言い方では、「費用対効果」などともいいますが、この場合の「効果」は利潤より広い「影響」を含んでいます。

                     すなわち、ちょうど労働力の価値が賃金という形をとると、労働者の全労働に対して支払われているかのような外見をとって搾取関係を覆い隠したように、剰余価値が利潤としいう形をとると、全資本がそれをうみだしたものであるかのような外見をとって、搾取関係を覆い隠すのです。それゆえ、利潤を「剰余価値の転化した形態」または「神秘化された形態」 [2]と呼んでいます。

                     つぎに、支出された全資本(費用価格)にたいする剰余価値(利潤)の比率、すなわち、m/(c+v) を、利潤率(p)といいます。

                     

                                      

                                   ・・・・・・・

                     

                     

                     利潤率は、剰余価値率(p’)より必ず小さく(数式より明らか)、したがって搾取を覆い隠すとともに、搾取の度合いをすくなくしか反映しません。

                     ところで、資本家は、利潤率にこそもっとも直接に関心を寄せているのであって、いつもまず自分の利潤率を高めようとつとめます。それでは、利潤率の大きさは、基本的には何によって決まるのでしょうか。

                     

                    1)第1に、剰余価値率の大きさによって決まります。他の条件が同じならば、剰余価値率が大きくなるほど利潤率は大きくなります。したがって、資本家は、すでに述べた方法によって剰余価値率をたかめようとつとめます。

                      ー阿如⊂衢床礎洋┐髻p’= m/v  として、変形すると、m=p’v となり、資本の有機的構成比c/v=c’ だったので、

                     


                                  

                                                                      ・・・・・・

                     

                     

                    2)第2に、それは資本の有機的構成の高さによってきまります。剰余価値率が同じならば、資本の有機的構成が低いほど利潤率は高いのです。というのは、おなじ大きさの資本でも、不変資本部分が小さく、可変資本部分が大きいほど、より多くの剰余価値を生産するからです。したがって、資本家は、とりわけ不変資本を使用するうえでの節約につとめることになります。すなわち、資本家は残業・昼夜交代制などによる工場設備・機械・コンピュータの効率的な利用、および大量生産・協業・技術の改良などによる工場設備・機械・コンピュータ・現料費等の節約につとめます(これは社会にとって良い場合と労働条件にとって悪い場合があります)。それとともに、資本家は、他方では、保安や労働条件の工場のための支出を出し惜しみ、労働者をしばしばせまい作業場所、劣悪な通風・室温、休息施設・安全装置の不備といった状態に追い込みます。

                      はては、JR西日本事故やトヨタ・リコール問題のように、公共の安全を守る最新の装置を設置しないなどの状態(公共安全欠如)、△泙拭排ガス・排水処理器を設置しないなど環境汚染(人間環境・地球環境)までおこし地球環境にまで影響することがわかつています。

                      ⊆阿茲蝓c’ が低いほどp が大きくなることがいえるからです。

                     

                     

                    3)第3に、それは資本の回転の速さによっても左右されます。資本の回転が速いほど、年間利潤率がたかまります。したがって、資本家は、すでに述べた諸方法によって資本の回転をはやめようとします。すなわち、(ア)労働日をのばすことによって、(イ)労働の生産性をたかめることによって、(ウ)労働の強度をつよめることによって、(エ)新しい技術を応用して労働が中断されざるを得ない時間を短くすることによって、生産期間を縮めようとします。また、(オ)運輸・通信・商業組織などを改良することによって、流通期間を縮めようとします。この全体のやり方をすすめる一方法が、最近では、「コンピュータ生産様式」です。

                      年間利潤率は、すなわち、1年間に生産された剰余価値(利潤)の支出した全資本(費用価格)にたいする比率のことです。剰余価値率と資本の有機的構成が同じならば、年間利潤率は、可変資本の回転速度に比例して、または回転期間に反比例して変動します。

                      また、「3 固定資本と流動資本、年間剰余価値率」のところで、「たとえば、いま8時間労働日のもとで50日かかった仕事は、労働日を10時間に伸ばせば40日間ですみます」という説明を、50日×8時間=40日×10時間、これを一般化して、n1t1=n2t2として、回転速度を一製品あたりt1t2とすれば、「t1からt2に回転速度が上がった」ということにし、回転期間を一製品あたりn1n2とすれば、「n1からn2に回転期間が短縮された」ということにしました。

                    ここから、n1t1=n2t2=nt=const(一定) なら、n1n2t1t2は、それぞれ反比例することがわかります。

                    これをさらに一般化して、剰余価値率 p’= m/v   資本の有機的構成比  c/v=c’  から、

                    したがって、年間の剰余価値率は、堯p’= nt×m/v = nt p’

                    年間に投入する可変資本、不変資本が一定なら、年間利潤率は

                     

                    nは回転速度、tは回転期間)

                     

                     

                     


                      となり、剰余価値率と資本の有機的構成比が同じならば、年間利潤率は、可変資本の回転速度に比例して、または回転期間に反比例して変動するといえます。



                    [1] 現象形態。事物の本質または本質的関係が、直接に目に見える形をとって外面にあらわれたもの。

                    [2] 『資本論』

                    政治経済学再入門|-|-|-|-|by ネコスキイ

                    政治経済学再入門 44 社会的総資本

                    2010.12.06 Monday
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                      4 社会的総資本の再生産と流通

                       

                       個々の資本の循環は、互いに切り離せないように絡み合っています。たとえば、紡績資本が循環をくりかえすためには、紡績機械や綿花の資本の循環が前提されているし、それはまた、織物の資本の循環となっているというような具合です。このように互いに関連し、依存し合っているすべての個々の資本の総体を社会的総資本といいます。

                       ところで、社会的総資本の循環の過程がくりかえされるためには、その過程の内部で無数の個々の資本のあいだにどのような関係がなければならないかということが問題になります。すなわち、社会的総資本の再生産と流通が滞りなく行われるためには、社会的総資本の生産物すなわち社会的総生産物がすべて貨幣に代わることができ、さらにその貨幣が、社会的総資本が生産をつづけるのにいる生産手段、および労働者と資本家が生活をつづけるのに必要な消費手段(または生活手段)にかわることができなければなりません。このことは、すでに述べたように、資本主義に固有な競争と生産の無政府性のもとでは市場をとおして自然発生的に行われますが、そのばあいに、社会全体からみれば、どのような条件が必要とされるかが、問題になるのです。

                       今、問題を込み入らせないで純粋に考察するために、社会は労働者と資本家だけからなりたっており、不変資本は一年間に全部消費され、その価値はすべてその年の生産物に移されると仮定しましょう。

                       そうすれば、年々の社会的総生産物(W’)は、価値の点からみれば、不変資本、可変資本と剰余価値に、すなわちc+v+mにわかれます。現物形態(使用価値)の点からみれば、生産手段と消費手段にわかれます。

                       

                        価値の点からみれば         社会的総生産物        使用価値の点からみれば    

                      c + v + m                W’                機 棔´

                      不変資本、可変資本、剰余価値                      生産手段、消費手段

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       


                       これに応じて、社会的総生産物は、生産手段の生産部門=第一部門(機砲半暖饉蠱覆寮源塞門=第二部門(供砲砲錣れます。

                       このようにみるならば、競争と生産の無政府性のもとで、社会的総資本の再生産と流通はどのようにして行われるかという問題は、結局、社会的総生産物のそれぞれの部分が価値と現物形態との点で、たがいにどのように埋め合わされるのかを明らかにすることなのです。レーニンは、これを社会的総生産物の実現の問題と呼んでいます。

                       

                      1)社会的総資本の単純再生産の場合

                        剰余価値がすべての資本家によって個人的に消費される場合の「実現」の条件をみて見ましょう。

                        表 にしめすように、価値の単位はたとえば1兆円として、第一部門の不変資本は4000、可変資本は1000、剰余価値は1000とします。第二部門の不変資本は2000、可変資本は500、剰余価値は500とします。そうすれば、まず第一部門の4000cは、第一部門の生産手段の更新に当てられるのですから、この部門の内部の個々の資本家のあいだでたがいに埋め合わされます。つぎに第二部門の500v500mは、第二部門の労働者と資本家の消費手段に当てられるのですから、やはりこの部門の内部で埋め合わされます。ところが、第一部門の1000v1000mは、現物形態では生産手段ですから、第局門の生産手段の更新に当てられ、また第二部門の2000cは、現物形態では消費手段ですから、第一部門の労働者と資本家の消費にあてられなくてはなりません。このため、第一部門の1000v1000mが、第二部門の2000cと交換されかければならず、この両者の価値が大きさが等しいこと、すなわち、機v+m=cが「実現」の条件です。(市場で商品が混乱なく売れるということです。)

                      1000v  +  1000m

                                       機4000c  +                                                            =  6000  

                        W’  =  

                      2000c

                                                                                +   500v   +   500v      =  3000

                       

                      v+m=c

                       

                       

                       


                      2)社会的総資本の拡大再生産の場合

                        剰余価値の一部分が蓄積される場合には、どのような条件が必要でしょうか。社会的総資本の拡大再生産においては、その基礎である単純再生産が行われたうえに、なお剰余価値のうちに蓄積される部分が追加の生産手段と追加の労働力に支出されなくてはなりません。したがって表 に示すように、第一部門の一年間の生産物は、単純再生産に必要な生産手段の料よりも大きくて、いくらかの追加分をあらかじめ含んでいることが必要です。いいかえれば、第一部門の1000v1000mが第二部門の1500cよりもその価値が大きくなくてはなりません。すなわち、機v+m)>c が、拡大再生産の実現の条件です。

                      1000v  +  1000m

                                       機4000c  +                                                            =  6000  

                        W’  =  

                      1500c

                                                                                +   750v   +   750v   =  3000

                       

                      v+m)>c

                       

                       

                       


                       ところで、資本主義に固有な競争と生産の無政府性のもとでは、このような社会的総資本の再生産の条件は、実際には満たされないのであって、したがって社会的総生産物の実現の過程は、理想的に滞りなくすすむのではなく、絶え間ない動揺と困難のうちに行われているのです。

                       しかも、資本の拡大再生産の過程においては、実は不変資本部分は可変資本部分よりいっそう急送に大きくなり、資本の有機的構成がたかまります。したがって、社会的総資本の再生産過程では、生産手段の生産部門は消費手段の生産部門よりもいっそう急速に発展します。このような社会における生産手段の生産の優位性という点に、もともと消費を省みない「生産のための生産」または「蓄積のための蓄積」という資本主義の拡大再生産の特徴がしめされており、結局、「社会的総資本の、理想的に円滑な、そして均衡のとれた再生産と流通がおこなわれているばあいさえ、生産の増大と消費の限られた限界とのあいだの矛盾は不可避である、という結論が出てくる」 [1]のです。



                      [1] レーニン「ふたたび実現理論の問題によせて」

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