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古代法制史ノート

2011.10.12 Wednesday
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    JUGEMテーマ:学問・学校

     律令刑法について
     
     
     そもそも律令制度とは、東アジア世界にみられる、律令法によって形成された国家統治体制である。大まかには、律は刑法、令は行政法・民法で、この法体系のもとに国家体制がととのえられた。「東洋では、中国法において刑罰が早くから公的性格のもの一公刑罰一として現れているが、これは国家権力を背景として公法の一部にあたるものとしての刑法がみとめられたことを意味する。律令の『律』はこれを意味する」(「法学の基礎」団藤重光著、有斐閣、97年、P89)。また、石井良介氏は正確には「律は懲粛法であり、令は勧誠法」(「日本法制史概要」52年、P26)であると述べている。
     特に、「日本では、隋・唐の支配に抗する国家建設のために人民を集中的に管理するための支配体制を導入することが最優先した。律に関しては、中国の律は国家・人間としての礼を機軸とした刑法体系だったが、日本では飛鳥浄御原令がつくられた際も律は作られず中国律がそのまま用いられ、養老律令のうちの養老律は人々の関心をよばずに、多くが散逸してしまった。これに対して統治のための行政法にすぎない令の方が尊重され、本文だけでなく「令義解」「令集解」など注釈書の編纂も盛んにおこなわれた(「国史大辞典」第14巻、吉川弘文館、93年、P573〜P578参照)。
    ​ この小論では、この2つの文献に見える裁判法規を律令裁判制度として述べることとする。(注1 歴史的状況は「講座 日本歴史2 古代2」(歴史学研究会・日本史研究会編、東京大学出版会)を参照)    
     律令制度自体は、大化改新(645年)から、飛鳥時代の飛鳥浄御原令(689年制定・施行)に始まり、大宝律令(701年制定・施行)で完成、養老律令(757年施行)で整備され、平安時代になって律令刷新政策(781年〜)によって「格式」の編纂が盛んになった。こうした格式の編纂は、律令を基本法とする時代から格式が重要な役割を果たす時代になったことを示し、律令国家の崩壊と、きたるべき平安時代の幕開けを予想させた。(年代は、「日本史年表・地図」児玉幸多編、吉川弘文館、99年による。)
     このような歴史の流れのなかで問いの律令断罪裁判はどのようなものであったか。告訴手続き、審理、判決、実効性と変化、現在との相違を述べる。

    1.告訴手続き
      「律令の訴訟制度は二つの系統に分かれている。その一つは訴訟であり、その二は断獄である。・・断獄の普通裁判管轄は断罪と決行(刑罰の執行)との二つの標準によって決まった」(「日本法制史概説」石井良助、弘文堂、49年、P134)。断獄は、侵害にたいする裁判手続きである。犯罪はもとより、不法行為もその手続きにしたがった。
     断獄の手続きは原則として糾弾の官である弾正台の糾弾、または一般人民の告言者である義務的糾弾者(諸司の監督官と国郡司里長等)と普通糾弾者(被害者等)の告言によって開始される。告言は、口頭または告状をもって、被告の姓名、犯罪の日時、事実、原告の姓名を明記する。匿名は人を陥れ誣告の責任を免れるとみなされて厳禁、刑罰の対象とされた。闘訟律に「凡そ匿名者を投じ、人の罪を告する者は徒三年せよ」とある。(注2  「律」等の原文は日本思想体系「律令」(岩波書店 94年)を参照)
     
     本人の意志を確認し誣告を防ぎ濫訴をさけるために、告言を受けた官司は別の日に三度、告言人に対して、その告言することが嘘であるなら反座(告言が嘘ならばその罪は自分に帰る)に処せられる旨を告げる(三審)。「政事要略」引用の実例では、言い渡しを行う者は主典、判官(律令官司四等官の下位)が監督した。その後、被告人を追捕し、訊問をおこなった。もっとも謀反、大逆、殺人、盗賊、逃亡および急速を要する場合は、三審を経ずただちに追捕し、訊問を行うことができた。原則として、何人をも告言できたが、父母等が他人に殺された場合には告言の義務が存在し、他面では祖父母、父母を告言することは八虐(当時、八つの罪を規定していた)の一つの不孝にあたるとして禁止された。告言を行う時期は、律令に時効制度ないから、いっでも告言できた。ただし「闘訟律」には、「凡そ赦前の事をもって相告言せば、その罪をもって之を罰せよ」とあるので、恩赦以前の罪を告言できなかった。

    2.審理
     断獄における審理のことを鞫獄(きくごく:鞫は問の意味)と言った。鞠獄は告言の範囲にとどまる。その裁判官は、辞(ことば)、色(顔色)、気(気息)、耳、目の五聴を備えていることが要求された。裁判官は、五聴により被告人の有罪無罪を決定するほか、「証信」による。つまり、証人尋問と証拠物の調査である。物的証拠の代表的なものは書証(戸籍、計帳、田地立券文書等)であり、とくに「名例律」には、「人年を称するは、籍を以て定となす」とし年齢については戸籍を法定証拠とした。証拠を取り調べた後、諸証だけでは犯罪事実の有無を判定できない場合、厳重な審査をへて、拷問の手段を用いた。[断獄律]には「凡そ囚を訊す応き者は、必ず先ず情を以て、詞理を審察せよ。反覆参験して、猶未だ決すること能わず、事須く訊問すべんぱ、案を立てて同判し、然る後拷訊せよ」と記している。  
     断罪には原則として自白を要し、犯罪の嫌疑が濃厚なのに自白しないものにたいしては、拷問(拷掠または拷訊という)を行うことができた。ここで言う拷問とは、杖で臀部(でんぶ)と背を打つことであり、回数は三度(各回の間は二十日以上)、杖を打つ回数は二百以下であった。偽証者は罰せられた。被告人を法の許す局限まで拷問しても自白がえられない場合には一転して告言者に拷問を加えることになっていた。「断獄律」には、「凡そ囚を拷して限満ちて首せざれば、告人を反拷せよ」とある(当事者平等主義)。また、原告、被告両人が共に自白しない場合、近隣親族の保証人を立てて両者を釈放した。さらに、誤判の場合、裁判官人は共犯または連座として、その責任を問われた。 
     この律令時代にあって、無能力者制度が存在し、80歳以上、10歳以下、篤疾、囚人の子孫、妻、奴等は証人能力を有しないとされた。また、70歳以上16歳以下、懐胎の婦女等は拷問できないが、衆証(3人以上の証人)で犯否をさだめた。さらに、律の官位階級尊重の精神を端的に表す制度として議請減贖章の特典のある者(高級官吏)一有位者及びその家族への拷問は免ぜられた(「日本法制史概説」石井良助、張文堂、49年、Pt47)。


    3.判決・上訴 
     罪囚の訊問は調書にとったが、裁判官がこの調書と証人の証言、証拠物件等によって犯罪事実を認定することを弁定または弁証、これによって判決することを断罪、判決文を断文と言った(「日本法制史(上)」瀧川政次郎、講談社、99年、P222参照)。弁定は、必ず囚人の前で読み聞かせて、筆記に誤りなきようにした。獄令では、「凡そ諸司の事を断ぜんこと、悉く律令の正文に依れ」として、断文にはすべて律令格式の正文を引用し、法的根拠が明示される必要があった。
     犯罪事実が判断不明の事案(疑獄)であれば、諸国から刑部省に、刑部省においても明らかにならない場合は、省より太政官に上申し、官は官議(大納言以上の者、卿、大輔以上、および判事)で決した。「続日本後記」承和13年の裁判実例より推測すれば、6名の弁官で合議を決定しこれを太政官の次官、長官に稟議して判決を作成した(事物管轄制による覆審)/下級官人の専断防止と、被告の保護のため以上の覆審制をもうける他、太政官が地方へ使入を派遣して行うもの、被疑者の上訴によって生じるもの、3系統がみとめられた。刑部省はいわば司法官庁、太政官は最高裁判所である。大化の改新以後は氏上のもつ私的裁判権が否定され律令裁判制度が公権的になる中、法解釈の統一は、中央集権を目的とする律令国家にとって重要であった。(「新裁判の歴史」利光三津夫・長谷山彰著、成分堂、97年、P79、P106参照)

    4.律令の実効性と変化
     事件の多くは、旧来の豪族の子孫である郡司の裁判で片づき、中央がこれに関与することは稀であった。その、郡司裁判の実例を示すものとして「政事要略」の中に「但馬国朝来郡」の記録がある。奴婢から解放されたと称する女性は訴えを提起にしたにも係わらず、郡司の説諭をうけて追い返され、近隣の人々に袋叩きにあうなどの例を見ても、「律」の実効よりも非律令的方式で問題解決されたと考えてよい(「日本法制史I(古代)」利光三津夫著、慶応教材)。しかし、律令裁判制度は、班田制が崩壊し荘園制が発展する平安中期以降、検非違使庁が創設(弘仁年間中)され、使庁の裁判手続において変化した。一言で言えば、律令の仁政主義的粉飾を捨て去り、治安維持一本に目的を絞られた。具体的には、当事者平等主義、誣告反座、三審の廃止、下級宮人のみによる判決、即ち覆審制の廃止へと変化したのである。

    5.現在の裁判との相違
     律令断罪裁判と現在との違いは、〃沙と裁判が一体となっている、拷問による自白に証拠能力がある(憲法38条、36条との違い)、F淡△里△襪發里帽虧笋魎墨造垢襦雰法14条との違い)等の点である。(「憲法〔第3版〕」佐藤幸治著、青林書院、97年、など参照)。

    (注3)その他、全面的に参照した文献 「世界大百科事典」平凡社、81年版、 カラー版「日本史図説」3訂版、東京書籍、99年

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