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送り火のパスカル

2018.08.15 Wednesday
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    JUGEMテーマ:読書

     ときどき自分は歴史の上でどこにいるのか、考えてみることも長い人生では必要かと思う。
     現代人はホモ・サピエンスの生き残りであり、様々な危機を奇跡的に乗り越えてきたのであり、その先祖がいて今がある、ということをこのお盆の送り火のなかでひしひしと感じることも大切である。
     また、無意味な戦争があってそれを克服してきた、人権と平和主義の前世紀があり、自分がいるのだと考えると世界一とか日本一ということに無意味さを思わざるを得ない。
     ボクシング協会の会長が朝鮮人のハーフだとか、ヤクザの子分だったとか、週刊誌に書かれているとひどい差別意識がまだあるなぁと、感じる。東京医大という先進的と思しき組織であっても女子差別意識が底流にあると考えると、静かなたたかいこそ絶対的な歴史のエンジンであると感じる。

     この世界の片隅であっても、全世界を感じ、歴史の一端を担っているのではある。

     

     と、考えていた時、パスカルの有名な言葉「人間は考える葦である」という言葉を思い起こし、この静かなたたかいを進める人間はそれほどヤワではないのではないかと思った。

     そのような言葉を欲するパスカルに透徹した精神と人類進歩への不理解を感じたのである。

     デカルトは人間の理性によってすべては解決すると信じたが、パスカルは、どんな努力でも人間の認識しえない部分は残るから、人間は絶対的真理に到達しえないため、理性を捨てて神に頼らなければならぬと考えた。デカルトも絶対的主観では批判すべきところがあるとしても、当時としては進歩的だった。

     マクロ・ミクロを見ても人間の認識は相対的で絶対的真理を追究することが使命であって、その意味で100%認識はありえないので、それが科学であって、だからと言って絶望することはない。

     パスカルは、解決できないことは神に頼ろうとした当時の普通の人であって、「葦」だと嘆くほどのことでもないのに嘆いた悲劇が「パンセ」であり、他方、パスカルは楽観的には喜劇役者にも見える。

     

    「帰するところ人間は自然の中にあって何ものであるか?無限に比すれば虚無、虚無に比すれば一切。無と一切の中間物」(断片72)

    謙虚にこの一節を受け止め、「一切」に近づくように努力するのが成長と歴史なのではないか。

     

     

    文学ディスカシォーネ|-|-|-|-|by ネコスキイ

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