法哲学ノート  「正義論」を語る

2012.01.18 Wednesday
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    平野 仁彦,亀本 洋,服部 高宏
    有斐閣
    ¥ 2,310
    (2002-05-01)

    JUGEMテーマ:学問・学校

     いま、なぜ、正義を語らなければならないか?そもそも法の価値は「正義」を実現することにある。そこで、,海遼,実現すべき「正義」とは何か?、◆屬覆次弩譴詆要があるのか?、「いま」、正義を語る必要があるのは何故か?、の3つに分けて考える。

     崟亀繊廚箸浪燭? 一 戦争と正義の系譜から

     正義は、「正義とは各人に彼の権利を享有せしめようとする恒常不断の意志」(ウルピアヌス、平野他著『法哲学』、有斐閣、P93)という主観的正義と、社会関係について正・不正を判断する客観的正義に区分される。キリスト教や「〈知恵〉があり、〈勇気〉があり、〈節制〉をたもち、〈正義〉をそなえている」国家(『国家』岩波文庫、P282)を主張するプラトンなども、どの時代、どの国においても成立する絶対的正義を欲求してきたが、戦争を典型とした現実問題の解決は相対的正義の衝突であった(先のタリバンとアメリカの衝突は典型であろう)。

     アリストテレスは、形式的に正義の概念を定義して、平均的正義と配分的正義に区別した。すなわち、前者は、各人の社会的価値にかかわりなく、もっぱら利害の得失を平均化するものである。後者は、社会における貢献や努力に値するものだけが報いられる実質的平等である。 しかし、「正義」の実質的内容について語っていない。

     では実質的内容とは何か?それは、時代や集団、国によって変化してきた。 しかし、瞬時に情報が交換でき、自国内での個人の行為でさえ世界に大きく貢献する現代では普遍的価値をもった「正義」の実質的内容(現代的普遍的「正義」)を規定することができるはずである。それはギリシヤのポリス内やキリスト教世界内でさえできたから  
    である。

     その現代的普遍的「正義」である「国内国際両社会問題に対する平和的解決の完全なる基本的原理」(藤川吉美『正義論の歴史』論創社、P227)の要請に応えるものとして  ロールズの『正義論』が現れたと言われる。

      ロールズは、正義の一般的構想として「すべての社会的価値(自由と機会、所得と富、自尊の基盤)は、・・・あくまでも平等に分配されねばならない」(平野仁彦他『法哲学』有斐閣アルマ、02年)という見解を提示した。「平等な権利」を前提に、ー匆颪悩任睇垓な立場にある人々の便益を最大化するような社会経済的不平等は許される(格差原理)。

    ⊆匆馘・経済的不平等の是正を判定する際には、むしろより機会の少ない人々により多くのチャンスを与えるかどうかを重視するべき(公正な機会均等の原理)という考えである。

     この、ロールスの「公正としての正義」論を、憲法の基礎づけの理論として読解するなら、日本国憲法13条後段は、ロールスの「『人格的利益説』のとる考えとよく似たもの」(大日方信春『ロールスの憲法哲学』有信堂、P224、01年)といえる。

     この基本的人権を保護する基礎的事項として、国民主権主義と平和主義があり、その根底的原理として「個人の尊厳」がある(清宮四郎『憲法I』有斐閣、P55以下)。

     そこで、私は、現代的普遍的「正義」とは、この日本国憲法の3原則々欝彿刃足基本的人権尊重9駝閏膰△塙餡伴膰△判鼎覆襪發里筏定できると考える。戦争放棄を基本的人権を擁護する制度としてしている点が、人類歴史の最高の到達点であるからである。
      


    ◆屬覆次廖∪亀舛鮓譴詆要があるのか?

     2001.9.11同時多発テロと報復戦争は、国内に向かって、国外に向かって「正義」とは何かを考えさせられる転機となった。このテロを契機に、ブッシュ大統領は、「テロ撲滅」の「正義の戦争」の名のもとに、他国を巻き込んでタリバン政櫓下のアフガニスタンに対する「報復戦争」を挑んだ。 日本国内では、この「正義の戦争」について2方向の対立意見が見られる。

     キリスト教世界では、「正義の戦争」の概念は、トマス・アクィナスに至って確立していた。 それはローマ教会の基礎的な概念を築いたアウグスティヌスの立場を敷街したかたちで、(1)戦争行為の命令を下す主権の権威、(2)正当な事由が要求される、(3)交戦者は正当な意図を持つことを条件としていた(『神学大全』35巻)。

     この概念は、ローマ教会が“すべでの個別国家の上にたって、交戦するもののどちらが正義かを示すことができるという建前になっていた。 しかし、この考えが、近代に至ってそれよりも上位の決定機関をもたない単独の国家が最高の主体であると考えられるようになると、紛争の解決を戦争に訴えることは、国家の自由、権利であるという無条件無差別主義に陥った。「正義」の判断も個別国家の自由に委ねられた。 第1次、第2次世界大戦を支配したのは、この考えである。

     それを反省したかたちで、戦争はある条件のもとに限られるとする戦争限定主義が「国連憲章」というかたちで、国家を越える上位規範が現実化された。国連憲章51条では、違法性が阻却される例外的な場合として、個別的自衛権の行使という限定を認めている。

     戦後、世界平和は、この無差別主義と戦争限定主義との間で揺れ続けてきたが、同時多発テロ事件とそれへの報復戦争によって、大きく無差別主義の方向へ動きつつある(月刊『保団連』01年10月26日、加藤尚武鳥取環境大学学長、日本哲学会委員長)。

     したがって、「正義の戦争」の「正義」は、トマス・アクィナスの想定した国家を超越した上位機関の判断や「国連憲章」の理念より、個別国家の判断が優先する時代に突入。「正義」の観念は、2つの世界大戦以前に後退した。

     よって、戦争を軸に考えたとき、現在の「正義」とは、惜しむらく、アメリカのする戦争の「正当性」に収束すると考えても無理はない。戦争違法を主張している国連憲章があるにもかかわらず、「正義」を語る理由は戦争のためか、平和のためか、戦争をたたかって訪れる「平和」のためか。一般的に正義を語ることは、「〈正しいこと〉は、強い者の利益」(プラトン『国家』岩波、P49)に成り下がるのではないか。

     いや、98年のハーグ市民会議では、戦争放棄の日本国憲法9条を全世界の政府に働きかけようと決議し、現在では、EU憲法草案に「9条」の精神を取り入れようという運動が広がっている。この「正義」を語ることは、戦争を阻止する力になる意義がある。

     

    「いま」、正義を語る必要があるのは何故か?

     そこで、以上の定義、歴史をふまえて政治、その継続(『戦争論(上)』クラウゼヴッツ著、P58、岩波文庫)としての戦争を、「正義」を語ることによって回避することはできるか?という問いを発し、生々しい03年の対イラク戦争を想起することで、今、正義を語るべき理由を解明したい。

     同時多発テロと「正義」の名のもとの報復戦争が起こった後、さまざまな新聞、雑誌が社説で「正義」論を一つの焦点に21世紀論が展開された。 その中でまず、私が注目するのは『琉球新報』01年10月9日付社説である。 「今回に限らず、世界で紛争や政治的な緊張があるたびに、ただちに県民生活まで脅かされるのが、基地沖縄の現実だ。戦後、このような経験を繰り返してきたゆえに米国が主張する『正義の戦争』に進んで支持表明する気持ちにはなれない」

     この表明は、「県民生活」の安寧、人間の尊厳の尊重という譲れない現代的普遍的正義の主張であろう。 また、この戦争の一因として、『南日本新聞』02年1月1日付社説は、「米国は唯一の超大国となり、グローバリズムという市場原理主義で世界経済を牛耳った。・・貧困、不公平感、絶望感以外何ももたらさない米国一国集中システムヘのいらだちがテロをはぐくんだのではないか」

    「(米国も)二酸化炭素の排出削減を決めた京都議定書の拒否、包括的核実験禁止条約(CTBT)や弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の棚上げと国際協調無視が目立っている」ことを挙げている点にも、現代的普遍的正義の実質的内容があると考える。

     これらの主張は、現代戦争の「正義」は相対的であると同時に、「人間の尊厳の尊重」の観点からすれば、正義の論拠は平和をぬきに存在しないということを語っている。 したがって、いま、正義を語らなければならない理由は、グローバル化の中での標準化と差異化による人間性破壊を道徳的、法的に解決するためであり、その土台たる世界平和の実現のためである。そして語るべきその正義は、現代的普遍的正義であり、日本国憲法の示す3つの原則や国連憲章51条など、人類が到達した「正義」の実定法的典型である。

    古い法学系ノート|-|-|-|-|by ネコスキイ

    民法総論ノート 意思自治の原則とは

    2011.12.31 Saturday
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      JUGEMテーマ:学問・学校

       意思自治の原則はヽ私的自治の原則ともいわれる。この小論では、「意思自治」はフランスに、「私的自治」はドイツに発生し別々に発展したが具体的帰結においては共通している(「岩波講座 基本法学4−契約」岩波書店、83年、P 21)と考えて言葉を意思自治に統一して述べることとする。

       この原則は、近代社会において、個人はそれぞれ自由・平等であるとされているが、そのような個人を拘束し、権利義務関係を成り立たせるのは、それぞれの意思であるという考え方である。上記の問いに答えるために、1.意思自治の原則の歴史的位置と限界、修正について考察したあと、2.民法総則の中での意思自治の原則の拡張、補充について論ずる。意思自治の原則が、資本主義社会の原則として理解することが本質的な理解へのアプローチだからである。


      1.意思自治の原則の歴史的位置と限界、修正

       日本をふくむ諸国の民法の中で、^媚彈治の原則は、個人の平等性と権利主体性、私有財産制、げ畆裟嫻ぜ腟舛箸△錣擦凸席顕修気譴討い覆ご靄楔桐となっている。(我妻栄氏は『民法総則第一分冊』(日本評論社、昭和三年)では、「自己責任の原則」「個人財産権尊重の原則」「個人意思の自治」を挙げている(「民法講座第一巻 民法総則」星野英一編集、有斐閣、84年、P 342参照))。

       社会は、フランス革命等や産業革命によって身分の拘束を脱しヽ法律の下における平等、自由意思にもとづく生活が決して認められなかった社会から、個性の尊重と自由意思にもとづく活動や経済上の自由主義の社会へ変化した。この変化のなかから上記の原理が発生しだこれを英国の法学者サムナー・メーンは「身分より契約へ」という言葉をもって表現した。これらの原則の上に資本主義社会が建設されている。(「民法総論」小池隆一、慶応教材、98年、P76〜参照)

       初期資本主義社会において、契約自由の原則(締約の自由、相手方選択の自由、方式の自由)は意思自治原則の一っとされる。また、契約以外では、遺言の自由も個人の意思が決定的であり、民法原理の一つである過失責任主義も「故意・過失」を不法行為の要件とするなど、意思自治が重んぜられる。この個人主義の原則にもとづく民法は「資本主義的民法」と言われる(「民法総則 民法講義I」我妻栄著、岩波書店、98年、P5参照)

       しかし、資本主義が高度化することによって、個人意思の尊重は、結局、独占的な企業による社会の支配を意味することになり経済的実力の不平等、大工業の危険の必然性などの現実にもとづいて修正せざるをえなくなった。そのため、当事者間の交渉力を対等にする方策(団体交渉権)とか、当事者の合意によっても修正できない強行法規をつくって、契約内容が他方の犠牲において一方のみに有利にならないようにすることが要請され、法律行為に対する公的立場(パブリック・ポリシー)からの干渉が必要とされる。これは契約自由の原則の修正・補充といわれる(「民法I一総則」山田卓生他、有斐閣、98年、P 100〜参照)。一方で、マネイジメントの多様化・集積化によって契約自由の原則が技術的に拡大されることが要請されている。

       この事情から19世紀末以来の立法、学説は、上記原則の修正として、ー莪保護の原則、公序良俗の理論、8⇒濫用の理論、ぬ飢畆裟嫻い陵論等が考案された。この流れのなかで、日本では1898年(明治31年)民法が確定され、以後、経験が蓄積されたのである。修正として明文化されている原理として、〔泳‖茖云鬘厩燹峪筝△聾共の福祉に遵う」(公共の福祉)、同2項「権利の行使及び義務の履行は信義に従い誠実に之を為すことを要す」(信義、誠実の原則)、F隠街燹峺⇒の濫用は之を許さず」(権利濫用の禁止)が規定されている。


      2.民法総則中の意思自治原則の拡張、補充

       民法総則中、この原則の修正としての拡張、補充と考えられるのは、‖緲制度、¬鞠塾麓塋欷遏α蠎衒保護、K[Ч坩戮硫鮗甦霆燹△任△襦

      ^媚彈治原則の拡張としての代理制度

       この代理制度の社会的、経済的背景として、(ア)一方で東京、同時に一方で大阪で取引するなど財産取引の拡大により時間的空間的に代理人によらざるを得ない場合、(イ)あるいは、代理人の専門的知識を利用し積極的に活動の範囲を拡大していく状況ができたことが挙げられる。法人代表の形式は、民法の規定にないので代理の規定によって解釈する(「民法総則 民法講義I」我妻栄著、岩波書店、98年、P 170参照)が、これは大組織を運営する方策であり、マネイジメントの多様化・集積化から要請された意思自治原則の拡張とも言える(民法33条以下)。

       そもそも、代理制度とは、本人がたとえば不動産の売買契約を自分にかわって締結することを代理人に代理権を授与・委託し、代理人が本人のために代理行為をしたならば、その法的効果はすべて直接に権利者本人に帰属する(99条1項)、というものである。

       代理の種類から考えると(ア)本人の意思に基づいて代理権が発生する場合は任意代理 (弁護士に委任するなど)という。本人自身に行為能力がそなわっていて様々な理由から本人の意思で代理人を頼むのでヽ意思自治の拡張といえる。また、(イ)代理人が代理権を有する場合はが有権代理、そうでない場合が無権代理といい、それはいねば権利濫用である。無権代理は、さらに表見代理と狭義の無権代理に分類されるが、この権利濫用にたいして意思自治の拡充として相手方が保護されるよう民法は構成される(「民法I 総則・物権総論」内田貴、東大出版会、98年、P 114参照)。

       表見代理制度は、権利外観法理とも呼ばれ、本人取引の相手方が善意・無過失ならば相手方の契約行為は第三者(相手方以外)に対抗できる。取引が不動産ならば登記が対抗要件となり、その手続きとして不動産登記法が存在する(同、P386参照)など意思自治原則の拡充の具体化がはかられる。

       権利外観法理の種類として民法第109条、第110条、第112条の表見代理がある。 表見代理は、あたかも第三者に有権代理であるかのように信じさせるに足りる外観を有するものである。 109条は、第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲において、代理人と第三者との間でなされた行為について、その責に任じなければならないとし、相手方保護(この場合第三者)のために善意・無過失を要請している。第110条では、代理人がその権限外の行為を行った場合において、第三者がその権限ありと信ずべき正当な理由を有したときは、本人はその責に任ずるとしている。 112条は、代理権の消滅は、これをもって善意の第三者に対抗することができないが、相手方が過失によってその事実を知らなかった場合は、この限りでないと規定している。

      意思自治原則の補充としての無能力者保護、相手方の保護

       財産法上の意思自治能力は、(ア)能力制限を受ける本人の利益、(イ)能力制限を受け   
      る本人の財産関係に利害関係を有する他の利益のために、制限される(「民法総則」川島武宜著、
      65年、有斐閣、P 169参照)。これが、意思自治原則の補充である。

       (ア)自己の行為により完全に有効な法律関係を形成していくことができない未成年者などの行為無能力者取引の安全のために上記の代理制度と無能力者制度(未成年者、禁治産者、準禁治産者)という法形式が不可欠である。すなわち、法定代理として未成年者の場合親権者、禁治産者の場合の後見人がそれにあたり、弱者保護、意思自治の補充である。99年の民法改正で成人後見制度(痴呆老人、障害者保護)が法制化されるが、それもこの無能力者保護の一環であると考えられる。

       (イ)無能力者の取消権からの相手方保護の制度として第126条で取消権の短期時効制度を規定し、第19条で相手方の催告権を保障、第20条において無能力者が詐術を用いた場合の無能力者側の取消権を否認した。


      K[Ч坩戮硫鮗甦霆

       当事者の表示ないし具体的事情から導かれない部分について民法は、意思自治を援護・促進するために、慣習、法規で補充することを認めている。それでもなお不十分な場合は、条理(信義則=民法第1条2項「権利の行使及び義務の履行は信義に従い誠実に之を為すことを要す」)によって補充的解釈を行う。(「民法総則(第四版補正版)」四宮和夫著、96年、弘文堂、P 150参照)。「公の秩序に関せざる規定」が存在しないときヽ民法92条は「当事者がこれによる意思を有せるものと認むべきときはその慣習に従う」(事実たる慣習)と規定し、意思を補充し、法律行為の解釈を補っている。(「判例ハンドブック」[民法総則・物権]第2版、甲斐道太郎編、日本評論社、96年、P61参照)

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      政治学ノート(1999年) 戦後“民主政治”と恒久平和

      2011.10.12 Wednesday
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        JUGEMテーマ:学問・学校

          戦後民主政治の感想を聞かれれば、平和主義において憲法から乖離した政治だったと答える。この感想を現在に到るまで歴史的に表現するために、戦後民主政治の原点である「日本国憲法」を視座に歩を進めたいと思う。 
         まず、戦後政治は民主的であったのか?の検討が最初に必要である。憲法制定過程でなされた国民主権をめぐる措抗が民主政治の原点であり、主権在民が確立したことは憲法学者・宮沢俊義氏も言うように「革命的」であった(「憲法」第3版、佐藤幸治著、青林書院、97年、P75参照)。その後、戦前への復古を掲げて鳩山内閣が誕生したことは反民主の動きと言える。憲法改正のための小選挙区制選挙制度は、鳩山、田中、海部内閣で主張され、細川内閣に至って小選挙区比例代表並立制として確立された(「戦後政治史」石川真澄著、岩波新書、98年、参照)。このことは、少数意見を封殺する奢りの政治の結末であった。 96年衆議院選挙で、自民党は小選挙区では39%の相対得票率で56%の議席を獲得しているが、これは民意を反映する民主主義と言えるだろうか。(「現代日本の政治過程」小林良彰著、98年、東大出版会、参照)

         この状況をみても、戦後政治は民主的とは言えない。戦前の臣民扱いの立憲主義より、比較的“民主的”な政治であるとも言えるが、軍国主義と決別して平和主義と不可分一体の民主主義を生んだのではなかったか。このことを前提として戦後民主政治について感想をのべたい。紙面の関係で、いわゆる民主政治がどのように日本国憲法の一原理である平和主義を変形させてきたか、に絞って考えてみよう。

         現憲法は「押しつけ」ではない。憲法9条をふくめて「総司令部からの強要的要素があったとしても、憲法自立性の原則は、損なわれていなかった」(「憲法 新版」芦部信喜著 岩波書店、97年発行、参照)とするのが国際法的、国内法的にみて正しいと思われる。 ところが、いわゆる自主性を回復しようという「改憲論」と戦後“民主”政治を年代ごとにたどってみれば、平和主義のはずの民主政治が憲法から乖離していくことが時系列的にわかる。

         50年代の改憲論の要点は、吉田首相の答弁に反して9条改正による再軍備、天皇の元首化、基本的人権の制限と義務の強調、憲法改正の容易化などで「復古的改憲論」と言われる。 50年警察予備隊が創設、52年保安隊に改称され、鳩山内閣は、1954年憲法改正を公約に掲げて登場した。同年保安隊を基礎にして自衛隊が組織される。
         
         60年代は、安保闘争などに示されるように日本国憲法の価値を体得した国民があらわれるなか、1964年鳩山内閣の「憲法調査会」が最終報告書を提出し改憲論が盛り上がりをみせたが、国民は戦前の天皇制や制限された基本的人権の状況に復古することを考える必要がなくなった。「高度成長」政策下において、特に9条にっいての恣意的な憲法解釈をする「解釈改憲」論に変化した。砂川事件などの最高裁判決がこれを補完した。(「判例ハンドブック〔憲法〕」芦部信喜編、98年、日本評論社 参照)

         70年代日本は、71年ドル・ショック、73年オイル・ショックなどの世界不況を克服し、74年「経済大国」として立ち現れてくる。このなかでヽ多国籍化した日本企業の海外権益の擁護、アメリカの世界戦略への同盟としての呼応の必要性からヽ特に憲法9条の改憲が経済的にも要請されていた時代だった。

         80年代。鈴木内閣におけるシーレーン防衛の旧「ガイドライン」は違憲との批判を呼んだが、82年これらの延長線上に中曽根内閣が誕生する。中曽根内閣は、「戦後政治の総決算」を掲げ、その内容は、防衛力の増強(「日本列島浮沈空母化」)、アメリカに対する防衛分担の増大、国際自由貿易体制の保護、税・財政構造の改革であった。82年11月の記者会見で中曽根氏は「憲法も見直し」と言い、87年1月、自民党大会において「40年間の憲法政治の実績を検討」と演説した。(「日本国憲法『改正』史、渡辺治著、91年発行、日本評論社、P8〜参照)

         90年代の改憲論は、冷戦の終結と92年1月の湾岸戦争をきっかけに、「自民党小沢調査会」の一国平和主義批判、読売新聞の改憲案などが展開されてきた。92年6月、「国際貢献」の名のもと、ついに自衛隊を海外派遣するPKO協力法案が可決される。

         96年4月には橋本・クリントン共同声明で日米安全保障体制を大転換させる中、新「ガイドライン」が提示された。 96年10月20日、小選挙区比例代表並立制による総選挙の結果、自民党239議席、新進党156議席を獲得し、併せて改憲発議に必要な総議員の3分の2を超え、すくなくとも衆議院では96条の改憲発議ができる可能性ができた。

         そして、97年5月23日、憲法調査委員会設置推進議員連盟(自民党・中山太郎会長)が発足、社民党、共産党を除いた全ての会派から375名の議員が参加した。目的は「憲法について、国憲の最高機関である国会に『憲法調査委員会』を常任委員会として設置すること」であった。(「平和憲法と新安保体制」憲法研究所・上田勝美編、98年発行、法律文化社、P178〜参照)

         99年5月22日「読売新聞」によると、2000年の通常国会で衆参両院で憲法調査会が設置される見通しとなった模様である。国会で憲法論議のための機関が設置されるのは現憲法下で初めてとなる。

         '9 9年5月24日に成立したガイドライン関連法案について「戦後“民主”政治の総決算」として触れておく必要もあろう。直近の現実政治に戦後民主政治の矛盾=平和主義からのずれが濃縮されているからである。
          「周辺事態」とは具体的にいなかなる事態か、「後方地域支援」が国際法上で武力行使にあたるのかどうか、憲法9条違反ではないか、など侃々誇々の審議が国会でなされた。
          たとえ「シビリアンコントロールがおこなわれる」(「産経新聞」98年5月22日、小林節慶大教授)としても、ユーゴ爆撃にみられるように後方を衝くのは国際的には戦争の常套手段であるように、「後方地域支援」は武力行使であり9条違反だと思う。また、国民には具体的には審議内容、地方自治体の協力内容も徹底されていないという実態は、議会制民主主義の形骸化と感じる。

         このような状況のもと、戦後数々の改憲派政治家がのぞんだ憲法9条は、条文よりさきに既成事実として改正あるいは改悪されたのである。はしなくも審議終了間近、連立与党の自由党・小沢一郎氏は「正論」6月号でガイドライン法案について「まさに戦争に参加する話なんです。」とのべた。

         以上のように50年〜90年代末にかけての改憲政治=“民主”政治は、憲法9条の改悪に達したが、世界の流れはどうか。

         1993年「パックス・デモクラティア」(鴨武彦訳、96年発行、東京大学出版会)でブルース・ラセットは、冷戦後世界への原理として、軍事力を利用して対外政策を実現することは不可能になっていることを強調した(「政治学」大嶽秀夫ら著、98年発行、有斐閣、P76〜参照)。この考えは「民主国家」についての判断に難点はあるが、憲法9条の精神に接近した思想であると考える。

         戦争廃絶の努力として、国際法では1 9 1 9年の国際連盟規約、1929年の不戦条約、1945年の国際連合憲章などが存在し、憲法では、1791年のフランス憲法、1946年のフランス第4共和国憲法で戦争放棄の規定が設けられた。しかし、これらは侵略戦争の制限ないし放棄にかかわるものにとどまった。これに対して、日本国憲法は、1947年、前文と9条において侵略戦争を含めた一切の戦争と武力の行使および武力による威嚇を放棄し、その徹底のための戦力の不保持を宣言、そして国の交戦権を否認した(「憲法 新版」芦部信喜著、岩波書店、97年発行、参照)。苦渋の世界史の到達点である。

         99年5月15日、国連非政府組織(NGO)の呼びかけで、世界IOOヶ国以上の約1万人が参加して聞かれた「ハーグ平和市民会議」は、「公正な国際秩序のための基本10原則」を行動目標とかかげ、その第1項に「日本の憲法9条を見習い、各国議会は自国政府に戦争をさせないための決議をすべき」との文言を入れた。この決議は11月の国連総会に提出される予定である。(1999年5月16日「朝日新聞」)このように「憲法9条」は、特に市民社会レベルでは世界の流れになっている。

         これらの流れに反しでまさに戦争に参加する”という新「ガイドライン」法案が可決されたことは、戦後民主政治の根本としての平和主義を台無しにし、19世紀のクラウセビッツの「戦争論」=「戦争は政治の継続」の立場に引き戻された観を否めない。憲法が予定した民主政治は、それを遵守することによって現実のものとなるのではないか。

         「悪魔(戦争)が人間に罪を着せようとするときはヽまずは最初に天使(“民主”政治)の姿でやってくる」(シェイクスピア『オセロー』( )内はヽ筆者)

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        世界思想史ノート ロマン主義から剰余価値論への発展

        2011.10.12 Wednesday
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          評価:
          ハインリヒ ハイネ
          未来社
          ¥ 2,625
          (1994-06)

          JUGEMテーマ:学問・学校

           1.結論から言うと、ヘーゲルは、ロマン主義的理性を哲学的に自己完結させた。その中心思想は現実は絶対理念の自己展開であると考える客観的観念論、理性史観と方法としての弁証法である。また、マルクスは、ロマン主義的理性を社会経済学的に変態(メタモルフオーゼ)させた。その中心思想は唯物史観(弁証法的唯物論とその歴史への適用)と剰余価値理論(「労働の価値」と「労働力の価値」の差を剰余価値と言う)である。奈良和重氏は、イデアリズムとロマン主義、この両者をあわせもつドイツ精神(Geist)、その独自の思考パラダイムを「ロマン主義的理性」と設定し、シュクラールが、啓蒙主義に反抗する「ロマン主義的精神」と特徴づけたものと同じ位相であると言う。


           2.では、その「ロマン主義的精神」とは何か、どういう歴史的発展をとげたか、まず概観してみよう。(注1)
           ロマン主義は啓蒙主義にたいする美学的反抗の中から生まれた。ディルタイは「ルソーは最初のロマン主義者」と言う。啓蒙主義・思想とは、宗教にたいする批判的態度をもち、科学的合理主義を原理とする。それは〈正しい立法〉と〈教育〉によって達成され、人間の歴史は「進歩」の歴史であると考えた。これらを批判的に摂取したルソーは、立法などの国家行為を人為と考えるが、それは究極において善なる自然に合致すべきあり、教育についても自然人の善性に合致すべきと考えた。この考えは、理性の上に感情をおき道徳を越えて、再び宗教を復活させることと見なされた。ルソーは啓蒙思想家が意識しなかった個人と社会との対立を問題意識化し、自由主義を民主主義の方向に徹底し、19世紀の社会主義思想の橋渡しとなった。さらに、ドイツのカントは、人間の歴史の進歩は、まず技術的文化に達するが、さらにそれはルソーの要求する道徳化をへてはじめて完成すると考えた。これらの思想が、無形・無限なものへ憧憬、自己意識への内面的沈潜、自然への愛着、歴史的変化・発展や民族性への高い評価、などを特徴とするロマン主義に発展する。就中、ドイツのロマン主義は、哲学や文学においてどの国よりも強く現れ、フィヒテ、ヘーゲル等のドイツ観念論哲学の影響を深く受けた。その後、再び反宗教的な自然主義が現れ、ヘーゲル左派で「下半身の唯物論者で、上半身の観念論者」のフォイェルバッハ(注2)を経て、逆立ちしたヘーゲル哲学を決定的に転覆したマルクスにおいて、かつての啓蒙思想が示した急進性・革命性は発展的に後継された(注3)。この流れからリヒトハイムはマルクス主義の哲学的根源は「一種の世俗化したプロテスタンティズム」であるとも言う。(注4)

           

           3.ロマン主義的理性との関係で、さらに深く具体的にヘーゲルとマルクスの歴史・政台思想を理解するキー・コンセプトを析出するために、‥学∧験愿政治の角度からその歴史的発展を検討しよう。

           ‥学 ロマン主義的理性の哲学的展開は、カントからフィヒテ、シェリング、ヘーゲルにいたるドイツ観念論である。1790年代から1830年代にかけての世代は、カント批判哲学に触発されたと同時に、フランス革命の強烈な衝撃を受けた。かれらは、カントに残された課題に取り組んだ。フィヒテは、カントの言う人間の歴史は道徳化によって 完成するという思想を超越し、自我=主観とは、世界に対して行為し「産出する力」であると考えた。この主体活動のなかで世界を変形していくことをフィヒテはみずから「自由 の哲学」と名付け、カントとフランス革命の哲学的完成の試みとみなした。シェリングは、フィヒテに対して主観の中に取り込まれた自然そのものを重視する。自然はそれ自体を創造する生命現象としての「生産する自然」であり、ひとつの有機体である。しかも、その根源には原物質としての「世界霊魂」が存在し、自然はそれが無限に分化、個別化して、発展変化をとげ、自然=世界=人間は同一性と調和へともたらされる。さらに、フィヒテ後のベルリン大学教授になったヘーゲルは、『歴史哲学』のなかで世界史は自由の意識における進歩であると述べ、『精神現象学』では、人間の思考能力としての理性を超越した、神的な「理性」=精神=絶対者が人間の意識、自然、歴史のうちに展開するとする。世界史は、世界精神の理性的必然的歩みでり、その内容は「理性の像」である。理性の根底にあるのは神的理性であり、この理性が世界を支配していると考える(理性史観)。そして、ロマン主義を徹底的に排斥したヘーゲルの認識は、「この世界史の労働を通じてこそ人類 は陶冶されて、理性的現存である国家機構と法律との現実性と意識とを勝ち得た」という洞察に達する(注5)。一方、ハイネはこの 洞察をもって逆に「わが国の哲学革命は終了した。ヘーゲルがその大きな円環を閉じた」と理解した(注6)。


           ∧験愿  ロマン主義的理性の美学的展開は疾風怒濤(Strum und Drang)の運動に 喚起されて、ワイマールを中心にヘルダーリン、ゲーテ、シラーらの活躍によって開花した文化である(Weimar Kultur)。その特性は、ドイツにおいて最も強く、国民性と深く結びついている。ドイツの前期ロマン派の代表者であるシュレーゲル兄弟、ティーク、ノヴァーリスなどの文学観のうちには、ヘーゲルなどドイツ観念論哲学の影響がみられる。これらのおかげで、彼らの作品には、神秘的な感情、理性を越えたものをとらえよううとする欲求、自然と人間との合体、詩歌と音楽の融合への志向が見られる。後期ロマン派のグリム兄弟などには、民族童話、民謡への関心が強く、愛国的傾向の強いものも現れた。フランス・ロマン主義の本質は「自我の解放」であるとブリュンティエールが解釈したことは、ヨーロッパ全体にも言えるのである(注7)。この影響下にあった若き詩人マルクスにとって、ポエジー(詩想)とはまさに真実や歴史そのものであった。彼の詩魂のうちには、ロマン主義的イロニー=無限への否定性があり、詩人としての主体のなかには客体としての世界を創造し救済しようとする否定の弁証法=社会革命論が働いていることがすでに看取される。(注8)


           政治  18世紀末のドイツの一領邦ワイマールは、ゲーテが宰相をつとめ、「新しいアテネ」として文化意識が高揚した。そのもと美学的ヒューマニズムが提唱され、美と芸術を政治目的とする「美学的国家」構想が意図されていた。シラーは、美学的国家のためには「芸術家が立法者である」ことを要請するが、これはロマン主義者に共通していた美的な感傷であり、信仰であった。政治的ロマン主義の核心は、国家は芸術作品であり、歴史的、政治的現実における国家はロマン的主体の芸術作品を生産する原因とされた。ノヴァーリス、ミューラーにおいては国家は恋人として現れ、財政学の詩化は、恋人に贈り物をするように国家には税を払わねばならないという奉仕になった(注9)。これに対して若き頃「ゲルマニアよ、滅びよ」(注10)と唱えたヘーゲルは『法の哲学』で、個人・市民社会・国家、それ自体が「客観的精神」であるから、個々人が客観性、真理性、倫理性をもつということは、彼が国家の一員であるときだけであり、自由を現実の ものにするということこそ理性の絶対的目的なのである。国家は、人間世界のうちに立ってその中で意識をもっておのれを実現する精神であると考えを発展させた。しかし、マルクスらにとって、この理性の国とは「ブルジョアジーの国の理想化」にほかならなかった (注11)。つまり、ヘーゲルは、プロイセン国家の御用哲学者に陥り、ドイツの哲学上の独裁者となった(注12)。その意味で、ハイネは、ドイツ・ロマン主義に「反動」という熔印を押した(注13)。

           

           4.以上の多大な感化のもと、マルクスは、理性によって覆い隠されたヘーゲルの政治=神学、世俗的神性としての国家にたいして、その法制的、社会的、経済的問題の鋭い洞察力によって、それが「倒錯したイリュージョン」であることを暴露した。『経済学批判』では、「社会的存在が意識を規定」し、生産力の発展と生産関係の矛盾が社会革命を引き起こすという歴史発展の法則を発見(唯物史観)、マルクスの思想内部で、歴史法則と歴史意識をともにロマン主義と哲学に融合したのである。カントは「概念」を単なる形式、ヘーゲルは弁証法的な意味における「具体的普遍」と見なしたが、マルクスは、労働力という商品概念は単なる「抽象的普遍」ではなく、労働力を労働させることによって剰余価値を産出する「具体的普遍」であると理解した(注14)。また、「価値論に関する章のところでは彼(ヘーゲル)に特有な表現形式に媚を呈しさえ」(注15)するほどに影響し、剰余価値論を生んだ。



          (注一覧)

          (注1)「ユートピア以後」シュクラール著、紀伊国屋書店、P23〜63参照
          (注2)「唯物論と経験批判論 下」レーニン著、新日本文庫、86年、P220
          (注3)「政治思想史」小笠原他著、有斐閣、97年、P276
          (注4)「マルクスからヘーゲルヘ」リヒトハイム著、未来社、76年、P70参照
          (注5)「改訂・政治思想史掘彳猯貧遜邸慶応教材、P132
          (注6)「ドイツロマン主義とナチズム」JH.プレスナー著、講談社学術文庫、98年、P42
          (注7)「世界大百科事典」平凡社、81年版参照
          (注8)「大きな株儒の集合よ、うめいて打ち倒れよ」(「マルクス・エングルス全集補巻1」大月書店、  
          P250)
          (注9)「政治的ロマン主義」 Cシュミット著、みすず書房、97年、P157〜158参照
          (注10)「政治論文集 上」ヘーゲル著、岩波文庫、96年、P60
          (注11)「空想から科学へ」エングルス著、大月書店、77年、P57
          (注12)「理性と革命」マルクーゼ著、岩波書店、61年、P189
          (注13)「ドイツ・ロマン派」ハインリッヒ・ハイネ著、未来社、94年
          (注14)「ヘーゲル用語事典」未来社、91年、P83参照
          (注15)「資本論」 大月書店、P23
           

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          財政論ノート(2002年) 社会保障の心

          2011.10.12 Wednesday
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             特に、医療保険分野の社会保障から見た財政問題について論じる。

             その給付が現役世代に直接影響があり、少子・高齢化と財政赤字にあって、その財政的保障の維持が国民的議論になっているからである。マクロにその原因を観察すると、毎年、国と地方で公共事業50兆円、社会保障22兆円の支出となっている(参照1、2)。ところが、主要国のほとんどがその反対の予算枠組みになっている(参照3)。 国家予算の中で社会保障制度を考えると、「赤字国債」=将来の借金を返済しつつも、道路族・建設族政治家の「聖域」に踏み込めば、医療保険においてさえ公的補助比串をたかめる努力はできるとのスタンスで考えることも必要であろう。
             医療保険の内、とくに被保険者・加入者の多い健康保険、国民健康保険について、社会保障における財政問題を論じる。


            ◆健康保険

             医療費の増加が社会問題化し、少子・高齢化を迎えて地方財政や国家財政を将来維持できるかどうか憂える状況になっている。高額な診療報酬単価の引き下げ、健康増進対策による持病の克服など自己責任が求められる。
             国民医療費は、85年度の16兆円に対して、2000年度は3 4.3兆円となり、国民所得に対する割合も、8.0%になった(参照4)。 ドイツ、フランスが11.7%、アメリカ12.4%に比較して少ない(参照5)。この対国民所得比の低さにも関わらず、平均寿命が世界最長、乳幼児死亡率も低いため、わが国の医療制度は効率的と評価される。
             しかし、厚生省(当時)の試算では2025年の国民医療費は104兆円、うち老人医療費が56兆円にも昇るとされたため、99年の健康保険組合老人医療拠出金支払い拒否事件にみられるように、高齢化が政府管掌健康保険、健康保険組合の保険財政におよぼす影響は大きい。医療保険制度改革は緊急かつ重要であると言える(参照6)。
             こういうときこそ、なぜ、政府が保険者になって加入を義務づける必要があるのかが根本として問われなければならないと考える。それは、民間だと「保険に加入するのは身体が弱い人たちが主になり、保険会社にとって好ましくない加入者が増えて保険料が高くなる」という「逆選抜」が生じ「公正の観点から望ましくない」(参照7)ため、低所得者を保護する目的で制度化されている。
             一方で、受診抑制だけでは、国民の最低生活(この場合、健康)は守れず、必要な受診抑制が、病状悪化を招き、全体として医療費が増大するという分析もある。
             たとえば、平成15年4月から、健康保険によるサラリーマン本人3割負担が実施された。もともと、3割負担だった健康保険家族の受診率は前年度比で低下していないにもかかわらず、サラリーマン本人の受診率が前年同月比で低下している(4月〜10月にかけて4.2%マイナス、参照8)。この間の、医療費総額と診療件数も急激に減少している。
             この数字からは「患者負担の増大が受診の必要以上の抑制、とくに低所得者を医療サービスから排除し、結果的にはかえって医療費の増大をもたらしてしまう」(参照9)との指摘は一部的中したといえる。
             このように財政論からすれば、制度の改革で医療費抑制の目的が達成されたと評価されるが、憲法25条の要請からは乖離した現象がおこっている。 たとえば、京都のある医師は、この窓口負担の変化が住民の健康状態にどう影響しているか、経済的理由のため治療を中断し病状悪化の事例を具体的に紹介した(参照10)。
             個別の問題ではなく、保険医団体連絡会東北6県の調査アンケートでも、3割負担になって「不安を感じる」という人が9割に上っている。これらは、憲法25条、生存権を脅かされている一つの証拠であり、現在または将来に向けての消費支出を控える理由であろう。ある意味で不況の遠因になり、ひいては所得税、消費税、法人税へ影響、財政悪化の原因にもなりうる。
             「給付の本質は所得再配分である。しかし、多くの場合計画的というよりはアド・ホックに制度が導入され、・・、不正受給・不適正受給が避けがたく、非効率や無駄も多い」(参照11)としても、命と健康の不安、将来の不安をも招来することは「構造改革」財政論の目的ではないはずであろう。
             健康保険本人負担3割を2割に戻すには約400億円必要だが、無駄な公共施設・公共事業(たとえば、厚生労働省所管「スパウザ・小田原」は約400億円)をなくせば、捻出できる予算である。

             

            ◆国民健康保険について

             国民健康保険被保険者数は、2 001年 (平成13年、これが最新版)9月末現在、4834万人、総人口にしめる国保加入者は、3 8.0%。被保険者数では、最大であり、不況、失業を反映してその数は増えつつある。市町村国保の世帯主の職業は、「無職」が5 0.9%、初めて過半数を超した。20万人以上の大都市では、「被用者」2 9.2%、「自営業」19.4%と高くなっているのが特徴である。また、96年から2001年度の5年間を見れば、失業・転職等の影響で、55歳〜59歳の働き盛りの年齢層が国保被保険者数は約1.6倍に増えている変化が見て取れる(参照12)。
             国民健康保険への国庫負担は3.7兆円(うち国庫負担率3 5.9%)であるが、特に保険者である市町村組合の保険財政赤字が80年代以降問題になってきている。
             国民健康保険の理念を厚生労働省は、「国保は被保険者全体の相互扶助で成り立つ社会保険制度であり、各保険者におかれては、こうした法令の趣旨を十分ご理解いただきたい」と説明している(参照13)。
             この説明から見ても、社会保障制度の一つである国民健康保険法の精神から誤った考えに陥っているため、国の責任、国庫負担を増やす方向には政策転換できないでいる。昭和33年の改正の堀木厚生大臣の趣旨説明では「国民皆保険態勢の確立のために国の責任を明確化」と答弁しているにも関わらずである。そのうえ、この「社会保障は相互扶助」であるとの論理が、失業・倒産など善意の国保料滞納者を攻撃する論理になっている。
             この滞納を直接の原因として、市区町村の保険財政悪化をまねき、一般会計からの補填と一般行政へのしわ寄せ、その延長として無理な徴収がまかり通ることになる。 8割の被保険者は年収300万円以下で暮らしているにもかかわらず(参照14)、もっとも滞納が多い横浜市などは、国保収納率が下がると調整交付金が下げられる(一種の国からのペナルティ)、そうすると国保財政が悪化してさらに保険料が値上げされる。そうすると払えない人が増えて収納率が低下するという「悪魔のサイクル」に墜落している。
             この落とし穴から財政的に抜け出す道は、サラ金のように滞納を取り立てるのではなく、国庫負担を増やすことや保険者の再編・統合による効率化を考える必要がある。

             

             ◆結論

              国庫負担を増やして、制度の持続と発展を図るために、財政の入口として、その制度の   支え手の少子化の解決、失業大幅減少など総合的な対策を打つとともに、出口として、 国家予算配分のあり方を社会保障中心に使う(欧米がそうであるように)大なたを振るうべきである。何故なら、予算は国民のものであり、景気の最終的な支え手だからである。
             


            【参照】

            1.総務省『行政投資実績』平成14年/
            2.国立社会保障・人口問題研究所資料「社会保障財源の項目別推移」/
            3.第9回社会保障審議会資料/
            4.厚生労働省統計情報部資料、医療保険制度研究会『目で見る医療保険白書』/
            5.健康保険組合連合会『社会保障年鑑2003年版』/
            6.木村陽子『年金・医療保険論』放送大学教育振興会、P205。03年 /
            7.奥野信宏『公共経済学』岩波書店、P192、01年/
            8.厚生労働省保険局調査課「MEDIAS 一最近の医療費の動向−」/
            9.片桐正俊『財政学』東洋経済新報社、P208、97年 /
            10.「国民皆医療の回復をめざす」第3回フォーラム資料/
            11.林健久『財政学講義』東京大学出版会、P194〜P 1 9 5 /
            1 2.厚生労働省「国民健康保険実態調査報告」/ 
            13.2000年『滞納問題に関するQ&A』/
            14.横浜市・国保滞納者資料

             

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            債権総論ノート 債権者代位権について

            2011.10.12 Wednesday
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               資本主義社会において、たとえばある債権者が、ある債務者に資金を貸し付けることは日常茶飯事である。債権者にとっては債務者の財産が債権の裏付けになっている。この債務者の財産を民法では、責任財産と呼んでいる。その“責任財産の風船”が小さくしぼんだり、破裂(破産)したりしてしまうと、一般債権者の債権は実現できなくなってしまう (「スタートライン債権法[第2版]」池田真郎著、日本評論社、99年、P191)。

               つまり、何らの担保手段を持だないなら債権者は債務者の財産が減少していくのを黙ってみているよりほかはない。債務者の一般財産は債権者の「最後の守りをなす」(「新訂 債権総論」我妻栄著、岩波書店、64年、P157)。憲法第29条は「財産権はこれを侵してはならない」としているが、民法は、債権者に対して、債務者の財産の利用処分の自由に干渉することを認めている。これが債権者代位権と債権者取消権である。ただし、本来は債務者が自由にできることを債権の保全のために制約するのであるから、その目的のための必要最小限の干渉にとどめている。

               そのうち債権者代位権は間接訴権、代位訴権ともいい、債務者以外のものに法律的効果を及ぼすので債権の対外的効力の一つであるといわれる(「法律学小辞典」新版、有斐閣、96年)。現代では、債権の対外的効力は、むしろ債権の不可侵性、債権侵害にたいする不法行為の成立を意味する(「債権総論」(法律学全集20)於保不二雄著、有斐閣、72年、P159)

               
               さらに立ち入って1.意義、2.要件、3.客体、4.行使について述べ、5.その制度の転用について考察する。


              1.債権者代位権の意義

               債権者代位権は本来債務者の財産を保全するものであるが(責任財産保全制度説)、現代においては、それに加えて強制執行としての性質もあわせて有すると考えられる。 
               ところが、強制執行の場合には債務名義を必要とするが、債権者代位権の場合にはそれを必要としないところに債権者代位権の実益があるとされている(簡便な債権回収手段説)。
               さらに、債権者代位権は裁判外においても行使できる(「民法刑銚∩輜澄γ簡殃権」内田貴著、東大出版会、98年、P263参照)。または、代位権とは「包括的担保権的なもの」(明39大判の表現)ものである(「債権総論[第2版]」平井宜雄著、弘文堂、94年、P262)と考えられている。


              2.債権者代位権の要件 

               債権者が債権者代位権を行使しうるのは、「自己の債権を保全する為め」である(民法423条1項本文)。保全が必要なのは、債務者の責任財産が債権者に弁済するのに不十分であり、債権者代位権を行使しないと債権者が弁済をえられない虞のあるからである。
               十分な弁済能力があるならば、債権の弁済を請求し取りたてることはできない。判例は、金銭債権を保全するために債権者代位権を行使する場合には、債務者の無資力を要件(無資力要件という)としてきた。これが、「契約関係に入ると先だって信用調査が行われるゆえん」(「民法概論掘丙銚∩輜澄法彑洩遽儖戝、良書普及会、78年、P89)である。
               ところが、債権者に十分な資力があっても、特定債権が履行されないことは十分に考えられる。そこで、一般には特定債権の保全のために債権者代位権が利用されるときには、債務者の無資力はその要件となっていない。その判例として、不動産の売主の共同相続人の一人が買主に対する売買代金債権を保全するために、他の共同相続人に対する買主の移転登記手続請求権を代位行使する場合に、債務者(買主)の無資力を必要としないとした例がある。

               代位権行使の他の要件は、債務者の権利不行使と債権が履行期にあることであるる。前者は、債務者自身が債権者代位権の対象となる権利を行使していないことである。債務者の権利行使が不十分、不適切であるときは、債権者は債務者のしている訴訟に補助参加するなどの手段をとるべきであるとされる。後者については、原則として、債権者代位権制度は、強制執行が可能な状態にあること、すなわち、債権の履行期が到来していることが必要であるとされている。これに対して2つの例外がある。裁判上の代位と保存行為の場合である。第1に、債権者の債権の期限が未到来であっても、裁判上の代位権行使が認められる(民法423条)。第2に、保存行為については、債権者の債権の期限が未到来であっても、代位権を行使でき、裁判上代位行使する必要もない(423条2項但書)。保存行為というのは、たとえば、債務者の所有する未登記の不動産の保存登記をするなど債務者の財産の減少を防止する行為である。


              3.債権者代位権の客体

               民法423条1項は、但書で債務者の一身専属権が債権者代位権の対象とならないことを規定している。したがって、それ以外の権利は、債権者代位権の客体となると考えられる。客体となるものとして判例は、移転登記請求権、抹消登記請求権、第三者異議の訴えを提起すること、妨害排除請求権等を示している。 
               客体とならないものとして債務者が請求し得ない権利は、債権者代位権の客体とはならない。民法 
               423条1項但書の一身専属権というのは、行使上の一身専属権であって、帰属上の一身専属権ではないと解されている。後者は、特定の権利者だけが享有できるものを                        いい、譲渡、相続の対象にならないものである。(896条但書)前者は、特定の権利者だけが行使できるものをいう。


              4.債権者代位権の行使

               民法は、特に債権者代位権の行使方法について規定していない。ただし、債権者代位権を行使する債権者の債権の期限が未到来であるときには、裁判上の代位でなければならないと規定されている。(423条2項) 期限が到来したときは、裁判外において自由に代位権を行使できる。その場合、債権者は債務者の代理としてではなく、債務者の名義でなく、債権者自身の名義で代位権行使すべきものとされている。相手方の地位について、代位債権者は、債務者の地位にたつ。そこで、相手方は、債務者に対して対抗しうるすべての抗弁権を代位権を行使する債権者に行使することができるとされている(相殺、権利消滅、同時履行等)。(以上「民法刑銚∩輜澄很鄲実消、有斐閣、99年、P80〜P90参照)


              5.債権者代位権の転用

               債権者代位権の行使は、判例では金銭債権にかぎられていない。「判例は、制度本来の趣旨を拡張する」(「新訂 債権総論」我妻栄著、岩波書店、64年、P160)。例えば、‥效呂稜禺腓移転登記請求権を代位行使すること、土地の賃借人が賃借権を保全するため上地の不法占有者にたいして賃貸人(所有者)の妨害排除請求権を代位行使すること、これらの事例は、特定債権の保全を目的とするものであり、本来民法が予定していた事案とはことなるが、民法423条を適用して、債権者代位権の行使を認めた。これが債権者代位権の転用と呼ばれる現象である。
               一般的に転用を認める条件として,△覿饌療な結果を導くことが妥当とされる場合に、それを導くためのより直截な法的手段・法技術が十分開発されておらず、特に一応まず考えられる法的手段の使用がその伝統的理論などの故に困難とされるような場合であって、△修療祥僂砲茲辰栃棲欧生じないか、若干弊害があっても右の望ましい結果と比較すれば僅少のものでもやむを得ない場合であるとされる(星野説−「新版・判例演習民法3 債権総論」谷口他編、有斐閣、82年、P85参照)。

               では、上にあげた‥亠請求権、∨験嫁喀請求権の代位権行使を考察してみよう。

               ”堝飴困AからB、BからCへと順次譲渡されたが、いずれの売買についても移転登記がなされていない場合に、判例は、Cが、CのBに対する移転登記請求権を請求でき るとしている(明治43年大審院判決一土地売買登記及代金請求の件)。これによって、AからB、BからCへと移転登記することが可能となり、Cとしては、Bが移転登記手続に強力してくれなくとも、所有権取得を確実なものとすることができ、Cにとって対抗要件を備えるための、有効な手段を与えることになる。


               ■悗Yから賃借している土地をZが不法に占拠している場合、判例は、Xは賃借権を保全するために、Yに代位して、Zに対して妨害排除を請求できるとしている(昭和4年大審院判決−バラック収去土地明渡請求事件)。賃借人がその土地をいったん占有した後であれば、占有権に基づき妨害排除請求をなしうる(198条)。また、判例は、一定の場合に賃借権に基づく妨害排除権を認めている。これらの手段がとれない場合、賃借人が目的土地の引き渡しを受けていない場合など、代位権行使による妨害排除請求を認める意味がある。(「民法判例百選供徑斐閣、96年、P34〜P37参照)

               これら転用現象事例について共通する点は、本来直接請求の問題として処理すべき問題であること、被保全債権と被代位債権とが密接な法的関係を持つ点である(下森説−「新版・判例演習民法3 債権総論」谷口他編、有斐閣、82年、P85参照)。

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              国際法ノート 地球環境保護について

              2011.10.12 Wednesday
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                中央法規出版
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                (1999-03)

                JUGEMテーマ:学問・学校

                   一般に国際法の発展は水平的拡大と垂直的拡大の方向性をもつ。前者は、二国間から多国間、深海底から宇宙空間等への地理的空間的発展や国内法への内在化であり、後者は法源の成立形式における裁判規範性の拡大や国家から個人などへの法主体性の広がりである。
                 このレポートをまとめるにあたり、1.国際法の発達の日本の環境政策への影響、2.転換点になった宣言、条約等の水平・垂直的発展、3.今後の地球環境に関する国際法の発達方向、という視点から叙述する。日本の環境政策という一見した特殊性の中に地球環境保護の国際法主体の発展過程・方向という普遍的具体的概念が現れているからである。 
                 また、ボールデインクの言う「宇宙船地球号」の国際法法源の一つとして」us cogensまたはperemptory norms (強行規範)を具体的に定める発展方向も見えてくるからである。

                1.地球環境保護・保全の国際法に対する日本政府の認識は、99年「環境白書」に如実に現れている。序章では、わが国の環境行政も地球化時代に入ってきたことを明らかにした。 「まとめ」で「21世紀は20世紀の教訓を真摯に受け止め『環境立国』として地歩を固め、地球全体の持続的発展に向かって役割を果たしていく極めて重要な世紀」と評価した。「国際条約等に基づく取組」(「施策JP111より」では、地球環境保護の国際条約・議定書等の履行と国内体制整備やイニシアチブの発揮を主張している。この認識に到達した原因は言うまでもなく環境破壊の現実と国際法の発達である。
                 これら一般施策にたいして、例えば97年12月「気候変動枠組み条約」第3回締約国会議(COP3)京都議定書の主旨を踏まえた「地球温暖化対策の推進に関する法律」(98年9月成立)は、C02排出の8割以上が事業者に関連するため事業者の計画公表義務も制裁措置もない。これでは国際条約履行の実効性に乏しいと言わざるを得ない。また、オゾン層保護のための「モントリオール議定書」を国内法化した「特定物質の規制等によるオゾン層保護に関する法律」(88年制定、91年改正)は、政令で指定された物質の排出のみを規制して、それ以外のオゾン層破壊物質を規制の対象としていない、という指摘がある (「環境法入門」吉村・水野編、法律文化社、99年6月、P154〜157参照)。政府の虚偽報告も報道された(「環境新聞」98年7月15日)。これらは国際法の水平的発展の後退一国内法にまで内在化されているが“不完全履行”の状態だと考えられる。


                2.ここに現れた国際法の発達・発展を歴史的に考察してみよう。(「地球環境条約集第3版」中央法規、99年、解説、年表等参照)


                 (ア)1909年来加境本条約などの条約は、国際河川・湖沼の汚染防止を目的とし、1933年自然状態の動植物相保護に関するロンドン条約は、生態系保護の先駆的条約となった。さらに核汚染防止を含む海洋・宇宙・大気の汚染防止に関する条約ないし関連規定が1950年代〜1960年代に作られた。 1960年代には海洋・大気・淡水が稀少な資源と認識され同年代の終わりにはレイチェル・カーソンらの科学的知見に基づいて地球生態系の危機に対する国際社会の関心が増大した。しかし、地球規模にまでは到らなかった。

                 (イ)そうした状況のなかで、1972年、国連人間環境会議がストックホルムで開催された。ここで採択された人間環境宣言は、環境を自然環境と人間環境に区別し、前者は大気、動植物(棲息環境を含む)、天然資源をあげ、後者は人間の尊厳・福祉を保持するに不可欠な環境としている。また、人類は地球の管理者であり(前文6)、人間は健全な環境で一定の生活水準を享受する基本的権利をもち、環境を保護・管理する厳粛な責任を負う(原則1)とされた。また、人間環境の保護・改善はすべての国の義務であるとされた(前文2)。それまで曖昧だった「環境」について定義し、2国間あるいは数国間にとどまった拘束を「すべての国」にまで拡張したことは垂直的・水平的発展の典型であると言える。
                 この宣言は国家を直接に拘束しないが「環境に対する国家の権利と責任」(原則21)は既存の国際慣習法(領域使用の管理責任の原則)を一部確認し、その適用範囲を拡大した。すなわち、国家は管轄権内の活動が、他国の環境または国際公域(公海とその上空、宇宙空間、深海底)の環境を害さないような義務を負う。領域外の加害活動が与える環境損害についても、国家は防止する責任を負うとともに、保護される地域が他国の環境のみならず、国際公域の環境をも含むとする点で、それまで隣接する国家間で生じる越境損害についての国家の管理責任の範囲を拡大するものとして注目される。これがオゾン保護のモントリオール議定書やその国内法化につながった。また、原則22は環境損害に関する国際賠償責任とその救済手続についての国際法が不備であることを認め、その発展のための国際協力を諸国に要求した。ここから領域外の私人の危険活動(海洋油濁汚染、原子力損害など)による環境損害や越境的な環境危険活動一般についての私人の無過失賠償責任を認める条約が生まれる基礎がつくられた(67年宇宙条約、71年宇宙損害賠償条約など)。


                 (ウ)この環境保護に関する国家の権利・義務を具体化するために、OECD、UNEP、ECなどの国際機構は一般的に法原則を提示し、条約の慣習法への転化を推進するのに重要な役割を果たした。とくに、OECDは環境委員会を設立し諸原則を定め、協議の義務、環境影響評価の義務、汚染者負担原則等を規定した。また、ストックホルム会議と同年、国連決議に基づいて設立されたUNEP(国連環境計画)は、78年に共有天然資源行動原則を管理理事会の決定として採択した。この行動原則は、資源開発の主権的権利と責任、環境影響評価の義務、緊急通報義務、被害者個人の救済などを規定し、関連の国際法の発展にっとめた。これは、前記のOECDの勧告とともに、80年代の国際法団体の活動に影響を与え、条約にない部分を補う国際慣習法の発展を促した。これがチェルノブイリ事故後の国際条約を確定する際に生きた。(86年原子力事故早期通報条約、同援助条約等)


                 (エ)80年代に入ると、地球環境の破壊がさらに深く科学的に認識されるようになった。82年UNEP・ナイロビ宣言では、オゾン層の破壊、C02濃度の上昇、酸性雨、海洋・淡水の汚染、有害廃棄物の処分にともなう汚染、動植物の種の絶滅など、地球環境に対する脅威が広範囲に現実の問題として確認された。80年代後半からは、先進国首脳会議の経済宣言は、地球環境問題をとりあげ、地球生態系の均衡の保持は国際協力によって解決すべき緊急の課題とされた。こうしたなかで、1992年の環境と開発に関する国連会議(UNCED)地球サミットが開催された。地球サミットは、リオ宣言とその行動計画(アジェンダ21)を採択し、地球環境を健全に維持するための国家と個人の行動原則を示した。環境と開発に関する国家の主権的権利と責任、環境と開発の統合による持続可能な開発の達成、貧困撲滅のための国際協力、効果的な国内環境立法の制定、汚染者負担原則、環境影響評価の国内実施などの一般原則を規定した。「維持可能な開発」とは将来世代の必要を満たすかれらの能力を害することなく、現在の世代が自らの必要を満たすことである。
                 リオ宣言では、環境か開発かと対立したが、多様な利害が錯綜するなかで「法」に基づく解決とNGOなどの運動・世論が車の両輪になった(「地球環境問題をひもとく」小林純子他著、化学工業日報社、97年、P73以下参照)。世界は、COP3で一層世論の力を実感した。 UNCEDは、リオ宣言を具体化するために92年、生物多様性条約、気候変動枠組条約、森林原則声明を採択した。 97年の国連環境開発特別総会は、「アジェンダ21のさらなる実施計画」を採択したが、持続的でない先進国の生産と消費による環境への脅威の増大が指摘された。今後の課題として声明に基づく森林保護条約の作成と気候変動枠組条約の議定書の作成が必要とされた。これがCOP3の京都議定書に結実し、国内法の実定法化と繋がる。(「人間環境の創造」竹市他編、勁草書房、99年、P113以下参照)


                3.今後の地球環境に関する国際法の発達は「持続可能な発展のための法原則」(「地球環境保護の法戦略」坂口洋一著、青木書店、98年、P225)を提供する。国際法の発展により、より広範囲に、また未知の汚染にたいしてもカバーできる包括性をもつものになる。また、法主体として自然人や多国籍企業法人が認められ、「人間環境の大量汚染の禁止等についての重大な違反」(国際法委員会国際責任草案19条)として国際違法行為が問われることになると思われる。地球規模での公正を法社会学者ロールズの「公正としての正義」から模索しようという議論もある(「環境経済学」植田和弘著、岩波書店、98年、P196)。
                 現アメリカ副大統領ゴア氏は『地球の掟』(ダイヤモンド社、92年、P355)でSEI(戦略環境構想)を著し「環境に優しい高度な技術を開発し普及させるプログラムを推進する総合的な計画」を提案した。ところが、環境汚染の一つである核兵器の“高度な”廃絶技術について言及はなく、最後に言う。「選択は我々の手の中にある。地球はバランスの中にある。」と。我々とは誰か?「法の支配」とは、まず統治者を拘束することである。国際法も「法」であるという立場に立つなら強行規範は具体的に定めるべきである。ウィーン条約法条約の漸進的法典化の精神はそこにこそ実現されるべきであると、私は考える。

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                行政法ノート  行政の不作為

                2011.10.12 Wednesday
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                  JUGEMテーマ:学問・学校

                   行政の不作為について


                  1 行政の流れ 
                   行政庁は、行政活動の担い手である行政主体の意志を決定し、これを外部に表示する権限を有する機関である。この行政庁の処分決定の時期を中心として、行政庁のなすべき行為を〇前処分行政行為事後救済と時系列的に分類できると仮定しよう。
                   この〇前処分(あるいは国民の視点から考えれば事前救済とも言える)として行政手続法や情報公開法が制定されていると考えられる。
                   また、行政行為は当然、行政法で規定されその法規の機械執行としてのき束行為と裁量行為とに大別される。いずれも、憲法、法律および行政立法、条約、条例と規則、慣習法、判例法、法の一般原理を行政行為、運営の規範とする。当然司法統制を受ける。
                   さらに、事後救済として国家賠償法、行政不服審査法、行政事件訴訟法がある。

                  2 行政庁の作為と不作為 
                   「行政庁の不作為」(簡単には何もしないこと)は、以上の流れのどの位置においても起こり得るため、このような公権力の権限不行使による不利益・被害に備え、国民救済としての規定がおかれている。 とくに,涼奮である行政訴訟にいたる以前の事前手続においては、予め、申請に対する行政庁の不作為を回避するために、行政手続法が、審査基準を公にすること(第5条)や標準的な処理期間(第6)、申請の審査を遅滞なく行うこと(第7)、申請拒否にたいする理由の提示(第8条)、申請者の求めに応じ審査の進行状況及び処分の時期の見通しなど情報の提供につとめること(第9条)等を規定している。
                   △涼奮では、行政行為の不作為は法律違反等で厳しく規制されるが、とくに裁量行為としての自由裁量は司法審査の対象となる場合もある。行政事件訴訟法は、第30条で「行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえまたはその濫用があった場合に限り、裁判所は、その処分を取り消すことができる」と規定している。
                   近時においては、この裁量権の不行使(不作為)があった場合に、国民に“行政介入請求権”、“無瑕疵裁量行使請求権”が認められ、この不作為を国家賠償、行政訴訟で争う見解が有力になっている(皆川治廣『行政法の基本体系』北樹出版、2000年、P57)。裁量権収縮論は、一定の場合には「規制権限を行使するか否かについての行政庁の裁量は収縮・後退して、行政庁は結果発生防止のためその規制権限の行使を義務づけられ、したがってその不行使は作為義務違反として違法となると解すべきである」(原田尚彦『行政責任と国民の権利』弘文堂、1979年)とした考えである。

                   △涼奮では、「行政庁の不作為」について行政不服審査法第2条2項では、「行政庁が法令に基づく申請に対し、相当の期間内になんらかの処分その他公権力の行使に当たる行為をすべきにかかわらず、これをしないこと」と規定し、第7条で不作為についての不服申し立て(異議申し立て及び審査請求)の道を開いている。 また、行政事件訴訟法では、第3条5項において「不作為の違法確認の訴え」の定義として、「行政庁が法令に基づく申請に対し、相当の期間内になんらかの処分または決裁をすべきにもかかわらず、これをしないことについての違法の確認を求める訴訟」としている。これは「行政庁のにぎり潰しを排除する制度」(塩野宏『行政法饗萋麋如挈斐閣、95年、P183)であり、裁判所によってこの違法性が確認されると、行政庁は速やかに処分、決裁をおこなうよう拘束を受けることになる。

                  3 行政庁の不作為をめぐる行政法上の論点
                   以上のように々埓庁の作為の側から積極的に「不作為」を防止できるか、不作為の結果を訴訟で争い賠償できるか、I垪邂拂に向かって不服申し立て、違法確認できるかが、行政法上の論点として浮上してくる。以下、基本的人権を公権力からまもり、国民を救済する立場からそれぞれの論点を検討する。
                   
                   ‘辰帽埓手続上の「不作為」の未然防止がすべての行政庁で保障されるかという問題である。事前救済として存在する行政手続法は平成6年に施行された新しい法律である。上記に述べたとおり「申請」についての「不作為」を事前抑制的に防止する効果があるといえる。不利益処分について聴聞弁明という二段階方式を採用するなど行政手続における適正手続が保障され、国民の能動的関与ができるようになっている。
                   ところが、第3条2項で地方公共団体の条例ないし規則に基づく処分・行政指導・届出等に関しては当該法律が適用されないと規定しているため、地方公共団体のする「不作為」に法律上は歯止めがかからないと解することもできる。第38条にはこれらの手続きに関して必要な措置を講ずべき、と規定してもである。
                   
                   特に(ア)権限不行使の違法性と(イ)作為義務の導出方法としての裁量権収縮論が問題となる。 
                   (ア)権限不行使の違法性
                     京都府にたいして宅建業免許の付与・更新、その宅建業者に対する業務停止処分・取消処分等の規制権限行使を懈怠したことが違法であると主張した国家賠償請求訴訟は、第一審判決では規制権限不行使は違法であると原告請求を一部認めた。しかし、控訴審判決では、規制権限の不行使について、著しく合理性を欠くとは言えないとして第一審判決を取り消した。そして、最高裁平成元年11月24日判決でも、「具体的事情の下において、知事等に監督処分権限が付与された趣旨・目的に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるときでない限り、右権限の不行使は、当該取引関係者に対する関係で国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない」と判示した(『行政判例百選供P290)。
                     また、薬害クロロキン訴訟判決(最判平成7年6月23日)でも、薬害を未然に防ぐための厚生 大臣の規制権限行使--日本薬局方からの削除、製造承認の取消措置--をしなかったことは「著しく合理性を欠くものとはいえない」(『行政判例百選供P292)として行政庁の不作為が直ちに違法となるわけではないことを示した。これに対しては批判的見解が少なくないと言われる。したがって「著しく合理性を欠くもの」が違法になるというべきである。
                   (イ)その権限不行使の違法性判断の前には、作為義務の存在がある。この「義務」の導出方法に「裁量権収縮論」に立つものとそうでないものに大別される。前者を採用した例として野犬幼児咬死事件判決などがあり、後者は警察官ナイフ保管懈怠事件判決などがある。ところが上述の宅建業法事件判決、薬害クロロキン訴訟判決では裁量権消極的濫用論にたつものであると言われる。

                   最後は「不作為の違法確認訴訟」についての論点である。
                     最高裁昭和47年11月16日判決「不作為の違法確認等請求事件」では、(ア)独禁法45条1項は独禁法違反として公正取引委員会に報告した者に審判請求権を認めたものかどうか、(イ)認めたものでないとしても公正取引委員会が何らかの「適当な措置」をとるべき義務を負うかどうか、(ウ)審判請求権が認められない場合、不作為の違法確認の訴えが不適法となるのか、が問題とされた(『行政判例百選供P476)。
                     結局、この判決は「独占禁止法45条1項は、公正取引委員会の審査手続開始の職権発動を促す端緒に関する規定であるにとどまり、報告者に対して、公正取引委員会に適当な措置を要求する具体的請求権を付与したものであるとは解されない」としてこの訴えを不適法、上告棄却された。
                      しかし、ここで提起されている問題は、不作為の違法確認の訴えが申請権のある者の申請に対する行政庁の不作為の違法を確認することによって申請に対する許否の判断を促す機能を有する点を考えると、申請権の有無は、行政庁の不作為が違法となるかどうかの前提であると言える。立法当初は、申請権の有無は不作為の違法確認請求の理由の有無の問題とされていたが、この見解では手続過程が権利義務関係であることを十分分析されていないと考えられる。                         

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                  古代法制史ノート

                  2011.10.12 Wednesday
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                     律令刑法について
                     
                     
                     そもそも律令制度とは、東アジア世界にみられる、律令法によって形成された国家統治体制である。大まかには、律は刑法、令は行政法・民法で、この法体系のもとに国家体制がととのえられた。「東洋では、中国法において刑罰が早くから公的性格のもの一公刑罰一として現れているが、これは国家権力を背景として公法の一部にあたるものとしての刑法がみとめられたことを意味する。律令の『律』はこれを意味する」(「法学の基礎」団藤重光著、有斐閣、97年、P89)。また、石井良介氏は正確には「律は懲粛法であり、令は勧誠法」(「日本法制史概要」52年、P26)であると述べている。
                     特に、「日本では、隋・唐の支配に抗する国家建設のために人民を集中的に管理するための支配体制を導入することが最優先した。律に関しては、中国の律は国家・人間としての礼を機軸とした刑法体系だったが、日本では飛鳥浄御原令がつくられた際も律は作られず中国律がそのまま用いられ、養老律令のうちの養老律は人々の関心をよばずに、多くが散逸してしまった。これに対して統治のための行政法にすぎない令の方が尊重され、本文だけでなく「令義解」「令集解」など注釈書の編纂も盛んにおこなわれた(「国史大辞典」第14巻、吉川弘文館、93年、P573〜P578参照)。
                    ​ この小論では、この2つの文献に見える裁判法規を律令裁判制度として述べることとする。(注1 歴史的状況は「講座 日本歴史2 古代2」(歴史学研究会・日本史研究会編、東京大学出版会)を参照)    
                     律令制度自体は、大化改新(645年)から、飛鳥時代の飛鳥浄御原令(689年制定・施行)に始まり、大宝律令(701年制定・施行)で完成、養老律令(757年施行)で整備され、平安時代になって律令刷新政策(781年〜)によって「格式」の編纂が盛んになった。こうした格式の編纂は、律令を基本法とする時代から格式が重要な役割を果たす時代になったことを示し、律令国家の崩壊と、きたるべき平安時代の幕開けを予想させた。(年代は、「日本史年表・地図」児玉幸多編、吉川弘文館、99年による。)
                     このような歴史の流れのなかで問いの律令断罪裁判はどのようなものであったか。告訴手続き、審理、判決、実効性と変化、現在との相違を述べる。

                    1.告訴手続き
                      「律令の訴訟制度は二つの系統に分かれている。その一つは訴訟であり、その二は断獄である。・・断獄の普通裁判管轄は断罪と決行(刑罰の執行)との二つの標準によって決まった」(「日本法制史概説」石井良助、弘文堂、49年、P134)。断獄は、侵害にたいする裁判手続きである。犯罪はもとより、不法行為もその手続きにしたがった。
                     断獄の手続きは原則として糾弾の官である弾正台の糾弾、または一般人民の告言者である義務的糾弾者(諸司の監督官と国郡司里長等)と普通糾弾者(被害者等)の告言によって開始される。告言は、口頭または告状をもって、被告の姓名、犯罪の日時、事実、原告の姓名を明記する。匿名は人を陥れ誣告の責任を免れるとみなされて厳禁、刑罰の対象とされた。闘訟律に「凡そ匿名者を投じ、人の罪を告する者は徒三年せよ」とある。(注2  「律」等の原文は日本思想体系「律令」(岩波書店 94年)を参照)
                     
                     本人の意志を確認し誣告を防ぎ濫訴をさけるために、告言を受けた官司は別の日に三度、告言人に対して、その告言することが嘘であるなら反座(告言が嘘ならばその罪は自分に帰る)に処せられる旨を告げる(三審)。「政事要略」引用の実例では、言い渡しを行う者は主典、判官(律令官司四等官の下位)が監督した。その後、被告人を追捕し、訊問をおこなった。もっとも謀反、大逆、殺人、盗賊、逃亡および急速を要する場合は、三審を経ずただちに追捕し、訊問を行うことができた。原則として、何人をも告言できたが、父母等が他人に殺された場合には告言の義務が存在し、他面では祖父母、父母を告言することは八虐(当時、八つの罪を規定していた)の一つの不孝にあたるとして禁止された。告言を行う時期は、律令に時効制度ないから、いっでも告言できた。ただし「闘訟律」には、「凡そ赦前の事をもって相告言せば、その罪をもって之を罰せよ」とあるので、恩赦以前の罪を告言できなかった。

                    2.審理
                     断獄における審理のことを鞫獄(きくごく:鞫は問の意味)と言った。鞠獄は告言の範囲にとどまる。その裁判官は、辞(ことば)、色(顔色)、気(気息)、耳、目の五聴を備えていることが要求された。裁判官は、五聴により被告人の有罪無罪を決定するほか、「証信」による。つまり、証人尋問と証拠物の調査である。物的証拠の代表的なものは書証(戸籍、計帳、田地立券文書等)であり、とくに「名例律」には、「人年を称するは、籍を以て定となす」とし年齢については戸籍を法定証拠とした。証拠を取り調べた後、諸証だけでは犯罪事実の有無を判定できない場合、厳重な審査をへて、拷問の手段を用いた。[断獄律]には「凡そ囚を訊す応き者は、必ず先ず情を以て、詞理を審察せよ。反覆参験して、猶未だ決すること能わず、事須く訊問すべんぱ、案を立てて同判し、然る後拷訊せよ」と記している。  
                     断罪には原則として自白を要し、犯罪の嫌疑が濃厚なのに自白しないものにたいしては、拷問(拷掠または拷訊という)を行うことができた。ここで言う拷問とは、杖で臀部(でんぶ)と背を打つことであり、回数は三度(各回の間は二十日以上)、杖を打つ回数は二百以下であった。偽証者は罰せられた。被告人を法の許す局限まで拷問しても自白がえられない場合には一転して告言者に拷問を加えることになっていた。「断獄律」には、「凡そ囚を拷して限満ちて首せざれば、告人を反拷せよ」とある(当事者平等主義)。また、原告、被告両人が共に自白しない場合、近隣親族の保証人を立てて両者を釈放した。さらに、誤判の場合、裁判官人は共犯または連座として、その責任を問われた。 
                     この律令時代にあって、無能力者制度が存在し、80歳以上、10歳以下、篤疾、囚人の子孫、妻、奴等は証人能力を有しないとされた。また、70歳以上16歳以下、懐胎の婦女等は拷問できないが、衆証(3人以上の証人)で犯否をさだめた。さらに、律の官位階級尊重の精神を端的に表す制度として議請減贖章の特典のある者(高級官吏)一有位者及びその家族への拷問は免ぜられた(「日本法制史概説」石井良助、張文堂、49年、Pt47)。


                    3.判決・上訴 
                     罪囚の訊問は調書にとったが、裁判官がこの調書と証人の証言、証拠物件等によって犯罪事実を認定することを弁定または弁証、これによって判決することを断罪、判決文を断文と言った(「日本法制史(上)」瀧川政次郎、講談社、99年、P222参照)。弁定は、必ず囚人の前で読み聞かせて、筆記に誤りなきようにした。獄令では、「凡そ諸司の事を断ぜんこと、悉く律令の正文に依れ」として、断文にはすべて律令格式の正文を引用し、法的根拠が明示される必要があった。
                     犯罪事実が判断不明の事案(疑獄)であれば、諸国から刑部省に、刑部省においても明らかにならない場合は、省より太政官に上申し、官は官議(大納言以上の者、卿、大輔以上、および判事)で決した。「続日本後記」承和13年の裁判実例より推測すれば、6名の弁官で合議を決定しこれを太政官の次官、長官に稟議して判決を作成した(事物管轄制による覆審)/下級官人の専断防止と、被告の保護のため以上の覆審制をもうける他、太政官が地方へ使入を派遣して行うもの、被疑者の上訴によって生じるもの、3系統がみとめられた。刑部省はいわば司法官庁、太政官は最高裁判所である。大化の改新以後は氏上のもつ私的裁判権が否定され律令裁判制度が公権的になる中、法解釈の統一は、中央集権を目的とする律令国家にとって重要であった。(「新裁判の歴史」利光三津夫・長谷山彰著、成分堂、97年、P79、P106参照)

                    4.律令の実効性と変化
                     事件の多くは、旧来の豪族の子孫である郡司の裁判で片づき、中央がこれに関与することは稀であった。その、郡司裁判の実例を示すものとして「政事要略」の中に「但馬国朝来郡」の記録がある。奴婢から解放されたと称する女性は訴えを提起にしたにも係わらず、郡司の説諭をうけて追い返され、近隣の人々に袋叩きにあうなどの例を見ても、「律」の実効よりも非律令的方式で問題解決されたと考えてよい(「日本法制史I(古代)」利光三津夫著、慶応教材)。しかし、律令裁判制度は、班田制が崩壊し荘園制が発展する平安中期以降、検非違使庁が創設(弘仁年間中)され、使庁の裁判手続において変化した。一言で言えば、律令の仁政主義的粉飾を捨て去り、治安維持一本に目的を絞られた。具体的には、当事者平等主義、誣告反座、三審の廃止、下級宮人のみによる判決、即ち覆審制の廃止へと変化したのである。

                    5.現在の裁判との相違
                     律令断罪裁判と現在との違いは、〃沙と裁判が一体となっている、拷問による自白に証拠能力がある(憲法38条、36条との違い)、F淡△里△襪發里帽虧笋魎墨造垢襦雰法14条との違い)等の点である。(「憲法〔第3版〕」佐藤幸治著、青林書院、97年、など参照)。

                    (注3)その他、全面的に参照した文献 「世界大百科事典」平凡社、81年版、 カラー版「日本史図説」3訂版、東京書籍、99年

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                    英米法ノート  判例法と制定法の関係

                    2011.10.12 Wednesday
                    0
                      評価:
                      田中 英夫
                      東京大学出版会
                      ¥ 3,675
                      (1980-03)

                      JUGEMテーマ:学問・学校

                       アメリカとイギリスにおける判例法と制定法の関係について、1.英末法の特色としての判例法主義の意味、2.制定法から見た判例法との関係、3.アメリカの先例拘束の理論の緩和について、の3つの観点から述べる。

                        1.英米法の特色は、“塾稻ー腟銑陪審制度K,了拉?エクイティの存在といえる(パウンド、ゲルダート「英米法」慶応大学教材、平良著、97年、P3、P 113〜参照)。 このなかで、判例法主義は、裁判所の判決を第一次的法源とする。これに対して我が国やヨーロッパでは、制定法を第一次的法源とするため判例法主義と対照的である。
                       ここで言う判例法とは、コモン・ローとエクイティ(衡平法ともいう)の体系である。それらの関係は、「英米法律家が、特定の法律問題について考えるには、まずコモン・ローではどうなっているか、次にそれが衡平法によって補充または変更されていないか、最後にその点について制定法の規定はないか、と三段階の思考過程をへるのが通例である。」(「英米法概説」田中和夫著、有斐閣、98年、P 275参照)と言われる。
                       判例法主義の基本原理は、先例拘束性の原理(doctrine of judicial precedent)である。 判例の根拠となった法則(判決理由、レイシオ・デシデンダイ、ratio decidendi)が、将来の事件の判決にたいして法的拘束性をもち、傍論(オビター・ディクタム、orbiterdictum)とは区別(distinguish)する(同上、P 122〜参照)。また、第二次的法源として制定法があり、近年、その重要性がますます増大している。イギリス1946年の制定法文書法では、枢密院や大臣が制定する命令・規則などのうち重要なものを制定法文書(Statu-tory lnstrument)としているが、その数は1991年には2945本である(「比較憲法入門」阿部照哉編、有斐閣、98年、P68表13参照)。
                       
                        したがって、「法の支配」(≠法治主義)とは、歴史をへてコモン・ロー、国会制定法やエクイティ裁判所等で作り上げられた国法の優位という意味になり、特に法によって支配される対象の重点は統治者・政治権力者であるという思想である。(「英末法概説」田中和夫著、有斐閣、98年、P49〜74参照)

                       歴史的には、イギリスのベンサムは、産業革命にともなう社会の変化は法の変化を必要としたが、この変化は裁判の変化をまつのでなく立法によって迅速に行われるべきであるとして、伝統的なコモン・ローに対する変革を主張した(ベンタミズム)。 19世紀のイギリスでは主流にはならなかったが、法制定化の意義を先進的に主唱した。(「英米法総論上」田中英夫著、東大出版会、98年、P 152参照)

                        英米法における制定法と判例法との関係とは、簡単には以上のようなものである。



                      2.さらに、制定法側から英米の違いを含めて詳しく検討しよう。

                        \定法は第二次的法源であるが、ひとたびそれが有効に制定されたときは、常に判例法に優先する。制定法の規定と従前の判例法の法則とが抵触するときは、判例法の法則が変更されたことになる。 制定法の有効無効について言えば、イギリスでは国会主権のため、その制定した法律は常に有効であり(King in Parliament)、アメリカでは連邦にも州にも制定憲法が存在し、その規定に違反する連邦議会および州議会の制定した法律の有効・無効、憲法違反かどうかの有権的解釈は裁判所にある(違憲立法審査権)。
                       有効に制定された制定法は判例法に優先するから、判例法が不合理な場合、混乱するにいたった場合、時代の進歩に伴わなくなった場合、または新たな制度を設けようとする場合には、制定法を制定して法を改めるという方法が採られる。

                       ∪依的法律consolidating actと法典化的法律coditying act制定法は、判例法を補充しまたは変更するために制定されるほか、一般人の便宜のために、一定の法領域について従来の判例法を制定法の形にするために制定されることもある。
                       後者を法典化法律という。法典化にあたって判例法の法則に多少変更を加えることもあるが、大体において従来の法則をそのまま法典化する。 したがってこの種の法律の解釈について疑いのある場合には、法典化以前の判列に遡ってその意味を明らかにすることができるようになっている。判例法を法典化することによって、専門家以外の者も、たやすくある程度法を知ることができるようになるので、このような法典化は商事法についてしばしば行なわれる。イギリスのBills of Exchange Act 1882ヽSale of Goods Act1893等がその先例である。アメリカにもこれらに相当するUniform Negotiable lnstruments Act、Uniform Sales Act等が制定された。

                       ただし、アメリカでは法典化的法律に類似した役割をもつ「リステイトメント」と呼ばれるものがある。これはアメリカ法律家協会が判例法を形式的に条文の形に述べなおした判決の基準、アウトラインだが、法的拘束力はない。


                       制定法の解釈についても、英米法的な判例法一先例拘束性の原理が行なわれる判例法ができあがる。制定法についても、わが国におけるように、その条文のみを頼りにして解釈したのでは、現実の法を知ることはできない。たとえば、アメリカの連邦憲法については、極めて豊富な判例が積み重ねられ、判例憲法ができあがっていることをみてもわかる。(「比較憲法入門」阿部照哉編、有斐閣、98年、P 153〜参照)。


                       け冓討任蓮∪定法は判例法の法則を補充、もしくは変更するために、または法典化するために制定されるものであって、その背後には常に判例法がある。 したがって、制定法に規定のない事項については、従前の判例法がそのまま効力をもっている。一定の法領域についての判例法を制定化しようとする法典化法律についても同様である。
                       なお、従来の判例法の法則を変更するために制定法が制定された場合においても、その制定法の意味を明らかにするためには、従来の判例法を参照することが有効、必要である。

                       

                      3.とくに、アメリカの先例拘束の理論の緩和について

                       アメリカにおいてはイギリスと比較して先例拘束の理論が緩和されている。法学者グッドハートによれば、その理由について以下のように述べている。
                       .ぅリスにおいては先例への信頼が一つの“信仰”ともなっていたのにたいして、アメリカではそのような歴史を持たない。独立当初は法がもっぱら法曹階級のものであるという判例法主義に批判もあり(ジャクソニアン・デモクラシー)、19世紀には法典編纂の動きもあった(ニューヨーク州の法典化運動など)。
                       ▲▲瓮螢は一つの連邦と50州があり、しかもイギリスと異なって司法制度が中央集権化されていないことから、多くの裁判所が判例を出している。多くの先例を総括して一般原則として捉える傾向がでてくる。
                       アメリカ社会の変化は極めて急である。したがって19世紀の比較的安定したイギリス人の社会において現れた厳格な拘束力の原理を用いるなら、アメリカ社会が要請する正義に合致しなくなる。

                       ぅ▲瓮螢における法学教育が具体的判例を討論して法の理解を深めていくケース・メソドによって行なわれ、とりわけアメリカ各州の判例をピックアップしたケースブック(判例の教材)を教材として用いる。ケース・メソドはプラグマチズムと結び付き、先例を覚えるのではなく、先例を批判的に分析して、法を創り出す材料にすぎない。プラグマティズムとは、過去の産物は未来を創り出していくのに役立だないなら拘束力をもたないという歴史観をもつ。たとえば、1917年、合衆国裁判所判事ブランダイスは、それまで労働時間の制限は契約の自由の原則にたいして違憲であるという思想であったが、事実データを示し労働時間制限法は合理的であると結論づけた(「英米法総論 上」田中英夫著、東大出版会、98年、P 315参照)。

                       ゥ▲瓮螢の裁判所が違憲立法審査権をもっていることから、とりわけ憲法上の先例は政治の現状と結び付いて変化を生じやすい。あるいは憲法の判例は立法部による修正に面することになる。
                       以上のように、アメリカでは、先例を絶対とするのではなく、判例の中に共通する理論が、事件の解決の基準であり、判例以外の事実データから基準を発見する場合もある。

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