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まるくす勧進帳 3

2010.12.04 Saturday
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     第敬堯‖塚鄰甘官クラウディア


     トガーシュは、エンゲルスの殴った部下が、マルクス三世本人であることに気付いて
    いた。だが、同志を守ろうというけなげな努力と人間性と連帯に感動して見て見ぬふり
    をした。
    最後の歓迎会は、一瞬のすきを狙った策略だった。エンゲルス得意のサルサを要求し
    たのは、心の動揺なく「嘘」をつけるかどうかを試したのである。が、若くして老獪
    なエンゲルスは罠にかからなかった。
    「自分には縦の関係の人間しかいない。外界とは隔絶された世界にしかいきてこなか
    った」、トガーシュは自らの生い立ちを振り返る。横の友情も愛情も抱けず生え抜きで
    スパイとして養成されてきた。
    感情を正直に表現できない人間になりはてたのである。
    ドイツ映画「善き人のためのソナタ」の盗聴スパイは、対象の二人の愛に触れて憧れ
    をもってしまったため、任務をおろそかにし機関から処分されてしまう。
     トガーシュの行為は、それと同じで内閣官房から処分され、懲戒解雇か、さらなる成果の選択を迫られる。もちろんトガーシュは後者を選んだ。後がない。
     「もう一度。もう一度、成果を上げますので処分は留まってください」と内閣官房直属の国家安全保安機構に呼び出されて、哀願し決意を表明した。
    そこで仕組んだのが、マルクス三世を堕落させ骨抜きにする謀略だった。
     アーヘンのチェック・ポイントをすり抜けたエンゲルス、マルクス一行はベルギーのブリュッセルに到達。フランソワ・グザビエ通ヴァーノー街区のアパルトマンの一室に落ち着いた。ベルギーの同志の手引きによった。
     ビスマルク政府は、ベルギー政府に協力を呼びかけ帰国命令を要請したが、政治亡命を認めているベルギー政府の権限は退去勧告までで、しかも公共の福祉を犯さない外国人まで強制執行できない。ベルギー憲法で禁止していた。
     エンゲルスは何もなかったかのように一旦、商談のため、アムステルダム経由で日本支社に行き、マルクス三世らはアパルトマンに分散して留まった。その時、交流を深めたのが情熱の革命詩人ハイネットである。
     トガーシュは、若きマルクスのアパルトマンに絶世の美女、クラウディア・シェーンベルクを送り込み、道徳的に堕落させ社会からの孤立をはかろうとした。マルクスはベルリンに妻イェニーと娘を置いて潜行しブリュッセルに到着した。その寂しさの心の間隙をトガーシュは衝こうと考えた。
     クラウディア・シェーンベルクは、国家安全保安機構所属。表向きは女優だが映画やテレビに出ていたという話は一切聞いたことがない。舞台にも出ていない。人を堕落させる手練手管を、ベルリンの(    )学校で学んだ堕落担当女性警官だった。
    機構からの命令を受けてクラウディアはブリュッセルのアパルトマンに出張した。アパルトマンの屋根裏にマルクス三世は隠れていた。
    クラウディアの訪問は、妻イェニーの使いが大義名分だった。ドイツからの手紙を届けるために忍んできたというのだ。
    長い旅路の労苦をねぎらうために、マルクスは、たった二間しかない屋根裏部屋の台所のテーブルで応接。妻からの手紙を受け取った。筆跡も同じ。
    コーヒーを注ぎながら、
    「それで、あなたとイェニーとの関係は?」
    と当然の問いをマルクスは発した。
    クラウディアは、
    「私、お父様の秘書です」
    確かに、マルクスの父親は弁護士事務所を開設していた。そこの新しい秘書だろう、長い間、離れ離れになっているので事務所の事情まで、知らないのもおかしくはない。
    また、よく知っている人間を派遣するのも、亡命中のマルクスにも、家族にも忍びがたい危険にさらす。
    「こんなに遠いところを。飛行機でいらっしゃったのですか」
    「アムステルダム経由です。ただ、私はもともとブリュッセルで生まれなので、この地に明るいということでお父様からイェニー様の手紙を託されたのです。自らは連れ合いと別れまして自由の利く身になっているのです」
    関係ないことを言う女だとキッとなりつつ、
    「生き別れですか、死に別れですか」
    とマルクスが問うと、
    「生き別れ、協議離婚したということです。どうしても考えが合わなくって。ところで、マルクスさんが亡命されてからというもの、ドイツでは民主主義の灯が消えたようになっています。人々は議会にも地域にも民主主義がなくなれば、のどが渇きます。ところが、こちらブリュッセルに参りますとポスターも自由に貼れ、政治ビラも自由にポスティングできる。選挙の個別訪問も自由というから、全く違う民主主義の政治風土です。私もお父様の事務所で働いて実際の法律を学んでいる一人ですが、やがては女性政治家を目指そうと考えていたところです。だから、お父様から頼まれた時は、女の身にもかかわらず、先進的なマルクスさんにも一度お目にかかりたいと逆に志願したほどなのです」
    泉のように澄んだつぶらな眼には深い決意が漲っているように、マルクスには見えた。
    「そうですか。立派なこころがけです。それで、なぜブリュッセルからベルリンに移られたのかな。」
    それでもなお、いぶかりながらマルクスは訊いた。クラウディアは、
    「高校生の頃、ベルギー人の父親が離婚して、ドイツ人の母親の故郷に引き取られベルリンに住んだのです。この父親が浮気症で、それに嫌気がさして離婚したと聞いております」
    「哀れな物語ですよね。親の都合で子どもが振り回されるなんて」
    と、マルクスはもう何か月も人と口を聞いていなったので人恋しくなっていたのに気づいた。
    「お父様は、せっかく遠いところへ出かけて行くのだから、マルクスさんのお話もよく聞いてこいともおっしゃっていました。それで亡命の憂さも晴らせるでしょうと。壁に耳ありで、屋根裏部屋といっても大きな声では階下に響くし、小さい声では聞こえにくいので、近くによってよろしいでしょうか」
    「構わないが・・」
    躊躇せず、クラウディアはテーブルの椅子をマルクスの横に移動させた。マルクスの鼻に香水のにおいがついてきた。しばらくぶりにかいだ甘い香りだった。
    「もう何か月も人と会わないと、しゃべり方も目の合わせ方も忘れてしまう」
    マルクスは関を切ったようにしゃべりだした。
    「クラウディアさん。父によく伝えてください。国境のアーヘンで、同志エンゲルスの機転で助けられほっとしたのも束の間、これからどうやって生活していくのか。考えあぐんでいる。目立たない掃除のアルバイトも面接で断られ、政治亡命者と分かればそれだけで書類選考でおとされる。かといって、経歴書に嘘を書くわけにはいかない。ドイツなまりのフランス語も就職の邪魔。職が見つかれば、なんとかカツカツの生活でも合間に政治活動と執筆はできると思い込んでいたが、甘かった。故国の政治は変えなければならない、そういう高邁な理想は崩せない。一方、こう兵糧攻めでは、窮鼠猫をかむことになりそうだ。霞を食って活動した政治家はいない。援助者がどうしても必要なのだ。ここで寝返ったり、自暴自棄になったりしたら敵の思う壺だ。だから、今までよりも厳格な生活をし、節制している。日々、哲学書や文学書を読み、執筆をすること12時間。これが今、私の最大の命綱になっている。子どものころから読んだ本を読み返し、どこが発展したのか、どこが欠けていたのかを詳細に自己点検する人生の休暇ととらえて自身を慰めている。」
    「イェニーと娘のことを思い出すと心が締め付けられる。どうしようもないジレンマだ。心も騒げば肉体も暴れだす。私は、ああ、大罪人です。自分を責めるとストレスもたまる。」
    クラウディアは、小さくうなずきつつ聞いていたが
    「そう、ご自分を責めなくても。今までの活動は誰も否定できませんわ。私の元の連れ合いも実は活動家で、ビスマルク政府に軟禁されております。はじめて会った時は、なんと優秀な、でも遊び人っぽい活動家でした。それが最近の活動家像だと勘違いしていました。絵なんかもさらさら描いてあまりにみごとなものですから、というより、その手の美しさというものが、女性の手よりしなやかなので、これはもう、どうも表現できないくらいでしたのよ。別れたのは、道徳の違い、女性観の違いです。それに比べれば、あなた様は、故国に妻子を置きながら、日本の作家が謳った「やわ肌の熱き血潮に触れもみで、寂しからずや、道を説く君」という気持ちにさせてしまいます。」
    いきなりストレートに虚を突かれたマルクスは、官能的な言葉遣いに酔っていた。
    的を射たと思ったクラウディアは、さらに、
    「マルクスさんは勉強ばかり。でも、私たちは、若いころ海や川に遊びに行き、ヒールを脱いでスカートをなびかせて浜辺を走ったものです。遠浅の浜辺は、波が静かで引いた瞬間に砂が光るんですよ。ドラマみたいに波打ち際で抱き合ったものですね。思い出は美しく、現実は厳しいですが。」
    と、マルクスの前でスカートの脚を組みかえて見せた。マルクスは目のやり場に困ったが、心は火照りを感じた。クラウディアはつづける。
    「ほの暗い夕方、走って着いた先が漁師のあばら家。彼はすぐに手をとって中に入り、何かの積もる物語をして、酒を飲むやら、二人は組んで転んで、転んで組んで、そのうち、男女関係になったのです。「明日はまた誰かなからんも知れぬ世に、友ある今日の日こそ惜しけれ」なんて刹那主義、笑っちゃいますが、ほんとのことだったんですね。彼はそれでも活動家と主張してはばからなかったのです。」
    その時、急に、マルクスは椅子から崩れ落ちた。心火照りから、高血圧に悩んでいたマルクスは朦朧となり、連日の猛勉強の疲れと栄養不足からも、貧血を起こしたのだ。
    クラウディアは、とっさに体温と呼吸を確認し、口移しで水を含ませ、体温が落ちないように体を合わせて数分たった。
    マルクスは、クラウディアの腕の中で意識を戻しはっとして、
    「うんっ?、社会革命家にあるまじき態度だ。女性の話に聞き惚れて、思わず火照ってしまいました。なぜ、こんな話になったのか。もとにもどそうじゃありませんか。」
    と、唇はからからに乾いて悪寒のするのを隠しながら言った。

     

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