跳躍 マル・エン全集ノート3  Fのテーゼとイデオロギー

2011.09.28 Wednesday
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    ヤマサ醤油
    ¥ 3,730
    (2011-03-11)
    コメント:この美味さは食べてみることの内にある。

    JUGEMテーマ:学問・学校

     1845-1846
     マルクスとエンゲルスは理論だけでなく、政治活動に深く入りこんで、教養ある人々や組織されたプロレタリアートとの付き合いも深めました。
     それまでの社会主義を科学に仕上げる任務とプロレタリアートをその信念の味方にすることとは、革命をすすめるうえでともに重要でした。
     というのは、前にも述べたように、社会変革を担う勢力はプロレタリアートだからですね(これ以後は、「働く人々」と呼称する)。
     
     すでに2人は同じ革命的世界観、ここでは「ラインの黄金比率」をつかんでいましたから、ブルジョア・プチブルジョアとのたたかいのなかで、それを研ぎ澄まして行きました。
     まずヘーゲルの客観的観念論、その弟子(青年ヘーゲル派)の主観的観念論とのたたかいが重要でした。
     そのたたかいの武器としては、フォイエルバッハの唯物論哲学が必要でしたが、実は、その武器も欠陥がありました。
     そこで2人は、弁証法と唯物論を結びつけることで、その欠陥を補い質的に新しい鉄壁の弁証法的唯物論を仕上げて行ったのです。
     
     『F(フォイエルバッハ)に関するテーゼ』は、短い箇条書きの文書です。それが、青年ヘーゲル派などとのたたかいの烽火となっています。
     そして、当時、それが人民を抑圧する勢力との思想闘争のフロントラインなのでした。
     
     そのうちの一つ、第11テーゼは最も有名です。
     「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」
     この意味は、哲学を全面否定することでなく、政治的実践のない観念論を打破する言葉で、理論と実践が不可分であるということを簡潔に述べた文章だということです。
     プリンの味は食べてみないとわからない。現在風に言えば、ポン酢ジュレの味はかけてみないと分からないのです。
     
     さらに、もうひとつ認識を深めるべきは、その実践的哲学的態度による人間解釈が前進している点です。
     フォイエルバッハは人間を抽象的に、非歴史的に考察しました。古代人も、封建時代人も、現代人も、全く意識の変化が無いものとしての解釈です。一方、マルクスは、人間を「社会的諸関係の総体」から考察しました。人間の社会的存在が人間の意識を規定するとのすでに認識を持っていたのです。

     この言わば「歴史人間」という哲学を完成させていた1845年、ブリュッセルでエンゲルスとともに2人の見解を練りあげました。
     この共同労作が『ドイツ・イデオロギー』に結実します。が、公刊することには成功せずネズミに原稿をかじらせていたのです。
     この著は、自然と社会の発展法則を明らかにしています。
     『Fのテーゼ』でもハッキリしていた人間観を、人間の社会的存在が社会的意識を規定するとした命題の根拠まで明らかにしている点が、前進している点です。
     では、その「社会的存在」とは何か?
      それは生産様式、生産力と生産関係です。これを抽象的にではなく、明確にしているのです。
     ただし、テクニカル・タームの問題があり、これらを「交通様式」、「交通関係」という用語になっているので注意すべきです。
     
     ともあれ、
     1.政治的およびイデオロギー的上部構造が、歴史的発展のその時々の段階に存在している経済
      的諸関係に最終的には規定される。
     2.「国家」の役割が経済支配の権力の道具となっている。
     3.実践的な意味で階級闘争と革命が歴史的発展の推進力である
     ということが示されています。
     
     「支配をめざすそれぞれの階級は、・・・まず政治権力を獲得しなければならない」
     と述べて、まず働く人々とその支持を受けた党・勢力が政治権力を握ることを強調します。けっして、一党独裁ではありません。ソ連的マルクス・エンゲルス全集の解釈には全く理解できません。
     政治権力と言っても、立法権だけとか、行政権だけとかとも述べていません。
     司法権と教育権については、この段階でマルクス・エンゲルスがどう解釈していたのかはまだ分かりません。
     日本流に考えれば、目立つ行政権≒政治権力になりますが、これではまだ足りないのです。
     ここで言う「政治権力」とは、行政権+立法権ということになりましょうか。
     ただし、行政権はサボタージュを許さない財界より国民に視線をあわせたものが必要です。立法権も現在よりも充実した立法調査権を行使できる質的・量的体制が必要です。司法権も日本国憲法を変えないならば、完全な独立性が保障されないし、教育権に到っては家永裁判はあるもののまだ国民の常識になっていません。
     その点で、歴史の大きな大きな流れからするなら、モンテスキュー以来の三権分立主義をはやく見直し、教育権を加えて四権分立主義を主張する時期に来ているのです。
     ただ、軍隊をもって侵略戦争(集団的自衛権)に加担しようという流れに抗して、日本国憲法を守ろうということも真理なので、今、声高に主張することは得策ではないのです。次の世代、22世紀が主張することかなぁ。でも、もう22世紀を生きるかもしれない赤ちゃんは確実に増えています。
     橋下大阪府知事の教育介入で少しは国民は目覚めるかもしれません。

     ちょっと、横にそれましたが、マルクスはそれまでの革命と働く人々の革命の違いは、「搾取の廃止」だと言うのです。 それは、生産関係が生産力の正確に必ず最終的には照応すると経済的法則から実現可能だというのです。
     そしてそれが共産主義だというのです。その担い手は働く人々だということは前に述べました。
     その生産力の発展ではじめて人間はあらゆる能力と素質を全面的に発揮する可能性を手に入れることができるのです。
     ということは、共産主義社会は良い社会だということです。マスコミが宣伝するのは嘘っぱちです。やくざと今頃手を切ろうというのですからネ。銀行も東京都もしかり。

     
     

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    跳躍 マル・エン全集ノート2 サグラダ・ファミリアの真紅

    2011.09.21 Wednesday
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      リチャード ミラー,鳥居 徳敏
      西村書店
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      (2004-09)
      コメント:ブログの本文とは関係ないけれど。

      JUGEMテーマ:学問・学校

       1844-1846
        1844年8月末、「時代の子」としての同じ思想をはぐくんできた若きマルクスとエンゲルスはパリで出会いました。
       「ラインの黄金比率」は‥学的には唯物論をもとに思考する、⊆匆颪虜澆衒として共産主義をめざす、その分析・総合の「武器」は新しい経済学、というところでしょうか。
       二人は出会い、さらにこれらに磨きをかけて行きます。
       
       最初の共同作業として論文『聖家族 別名 批判的批判の批判。ブルーノ・バウアーとその伴侶を駁す』があります。ここでは、当時、一世風靡していたバウアーの主観主義を批判して、その師であるヘーゲルの考えも建設的に批判していきます。
       批判するが少しは良いところもあると言って、ヘーゲルの弁証法を挙げています。しかし、その弁証法が「絶対理念の自己展開」の原動力として使われると、科学的に物事を見ることができなくなるので、その点は指摘しています。
       
       英雄だけでなく大衆が人類の歴史を変える。
       「ラインの黄金比率」、弁証法的唯物論を歴史に適用して、この考えに到ったことが論文『聖家族』の到達点でした。これが多数者革命論の先駆けでした。そして「共産主義」が唯物論から出てくる論理的帰結であることも示したのです(注1)。
       『聖家族』(サグラダ・ファミリア)では、アカはアカより出でてアカより赤いことを証明したかったのです。
       (第2巻は、この他にエンゲルスの有名な「イギリスにおける労働者階級の状態」が収録されています。)
       

       (注1)『聖家族』第6章「d フランス唯物論に対する批判的戦闘」より

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      跳躍 マル・エン全集ノート1 ラインの黄金比率

      2011.09.20 Tuesday
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        JUGEMテーマ:読書

        1839-1844
         『ライン新聞』に、マルクスの画期的な論文--ラインの黄金か?

         『ライン新聞』に発表された論文(注1)で、人民を抑圧するドイツの絶対君主制や封建的反動に対するマルクスの民主的たたかいが始まりました。この新聞に書かれた諸論文でマルクスの思想が「観念論から唯物論へ、革命的民主主義から共産主義への移行」(注2)したと言われています。
         
         とくに、木材窃盗取締法についての討論を取り扱った論文と『モーゼル通信員の弁護』は、マルクスは「政治的にも社会的にも差別待遇されている貧しい大衆」の立場に立って書かれています。
         そういう勤労する人々の苦しい物質的状況を分析して論文を書き上げたことは、マルクスの思想を形成する上で大きな意義を持ちました。
         マルクスは後年、「木材窃盗取締法を研究し、モーゼル農民の状態を調べたことが動機となって、私は、純然たる政治から経済的諸関係の研究に、したがって社会主義(=共産主義(注3))にすすんだ」と友人エンゲルスに語ったことからも明らかです。
         
         また、論文『共産主義とアウグスブルク』(アルゲマイネ・ツァイトゥング)では、共産主義を、プロレタリアートの闘争によって提起された現代の重要課題だとマルクスは見直しました。それまでの様々なユートピア的な“共産主義”を批判的に見るだけでは十分でなく、もっと科学的に研究していく深いポテンシャルをもった課題だと考え直しています。ただ、まだ簡単に答えはでない萌芽なのでした。
         それが、マルクスが『ライン新聞』で活躍していた時期の思想的発展段階と言えます。
         
         その萌芽が、さきに述べた観念論から唯物論への移行過程とすれば、その第一段階が未完成手稿『ヘーゲル法哲学の批判から』と言えます。この手稿の序説をマルクスは雑誌『独仏年誌』に発表しました。そこで述べられた到達点とは、 「法関係も国家形態も、・・・物質的生活関係---ヘーゲルが・・『市民社会』と名付けているもの---に根底をもっているということ、そして、この市民社会の解剖は経済学にもとめなければならない」(注4)
         というものでした。
         つまり、法も国家も社会全体との関連で理解し、その分析のメスが「経済学」なのだ!!という認識に到達したわけです。ただし、従来の古い経済学では歯が立たないとも思っていました。
         
         『資本論』完成よりまだ30年も前の時期ではありますが、線路をつくる道具は揃ったのです。
         社会発展の法則を発見する道筋はできたのです。『ライン新聞』の編集・執筆をしているあいだに編み出されたので「ラインの黄金比率」とでも名付けておきましょう。
         それらが雑誌『独仏年誌』の論文や友人と交わされる手紙の中で縷々述べられています。
         この雑誌の目的は「すべての既存の事物を仮借なく批判すること」として、現実と切り結ぶたたかいこそ本物であって、現実のたたかいから切り離された観念的な思考は排除しました。
         たとえば、論文『ユダヤ人問題によせて』では、「政治的解放」と「人間的解放」の根本的な差異について深遠な思想を展開し、ヘーゲル派のブルーノ・バウアーの観念論・神学の無益な立場を批判しました。(ここでは、「政治的解放」はブルジョア民主主義革命であり、「人間的解放」は社会主義・共産主義革命のことと、簡単に理解しておきましょう。)
         
         この雑誌の目的に沿って、現実とたたかい切り結ぶ思想を述べたものとして、『ヘーゲル法哲学批判・序説』があげられます。
         この労作のなかではじめて、社会主義革命を実現する能力を持つ社会勢力として、プロレタリアートを挙げました。当時は、農民が圧倒的に多かったなかで、資本家にやとわれる労働者を中心とした勢力!! ただし、大農場で働き、家や農機具程度の生活手段しかもたない農民もその種の社会勢力に入れるべきでしょう。
         この著作ではそのことを「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学のうちにその精神的武器を見いだす」と象徴的に表現しました。
         具体的には、ドイツの東方、シュレージエン地方の織布工の蜂起の経験にもとづいています(注5)。シュレージエンの労働者だちは、それまでの打ちこわしというたたかいだけではなく、目に見えない抑圧階級(ブルジョア)とのたたかいに挑みました。
         ただ、まだこの歴史段階での社会主義へ道は、現在の目から見れば乱暴な「たたかい」の域を出ませんでしたが。
         (エンゲルスの思想遍歴はここでは省きます。ただし、工場経営者という違う道をたどりながらもマルクスと同じ思想に行きつくのですから、双方は時代の子なのです。) 

         
          (注1)マルクス・エンゲルス全集(以下MEと略す)第1巻『プロイセンの最新の検閲訓令にたいす   
              る見解』
          (注2)レーニン全集(以下Lと略す)第21巻p68(邦訳)
          (注3)筆者加筆。これ以後は、社会主義=共産主義と書き換えます。
          (注4)マルクス
          (注5)ME第1巻『論文「プロイセン国王と社会改革」に対する批判的論評---1プロイセン人』(これ
              はマルクスが寄稿した論文である)
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