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早朝の風 61 黒豆タンゴ
ご当地ソングはいろいろあります。
夕張メロンの歌、静岡茶音頭、・・・
今度は、ポリフェノール一杯の黒豆PRソングができたらしいのです。
どんな歌か聞いてみたいのですが、氷川きよしが歌うのかな。
ただ、どうも「黒猫のタンゴ」にダブってしまいます。ネコスキーの得意分野でもあります。
私なりに、昔懐かしい「黒猫のタンゴ」と「団子三兄弟」の曲で詞を作ってみると、以下の感じになります。
【黒猫のタンゴ バージョン】
らららららららら、ら〜ら。
僕は かわいい 畦の黒豆
朝霧のなか 強く生きる
だけど 蒼い豆のときも
枝豆にすりゃ 最高さ!
黒豆のタンバ 丹波 タンバ
煮豆 おかき ローラン コーヒーに
黒豆のタンバ 丹波 タンバ
ネコの目のような宝石さ
らららららららら、ら〜ら。
【団子三兄弟 バージョン】
四つそろって たんば (たんば)
いのしし 走って たんば (たんば)
まったけ とれて たんば (たんば)
くろまめ 食べて たんば (たんば)
栗も忘れちゃ いけないよ
たんば四兄弟 (たんば)
ししが 飛び込む たんば (たんば)
牛肉 まつたけ 寿司 (たんば)
黒豆 枝豆 最高 (たんば)
栗の焼酎 たんば (たんば)
山の芋だよ たんば (たんば)
スウィーツ鯖寿司たまりません
たんば八兄弟 (たんば)
恐竜いました たんば (たんば)
太刀魚祭りだ たんば (たんば)
デカルト カント (たんば)
杜氏 清兵衛 (たんば)
高城山とタンゴ (たんば)
お城も忘れちゃいけません
たんばフォーエバー (たんば)
早朝の風 59 気骨の俳優・山本太郎
震災の関連で啄木全集を読んでいたら、「青年教師としての啄木」という論文を見つけました。
この著者は「上田庄三郎」という人で、日本共産党の議長だった不破哲三氏の父親です。
茅ヶ崎の民間小学校の校長なども経験した、戦後民主主義の自由教育の先達だということです。
彼の論文が、筑摩書房の「石川啄木全集」第8巻に収められています。
さて、この論文は当時(昭和29年=1954年)の青年は早老化しているというのです。
50歳で老人といわれた時代にあって、青年とは20〜30歳ぐらいでしょうか。
いずれにせよ、「日本一の代用教員」と自負した石川啄木の真意に寄り添って書かれています。
俳優の山本太郎氏は教員ではありません。
が、このたびの抗議行動に、何かしら青年教師としての“石川啄木”を見るようでしかたがありません。
文部科学省前でのデモ行進、番組を干されたときの態度などなど、これは俳優たる人間としての行動でしょう。体を張って子どもに教育している姿に見えます。
新聞によると、「一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と山本氏は訴えています。
テレビ番組の大半なんて、企業と政治に支配されていることを国民はお見通しです。
日本を支配するために、テレビ番組を利用するのはアメリカ政府と大企業の対日支配政策ですから、反原発なんて言う輩は干されてしかるべきという「雰囲気」は当然、テレビ局の幹部にはあるでしょう。
あるいは、そういう「雰囲気」を察知した下部の中間管理職は、命令はなくとも「自粛」することもあります。そういう中間幹部が登用される時代なのです、今は。
だから、「空気を読めない」奴として蔑まれる社内風土が出来上がっているなか、起こった事件が、今回の山本太郎降板事件なのです。
大戦に向けてイケイケドンドンの教育にたいして、子どもの心を育てる教育を重視した啄木。
自らの地位を投げ打って脱原発を訴えた俳優・山本太郎。
多くの人がその勇気を賞賛し、励ます必要があると思います。
これが、テレビ界を変えるきっかけになればよいとも思います。
折しも、昨日、兵庫でレッドパージ裁判があり、敗訴はしているものの、世に明らかになったという評価があると考えます。都合の悪いことは抹殺・無視するという社会の体質に釘をさしたと言えましょう。それにしても、むごたらしい犠牲を払わないと明らかにできないほど、企業と政治は非人間的な部分があります。
山本太郎氏も、犠牲者と言えば犠牲者になります。生贄を払ってテレビ界を奇しくも告発したという結果になるでしょう。歴史に残る俳優となることは間違いありません。
「普通に生きられなくて」ごめん。というのは正義ですね。
早朝の風 60 豚リンゴ
評価:
--- ミートセンターいしおか ¥ 800 () |
昼のテレビ番組で、目黒区役所ちかくにあるという知る人ぞ知るレストランにタレントが食べに行くという企画がありました。
最近のテレビは、東北の避難所で食べるものに困っているというシーンと、どんなに美味いものがあるかというシーンが、同じテレビ局で放映されているものですから、すこし訝しげに見ていました。
何か不思議な取り合わせの一押し料理があるというので、一方で興味しんしんでした。
それは、じゃじゃーん。
豚肉とリンゴの甘煮!!!
味付けは企業秘密らしいので詳しく放送されませんでしたが(残念)、野菜もたっぷり入れていそうでした!!
そこで、テレビもすなる「豚リンゴ」というものとて、われもするなり。
って、ことで、早速、挑戦しましたのです。
ただし、レシピは自分流です。
さて。
ベースはコンソメスープ、そこにエリンギ(キノコ類)、キャベツをしっかり煮込んで、豚肉とリンゴ1個を入れてぐつぐつ炊きます。味付けは、酒・みりん少々、砂糖適量、味付け醤油少々。リンゴが柔らかくなり、豚が煮えたら、レタスを入れて1分。
抜群の酸味と豚の味がマッチして甘党にはたまりましぇーん。
テレビ番組では、若い(かな?)女性タレントがウダウダ言いながら食べていました。
その「ウダ」の中の真理は、この料理の命名が「豚リンゴ」というのは、下劣な女性侮辱の言葉に似たりけむ、ということです。
「このっ、ブタリンゴ!!!」
って、言われてみたい?
私には、かわいい感じがするのですが、いかがでしょう。
地震・津波・原発の被災地と東京の意識は、これほども違いがあるのです。節電できるのでしょうか。
早朝の風 58 啄木と被災地
岩手の被災者へ。
石川啄木は『一握の砂』で労働の苦しみを歌にしました。
はたらけど はたらけど 猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る
経済学的に見ると、剰余価値の搾取が続く限り、あらゆる手段で搾取がつづくため、むしろ働けば働くほど首を絞める結果になることを、短歌で
表現したとも言えるのです。この歌は超有名ですが、経済学的に解釈するのは難しいのです。
ところで、『一握の砂』の出だしは・・・・。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
頬つたふ なみだのごわず 一握の砂を示しし人を忘れず
大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき」
子どもを亡くした啄木は、この歌集の校閲を亡き子の火葬の日に行いました。
そういう背景を思うと心ぐるしい歌集ではあります。
この短歌の「東海」とはどこか?と考えていたら、岩手の東海岸なのかもしれないし、東海地方なのかもしれません。
被災地の歌かとも思えます。
そして、全体がそのように思えてなりません。
「たわむれに母を背負ひて そのあまりに軽きに泣きて 三歩あゆまず」
母を背負って避難した人も数知れません。三歩どころか三万歩もあるいた人もいたでしょう。泣いてばかりはいられませんでしたね。
「こころよく我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」
皆、そう思えるほどの仕事がしたいですね。
「『さばかりの事に死ぬるや』『さばかりの事に生くるや』 止せ止せ問答 」
いろいろ悩むなってことです。
「やとばかり 桂首相に手とられし夢みて覚めぬ 秋の夜の二時」
国策として推進された原発。やはり、国に対して怒りが噴出。その象徴が首相です。
「ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
結局、残ったのは山ばかりです。そこがふるさとなんです。
「汝が痩せしからだはすべて 謀反気のかたまりなりと いはれてしこと」
謀反というか、歴史の流れです。
「平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり」
まだ、ロシア革命の前の1908年くらいから、啄木が気にしていた共産主義とは何だったのでしょう。
今は、東北でも何万人もの日本共産党の議員や党員が被災者に寄り添っています。
早朝の風 57 被災者カンパに思う「あしながおじさん」
評価:
ジーン・ウェブスター,Jean Webster 講談社インターナショナル ¥ 1,103 (1999-08-05) |
よく駅で「あしなが募金」を募っている光景を見かけます。
子どもたちが黄色い声で叫んでいます。
最近は、社会福祉協議会や赤十字なんかが東日本大震災被災地支援カンパをやっています。
親と死に別れたか、親がまだ行方不明の子どもたちが数百人もいるそうです。
一瞬にして親を失った気持ちは想像だにできません。
今は明るい顔が、フラッシュバックで苦しめられる日が来るのかと思うと、いたたまれません。
天才子役で鳴らす「芦田愛菜」ちゃんは、泣きの演技のとき、お母さんがいなくなったことを想像すると涙が出てくるそうです。
これはロシアの演出家スタニスラフスキーの技術です。
ともあれ、誰しも悲しみに暮れることはありますが、そこまで考えてカンパ活動するのでしょうか。
「あしなが募金」の元は、ウェブスターの『あしながおじさん』から来ています。
孤児院にあずけられていた主人公の文才を見込んで、名前と身分を伏せて、大学進学費用を出資する資産家を「あしながおじさん」と言う名前にしています。主人公は孤児院の壁に映る資産家の長い影を見てそう名付けました。
年下の面倒を見る窮屈な孤児院から解放されて、大学生活を送る女学生は、学費・生活費用を出してくれる「あしながおじさん」に何度も手紙を書かねばなりません。でも、毎日のようにすくすく成長して、はつらつとして思索深い正直な主人公はあけっぴろげになんでも近況を書き送り報告するのです。
その一節にこんな主人公の手紙モノローグがありました。
「あのね、私も社会主義者になりそうです。かまわない?おじさま。無政府主義者とはぜんぜんちがうのよ、爆弾で誰かをふっとばすなんて主義じゃないわ。たぶん、わたしはとうぜん社会主義者になるべき人間です。プロレタリアートのひとりですから。まだどんな社会主義になるかはきめていないの。日曜日によく研究したうえで、つぎの手紙でわたしの主義を宣言するわ」
「幸福のほんとうの秘密をわたしは発見したのよ、おじさま、それは『現在』に生きること。過去をくよくよくやんだり、未来のとりこし苦労をしたりしないで、いまのこの瞬間から変えられるかぎりの最高のものをつかむことです」
この二つのパッセージは、かけ離れているようですが、実は底流でつながった思想だと考えます。(注=旧ソ連、現在の中国・キューバ・ベトナム、もちろん北朝鮮はこのブログで何度も主張しているように、「社会主義」ではありません。)主人公は、「プロレタリアート」は孤児だとか、一銭も持たないとかのように解釈しているようですが、日本で言うといわゆるサラリーマンとか働く人のことを言い、約7000万人くらいいます。将来を見据えつつ現実の困難を解決するのが社会主義の実践だとおもうからです。ここでは、レーニンの誤りを修正した新しい認識として社会主義=共産主義が重要です。
この本が書かれ(1912年)、また、訳された段階(1977年頃)ではまだ、この認識はなかったでしょうが、この新しい到達点にたって読み直すならば、内容が生き生きしてきます。
「あしながおじさん」はカンパをして、何も知らなかった孤児院の少女を、世界と現在を生き生きととらえ自ら変化を勝ち取る女性へと成長させています。いや、おじさんの意志とは関係ない軌道を進んでいるかもしれませんが、少なくとも孤児を解放したのです。
私たち“プロレタリアート”は、一部の人以外「あしながおじさん」にはなれないでしょう。
しかし、プロレタリアートの政府をつくることはできます。そこからカンパすればいいのです。ただし、その場合は、「カンパ」とは言わず「予算」・「税制」ということになりますが。
さすれば、主人公ジュディがたくさん生まれる可能性があります。
追伸
引用した文献の訳者は谷川俊太郎です。
「タイム/ライフ 図書販売」より。すこし古いです。
早朝の風 54 市場は大連立を求めている!!
評価:
キャンディーズ ソニー・ミュージックハウス ¥ 2,592 (2002-06-19) コメント:懐かしか〜。 |
政治の「大連立」とは、昨日の敵は今日の友、という間柄になるということです。
つまり、二大政党の民主党と自民党が連立内閣を組むことになります。
ところが、「昨日の敵」という大命題が“偽”ならば、どういう事態になるでしょうか。
アメリカへの外交・軍事・経済的従属、大企業への優遇政策への政策では全く同じだったので、“敵”という意味は、蝸牛角上の争いを皮肉ったのです。
どちらが消費税増税をうまく国民に承認させるか。
どちらが米軍基地を国民に理解させるか。
どちらが原発を安全に推進するか。
こんなこと競われても、庶民には大迷惑と言わざるをないのです。
ところが市場は大連立を求めています。
それは税制や社会保障改革が大企業の都合のよいようにできるからです。
ビンラディンが殺害されましたが、そのニュースが流れると一気に株高になりました。
だから、「大連立」が成立すれば、株が急騰するのは見えています。
こういう場合、どちらの立場に立つかに、利益のありかがかかっています。
大連立か、そうでないか。
“書中”、お見舞い申し上げます。
あなたならどうする?
早朝の風 56 ビンラディンと生存権
テロを肯定しないが裁判なしに殺害するのは罪ではないか、と思います。
個人的に殺害するのではなく、アメリカ大統領の命令による殺害です。
折しも、5月3日は日本の憲法記念日。
単なる存在「Exsistanz」と、人として生きること「Dasein」の違いを考えてみる日でもあります。
実は、日本国憲法の「生存権」はドイツのワイマール憲法の思想にその源泉を見ます。
その第151条には「経済生活の秩序は、すべての人に、人たるに値する生存を保障することをめざす、正義の諸原則に適合するものでなければならない」「各人の経済的自由は、この限界内においてこれを確保するものとする」(『解説 世界憲法集 第4版』三省堂)
この一節の「正義」とはいかなるものか。
その解釈によって、この151条の意義は相互に正反対となりうるのです。
たとえば、
テロとのたたかいも「正義」とするならば、ビンラディンを殺害することは、とりもなおさず、アメリカ人の生存を保障することになります(???)。
当然ながら、このワイマール憲法はワイマール国(ライヒ)内の憲法であって他の国と時代には適用されません。
しかし、ここで述べている「すべての人」という人とは、外国人をも含む概念だったはずです。それが憲法理念だからです。
フランス人権宣言やアメリカ独立宣言が今なお“哲学的”に有効なのは、それが時間・空間を超越した真理を含むからであると同様、ワイマール憲法の重要性は憲法として人類史上はじめて「生存権」という人権を明文として確認したからなのです。
その影響も受けて日本国憲法は成立したのです。
そう考えるといかなる理由があろうとも人を殺害することを「正義」としてはならないように思うのです。
だから、犯罪被害者遺族から恨まれるかもしれないけれど、「死刑廃止」を叫ばなければならないのです。秋葉原事件、地下鉄サリン事件、教育大付属池田小学校殺害事件・・・。どの事件を考えても犯人は特定され、裁判で経緯を確認され、死刑確定されています。
その犯人がそのようになってしまった状況を生んだ「背景」という「存在」(Exsistanz)は断罪されないのは理不尽です。死刑にされるだけの理由が「背景」にあるのです。
それだけの強度をもって、新たな戦争、テロとのたたかいに対して反対する人はなかなか見当たりません。その点が、理解しがたいのです。反粒子を探すのが難しいのと似ています。
ビンラディンには「生存権」というものはなかったのか。
原始的な「Exsistanz」と人たるに値する「Dasein」のうち、テロ容疑者として「Dasein」の制限はあったとしても、生命活動の「Exsistanz」まで奪う権利と正義はオバマ大統領にはなかったのではないか、と思うのです。
容疑者として逮捕して、事実関係を明らかにすることが、アメリカが「悪」とするテロの背景「存在」を
明らかにできただろうのに、遺憾の念を隠し得ません。
これでは、同じテロが繰り返されることになる懸念があります。なぜ、ビンラディンを生む背景が存在したのか。決して、テロを肯定しているのではないことを確認してください。
この「存在」はある「原因」の現象であります。
つまり、「現象」は消し去っても「原因」にまで追及できなくなったのです。
あるいは、アメリカに“不都合な真実”でも存在したのか、とも疑ってしまいます。
ほんとうに、ビンラディンがテロの首謀者だったのか。
東日本大地震で被災され避難所暮らしの人々、福島第一原発で昼夜分かたず作業している現場の人々。
日本国憲法が本当に眼の前に見える形で現れてます。人たるに値する生活を保障するのが国の役割であり、それを請求するのが「生存権」です。
この「請求書」を政府に見せましょう。いつ払ってくれるのかと。
「Exsistanz」だけでは、人として生きられない。「Dasein」なのだ。
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