映画「海街ダイアリ」の寂寥感

2015.06.14 Sunday
0
    評価:
    高瀬 ゆのか,吉田 秋生,是枝 裕和
    小学館
    ¥ 616
    (2015-05-08)

     
     吉田秋生さんの原作を2008年に読んで、現代の崩壊した家族の回復をテーマにしていると思いました。
     何度か、ブログで一部を紹介したりしています。
     今回の映画はそのダイジェスト版になっていて、原作を読んでいないと理解不能な部分があります。
     
     雑誌「サライ」で鎌倉特集を組んで、是枝監督を出演させてプロモーションしていますが、映画そのものに鎌倉の本当の良さを感じさせる部分が少ないのはさみしい思いです。
     だいたいどこでロケをしたかわかりますが、もっと活気ある仕上がりになってもよかったと思います。
     
     極楽寺駅は小さい駅で、崩壊した小さい家族の社会への窓です。
     しかし、実父や実母の奔放さの仕業まではわかるのですが、なぜ崩壊したのかという社会的裏付けを暗示するものを、映画ならば、是枝監督ならば注入してほしかったのです
     
     おそらく衣笠山から撮影された鎌倉の風景で、最後に叫ぶシーンは、成功者の街というイメージと家族の崩壊の間で苦しんでいる象徴として描かれています。
     ところが、そこからの展開と深みを描いていない中途半端性を感じてしまいました。

     山形の風景と似ていることで、家族を崩壊させた父親が鎌倉を思い出していたと推測するということも、一種の感傷として存在するのでしょう。すずが、しらすパンを父親が好きだったことを三女にかくして、思い出を大切にしたかった思いもわかります。
     そこで、長女を演じる綾瀬はるかが「お父さん、バカヤロー」、母親違いの妹を演じた広瀬すずが「お母さん、バカヤロー」と叫びます。
     そのあとに、父親と実母との喧嘩やその理由、父親とすずの母親との不適切な出会いなどを挿入すれば、大きな効果をもたらしたと思うです。
     この思いは、原作「レ・ミゼラブル」とミュージカル「レ・ミゼラブル」を比べたときと同じ思いで観ていました。
     
     長女が医者との幸せを蹴って、姉妹の絆を大切にしようという力強い思いの理由は、あまり正確に表現できていなかったのです。
     4姉妹で結婚せずに生きていくの?
     「海猫食堂」のおばちゃんの死の意味は、鎌倉4姉妹の行方なの?
     
     とにかく、テーマがぶれていて、よくわからないという映画だったものですから、原作読んでから観てくださいとしか言いようがないのです。それは、誰も主役を張ってもいいくらいの俳優陣で固められているところからみても、焦点のない「開放」レンズなのでした。
     一つ一つはいいシーンなのに、全体として惜しいと思います。ポッキー四姉妹のような短編映画の継ぎ合わせです。

     柳楽優弥さんをカンヌで受賞させた監督なので、スポンサーや地元や映画会社の力関係がそれぞれあらわれた映画としては、最高傑作です。
     御成中学のみなさん、腰越漁協のみなさん、撮影機材を抱えて道なき道を登ったスタッフのみなさん、おつかれさまでした。

     
      P.S.
       その後、広瀬すずさんが「とんねるずのおかげでした」という番組で、スタッフ軽視と受け取れる発言をして、Twitterで謝罪するという事態になりました。これは、広瀬さんだけの問題よりも、映画界、テレビ界の大問題だという認識に、大人が自省する問題なのです。ADへの差別的待遇やスタッフと俳優の上下関係は、階級差別のようになっている実態があると関係者は知っていて知らないふりをしているのです。
     スタッフ奴隷がテレビを支えています。
     すべてのスタッフ奴隷よ。団結してたちあがれ!! 鎖を断ち切ろう Unite!


     

    映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

    グレート・ギャツビー

    2013.07.19 Friday
    0
      JUGEMテーマ:映画

       この映画はレオナルド・デ・カプリオ主演で上映されています。
       村上春樹氏の翻訳なども出ています。
       原題は「the Great Gatsby」。
       この「Great」をどう翻訳するかで意味が違ってきますが、映画では「華麗なる」と訳しています。
       辞書には「華麗なる」という意味はありません(英和辞典 Weblio辞書)。
       フィツジェラルドの小説の内容からすると「(軽蔑をこめた)偉大なる」が最も当っていると思うのですが。
       ホームページの解説もちょっと違うし、なんかイライラするような映画宣伝になっています。
       
       そこで、私なりに解説すると・・・・・
       
       「グレート・ギャッビー」はアメリカ文学の一つで、1920年代の第一次大戦後のいわゆるアプレゲールの小説です。アメリカンドリーム?の体現者であるギャッビー氏は貧乏な青年時期に果たせなかった上流階級の娘との恋を実らせようとする話です。それを傍で見ている若き友人キャラウェイ氏が語り部になります。
       だいたい、何か悪いことをして(だいたい酒の密売とか相場師ですが)、成りあがった人をアメリカンドリームと言います。ケネディのお父さんについてもそういう話を聞きます。
       
       小説家フィツジェラルドはアメリカというものについて揶揄的に悲劇的に描いたのでしょう。
        他の小説で「皐月祭(メーデー)」というのがあります。
       金持ちでエリート大学出身なのに女にだらしなくて会社を首になって堕落している男が、メーデーとは別に行われた大学のパーティで飲んだくれ、世間から無視される。一方で、メーデーなのに「アカ」を攻撃する労働者が、真面目に社会悪を追及する新聞記者を襲撃する。そして、双方が飲んだくれて朝になったら終夜営業のレストランで一緒になっている。
       そんなアメリカン・シーンを描いています。
       「the Great Gatsby」も、アメリカンシーンの一つであり、表現の一つ一つに技巧をこらした複雑さはあれども、つらさが身にしみるばかりで何一ついいところがないのです。 
       ヘミングウェイやセオドア・ドライサーなどと同時代になりますが、総じて暗いアメリカを感じざるを得ません。
       どうか、誰かが、こんなアメリカを変えてほしいと慟哭しているような小説です。
       読みたいなら読んでください。
       

      映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

      映画「リンカーン」の視点

      2013.05.05 Sunday
      0
        評価:
        エイブラハム・リンカーン
        岩波書店
        ¥ 693
        (1957-03-25)

        JUGEMテーマ:映画

         スピルバーグ監督の映画は全部観たいというか、まあだいたい観てきたわけです。
         今回公開されているのは歴代アメリカ大統領の人気1のリンカーンを描きました。
         南北戦争の終結に心血を注ぎ、黒人奴隷解放をその梃子にしたという設定です。
         
         「奴隷解放」という単なる思想を憲法修正にまで実体化した大統領という人間性を描いています。
         ただし、現実的にはリンカーンはインティアンに対しては厳しく差別しています。
         特に、黒人奴隷を解放することで南部連合を骨抜きにし、戦争の火種を無くしたかったのです。
         本当に、差別をなくそうと思ったわけではないように見えます。

         アメリカ憲法修正第13条では、「奴隷またはその意に反する苦役は、当事者が適法に有罪判決を受けた犯罪に対する処罰の場合を除いては、合衆国またはその権限の及ぶいかなる場所においても存在してはならない。」となっています。
         この「奴隷またはその意に反する苦役」については判例が数々あります。
         映画との関連で言えば、これは黒人奴隷ということを指していたのです。
         しかし、たとえば、徴兵制はこの憲法に反しないというのがアメリカの判例で確立されています。
         
         逆を考えれば、実は不思議な命題も成り立ちます。
         「意に反しない苦役」ならば良いのか?という疑問です。
         実際にそういう実態はあるのかというと実はあるのです。
         もし人が苦しみを苦しみと思わない労働をしているならば、それは「意に反しない苦役」なのです。
         ただ、アメリカ的感覚ではありえない労働ではあります。

         しかし、日本では、カローシを起こすほど働き、働かされます。
         キンタロー。が真似するように、前田敦子さんは「何故こんなに一杯歌わされなきゃいけないのか」と思うくらい働いていたのです。この例は特殊ですが、多くの日本人は気付かないまま必要以上に多く働いているのです。
         また、社会科学的に見ると、時間内労働と時間外労働。その時間外労働は対価が支払われる労働と不払い労働に分けられるのです。そういう不払い労働をサービス残業と言って、前残業と後残業があります。
         このサービス残業というのは、実は「意に反しない苦役」に相当します。
         ここで問題になるのは「苦しい」かどうかではなく、「意に反しない」という点です。
         実は、この言葉は「苦しい」労働は暗に人間がするはずがないと認識している社会規範を表現しています。
         ところが、苦しみの中にちょうど「ダイエット・ハイ」的な喜びが生じ、あたかも「喜んで」苦役を行ってしまうある種の道徳を作ってしまう社会・団体・会社もあるのです。
         これは、宗教の「苦行」に似ています。
         そしてその「苦行」こそ、会社なり団体なり社会につながるキヅナとなっています。
         その苦しさは本人にとっては、自己証明であり、存在意義にもなり、自覚した人こそ真の働き手であるかのような錯覚を持ってしまうのです。

         アメリカ黒人奴隷はアメリカのイギリスからの経済的自由を獲得する梃子になりましたが、一方で南部・北部の結合、新アメリカ連合を構成するためには桎梏にもなった矛盾的存在でした。
         なかには、長い血ぬられた歴史を忘却した結果、今言ったような「喜んで」苦役を行う奴隷もいたと思います。
         しかし、それはことの本質をとらえていないのです。
         その本質とは、必要以上に労働させる社会的環境なのです。社会規範、団体規範、会社規範です。
         「空気が読めない」というのは、社会環境を読めないことに対する批判であり、抑圧です。
         
         リンカーンはそういう「空気」を除去したかというと、そうではない。今回の映画ではそれがわかりました。
         俳優トミー・リー・ジョーンズ扮する国会議員が圧力をかけて奴隷解法反対派を寝返りさせたシーンを見れば一目瞭然です(彼は日本のCMで宇宙人になっています)。

        映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

        ファンティーヌ、ナチスの女、峰岸みなみ

        2013.02.25 Monday
        0
          評価:
          サントラ
          ユニバーサル インターナショナル
          ¥ 2,200
          (2012-12-26)

          JUGEMテーマ:映画


          ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を観ましたが、この内容を階級的に理解している人は何人いるのか、疑問に思いました。
           前田敦子さんは2回観たとツイッターで書いていましたが、原作を理解し、かつ社会発展史のなかでとらえないと、かなり理解不能の映画になってしまいます。
           
           フランス革命はアメリカ独立革命の影響のもとなされた国民の階級闘争であります。
           また、フランス国民は王がなくても国は成立するという確信や国民の苦しみの根源に王制があると判断したのです。
           
           
           ところが、王制打破のあとについての構想が国民の間で分かれ、
           ヽ很晋紊虜乱収拾のための独裁、
           △修譴鯣歡蠅掘古代ローマを手本にしたナポレオン帝政、
           守旧派の巻き返しである王政復古から周辺各国の干渉(ウィーン体制)
           い修隆馨弔らの脱却としての制限選挙による立憲君主制樹立(7月王政)、
           イ修譴頬阿足らない一般人を味方につけた富裕層の革命(2月革命)、
           Δ修良挈義悗竜盾屬膨餽海靴浸毀韻離丱螢院璽廟錙
           С姐颪隆馨弔ら逃げ出したその富裕層政府に対する労働者自治政府コンミューン、
           ・・・と続きます。
           フランスは、1789年から1871年までの約80年間、世界でもまれにみる典型的な国内での闘争で自らの知恵を鍛えて行きました。
           
           今回の映画はこのうちΔ良分を描いているのです。
           ここを理解しないと、何故学生をはじめとした国民が政府軍とたたかっているのか不明な映画になります。
           その前後を抜きにして人道性を語ってるため、理解しがたいものになっています。
           その上、革命に対する理解が未熟な人の心理に、この解説ぬきに「革命」を語ると、革命は暴力でやるものだと宣伝するような弊害を生じます。
           
           この点は気がかりですが、観客は老若男女、ぎっしり入っていました。
           普通の言葉なのにどうして歌わなければならないのか?どうして、そんな場面で歌うの?ミュージカル映画の根本に疑問付を打つ人も沢山いると思いました。
           ジャベールが執拗に追いかける心理、コゼットの切なさ、その母ファンチーヌの歌は知らない人はいません。片思いのエポニーヌの苦しさ、その両親テナルディエ夫妻のゆがんだ知恵、マリウスの革命歌、プチ・ガブローシュのすばしこさ。
           これらが皆、うたごえになるのです。
           ミリエル神父の寛容性 → ジャン・パルジャンの利他性 → 学生たちの革命性 
           この三位一体の人間性が、ばらばらに見えてしかたない映画になったので残念でした。


           そういうなかでさえ、この映画の筋になる女性がいて、現在に通じる哲学は発見しました。
           それは、女優アン・ハサウェイ演じるファンチーヌ。
           子ども(コゼット)を他人に預け仕送りするシングルマザー。
           彼女はマドレーヌ市長(実はジャン・パルジャン)の経営する縫製工場の女工でした。工場でイジメぬかれて凌辱され解雇されるはめになります。挙句、娼婦の道に。
           その際、さらなる仕送り金を得るため「丸坊主」にされるのです。

           写真家ロバート・キャパの撮った写真では、ナチスに協力した女性が「丸坊主」にされています。おそらくフランスでドイツが降伏した後に撮られたものでしょう。
           AKB48の峰岸みなみさんが「丸坊主」になったのも海外で報道されました。その理由は恋愛だった!という驚きの見出しでした。
           もう一つ、市民ランナーの星、川内さんもロンドンオリンピック代表選考に漏れた時、「丸坊主」にした記憶が日本人にはあるでしょう。
           
           つまり、人によって作られた「罪」のあがないに「丸坊主」になる行為が強制される、ということです。髪が命の女性にとっては死刑にも相当する残虐な強制なのです。
           たとえ、自ら髪を切ったとしても、「場の論理」が強制として働いています。
           しかしながら、ファンチーヌを見捨てざるをえなかった工場主のジャン・パルジャンは償いとしてコゼットを育て、その瀕死の恋人マリウスを助け、自らは消えていきます。「丸坊主」にはならないのです。この違いは何なのか。
           利他、無償の愛、敵を愛すことで、実体として償う行為こそが、ほんとうは必要だということでしょう。


          p.s.
           アン・ハサウェイさんは、この映画で米アカデミー賞助演女優賞を獲得しました。おめでとうございます。
          「アン・ハサウェイ」という名前は、あのシェイクスピアの妻の名前と同じです!!!!!!!
          女優に賭ける決意がわかります。



          映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

          映画「東京家族」の初日

          2013.01.20 Sunday
          0
            評価:
            久石譲,サントラ
            ユニバーサル シグマ
            ¥ 2,100
            (2013-01-16)

            JUGEMテーマ:映画

             
             土曜日(1月19日)は山田洋次監督の映画「東京家族」上映の初日でした。
             言葉を大切に使う山田洋次監督らしい映画でした。
             
             田舎の老親が東京に訪ねて来ても、子どもたちは自分のことが精いっぱいで丁寧な対応もできない。
             自立している息子・娘にとってはやっかいな存在でもあるが、なくてならない親族であることには変わりは無い。
             しかし、自分たちの目の前のことばかりに追われて気を使うこともできなくなっている世知辛い社会が重くのしかかってくる。
             誰がこんな社会にしたのか?
              核家族の矛盾を描く小津安次郎監督の精神を継いだ山田監督らしい映画になりました。
             
             なんのスペクタクルもない淡々とした構成ですが、深い矛盾がそれぞれの個人にのしかかっていることを考えると人生の深淵を見るようです。しかも、出て来る人々のそれぞれの矛盾が社会と絡み合ってくるのです。
             新幹線が品川駅に止まることも知らないまま舞台美術の仕事をしている次男(妻夫木)、休みなのに急患で往診に行く医者の長男、美容師で商店街行事の役をして不況とたたかっている長女、おじいちゃん・おばあちゃんが来ても夜の塾や休日野球の練習に行く孫、旧友が来ても自宅に泊められない友人。
             
             みんな悪気がなく精いっぱいやっていることが、老親を疎外していくのです。
             
             この中では、俳優の妻夫木さんの演技がとても印象的でした。
             勤務評定や学力テスト問題での闘争をしてきた、あまり感情を表に出さない強面のお父さんが、病院の屋上で朝日を浴びながら「母さん、死んだぞ」と無表情に言う。
             それにたいして、押し殺していた感情が一気にこみあげて来るような悲しみの表情で、泣きだす。
             なかなかできないリアリティでした。

             妻夫木さんは、かつて、小学校でブタを飼うことについての是非を問うた映画の青年教師を演じていましたが、ブタが最終的に賭殺場に送られるシーンで泣いてしまう演技も見事でした。
             私は、そのシーンに重ねあせて観ていました。
             
             華やかな舞台裏を支える人々が犖悗蠅△覘疉堋蟯労働者で支えられていることも、多くの人が知る良い機会にもなったと思います。


             全体としては、会話のタイミングが少しずれているような印象は持ちましたが、「今」の普通の人々を描く力量をもつ映画監督は山田監督をおいてほかにないというべきでしょう。

            映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

            映画『一枚のハガキ』から得るもの

            2012.07.29 Sunday
            0
              評価:
              ---
              TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
              ¥ 3,626
              (2012-02-21)

              JUGEMテーマ:映画

               
               新藤兼人監督の最後の作品となった映画が、この『一枚のハガキ』です。
               クジが生死を決めた事実を悲惨と笑い飛ばしで描きました。
               
               このクジは、進化が突然変異を第一原因とし、その淘汰が第二原因であるのとは、かなり違う偶然です。
               なぜなら、戦争という政府の行為を第一原因とし、その遂行施策が第二原因であるからです。
               進化の突然変異は避けられませんが、戦争は止めることができたからです。
               しかも、戦争遂行施策の何万分の1として、フィリピン行きか、潜水艦行きか、掃除係として滞在するかを選ばれるのです。
               さらに、そのクジは自分で引くのではなく上官が引いたものを強制させられるのです。
               
               この前提には、2等水兵は、一銭五厘の赤紙で招集された最下層の人間だという差別認識が横たわっています。
               だから上官にとってクジであろうと、トランプであろうと構わないのです。ただのコマでしかないわけです。
               ところが、本人は生死を分ける事態になり、戦死した場合は、家族の破壊につながるという事実を直視しないといけません。
               
               単にクジで選ばれ生き残ったので悲しいとか、つまらない人生とかの慨嘆では終わらないのが、この映画のすごいところです。
               曲折や動揺や死に別れた人への執着はあるものの、最終的には、この残された世界で生きる力を人はもっているのだ、とうことを言いたいのでしょう。
               それは、大震災・津波被災にも言えることでもあります。
               ただし、その認識や洞察に到るまでに、死に物狂いの模索の後にあるのです。
               もうどうにでもいいという放棄や甘えや悔しさを乗り越えた先にこそ生まれ出るものなのです。
               この映画をここを衝いています。

               そういう戦争は国の施策で行うものですが、オリンピックは違います。
               何の援助も受けていないのに、国を背負って出場しています。帰ってからも国からの援助はないのです。
               にも関わらず、国歌を歌わされ、日の丸を掲げさせられる選手は、軍隊以上にひどい扱いを受けています。
               オリンピックは平和の祭典なのに、国どうしのたたかいのように演じられるのは良くない世界の潮流だと考えます。
               偶然、手が滑った体操選手のように、偶然に支配される人を国の恥のような描き方をするべきではありません。 


               『一枚のハガキ』を観て、人生の偶然性は戦争においては避けられるものであり、オリンピックでは避けられないものであると思いました。
               そして、それが原因ですべてを失ったり、すべてを得たとしても、それを克服して新い理想的な社会を作り上げるのが人間でもあるのです。

              映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

              テルマエ・ロマエの平和論

              2012.05.20 Sunday
              0
                評価:
                ヤマザキマリ
                エンターブレイン
                ¥ 714
                (2009-11-26)

                JUGEMテーマ:映画

                 流行っているというので映画「テルマエ・ロマエ」を映画館で観ました。
                 大都会の真ん中で、日曜日だというのに、半分ほどしか入っていないのにまずは驚きで、映画界の苦衷もよくわかります。
                 あれだけ宣伝しているのに。
                 
                 それはさておき、内容です。主人公は建築家ルシウス。
                 彼は、古代ローマと現在日本との風呂場をタイムスリップして、「平たい顔」の属州(と勘違いしている)の先進的な風呂文化をローマに導入し、
                 ハドリアヌス皇帝に重用されます。今で言うと、万葉クラブ、愉快ガーデンのようなスーパー銭湯ですね。
                 皇帝は武力で帝国拡張することに限界を感じ、文化ことに猊呂文化瓩蚤綾を維持しようとしていたときでした。
                 ドナウ川以北の猗畋沖瓩抵抗できなくなるほど大きくなり、闘いに疲弊したローマ軍の前線に指揮のため出征した皇帝は、このことをさらに痛切に感じました。
                 
                 そこで傷ついた兵士を癒したのは、日本から学んだ薬湯、オンドル。この建物を作ったのは、現代日本からこれまたタイムスリップした漫画家と風呂好き爺さんたちの

                尽力でした。この癒しで力を得た兵士は猗畋沖瓩鯤芯蝓
                 ハドリアヌスは、ルシウスを英雄と称えます。
                 
                 タイムスリップして日本文化に驚くルシウスの顔と勘違いに噴き出すのですが、古代ローマでは死ぬか生きるか真剣勝負の世界です。
                 その差に面白さを感じます。
                 風呂ごときで生殺される世界と風呂で平和に生きる民族。
                 
                 ここで大切なのは、武力で帝国拡張する路線から、風呂で国民を癒す路線に転換したハドリアヌスの英断です。
                 戦争手段しか平和への道を歩めなかった古代にあって、風呂文化で平和路線を追求したのです。
                 そして、それを事実上支えたのは、ルシウスのような名もない技術者たちだったのです。
                 そのあたりに、原作者ヤマザキマリさんの意図がありそうだと思いました。
                 
                 以上はフィクション。
                 
                 実際のハドリアヌス帝は、プルターク英雄伝には出ていないようですが、レプシス・マグナという浴場を作っています。
                 http://www.livius.org/le-lh/lepcis_magna/lepcis01.html

                映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                ソルトと言うスパイ

                2010.08.09 Monday
                0
                   最近、スパイ映画は面白味がないです。
                   映画「ソルト」もその一つです。複雑極まりない構成なので誰が敵なのかわからなくなってしまいます。 分かりにくいのは、一体どこの話か想定しにくいからです。
                   アンジョリーナ・ジョリー扮するCIAスパイ「ソルト」はアメリカとロシアの二重スパイとなって、双方の大統領を狙います。
                   スパイ同志は競い合うためお互いが疑心暗鬼。相互に知らない場合もあります。
                   アメリカ大統領を装ってイスラム教国を核兵器で狙い打ちにして、アメリカを孤立化させることが、ロシアの覇権を維持する方法なのでしょうか。
                   それをスパイ同志の権力争いで奇しくも阻止したソルトは、アメリカ大統領暗殺未遂で逮捕されますが、複雑な経緯を知るCIA内のスパイの示唆でポトマック川に脱出し行方知らず。こんな積み重ねで物語は続いて行きます。
                   敵は非人間性を産み出した社会そのものにあるかのようです。
                   その社会が何故生まれるのか、追求してほしかったですが。
                   プロデューサーは非人間性社会のスパイだったら、敢えてとりあげないでしょうね((笑))
                   この映画よりVIP待遇の金ヒョンヒの顛末や源頼朝を狙った唐糸(からいと)の物語の方が、人間性に訴えると信じます。
                  映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                  踊る大捜査線!湾岸署の引っ越し

                  2010.08.06 Friday
                  0
                    評価:
                    ---
                    ぴあ
                    ¥ 1,600
                    (2010-06-21)
                    コメント:組織論の原因にまで迫ってほしい。

                    JUGEMテーマ:映画
                    レインボーブリッジ近くには本当に警視庁湾岸署があります。
                    でも、ここの署とは無関係なフィクションが織田勇二主演の映画です。
                    あらゆる場面で誇張があり、つまらない部分で笑わせます。
                    ところが、「組織論」についてはかなり深めてあり、見るべき価値があります。
                    上司と部下との軋轢に苦悩しる柳葉さん扮する高級警察官僚は、使い古されたテーマです。
                    小栗旬演ずる「調整官」は高級警察官僚の突撃部隊であり、上級・下級の調整役に走る権力で、矛盾の根本的解決になりません。
                    しかし、そのことも十分考慮した描き方がなされています。
                    所轄は仲間なんだ!と決めぜりフを言う織田勇二も幼稚なアナーキーではありますが、誰しも抱く感情を表現しているため、人気があります。
                    それに追随して署長が同じことを繰り返すと、警察組織の命令で動く上意下達式を破壊することになります。だから、笑いが起こるのです。
                    小泉今日子扮するカリスマ犯罪者は、外部に支援者を増殖させますが、白装束の集団やオウムを彷彿させる設定です。
                    警察の縦集団と対比させて、横のネットワークでつながれた自発的な集団とカリスマ性による統率を描くことで、組織の在り方を問うているのだと思います。 文明の衝突のような組織論の衝突!
                    資本主義的統治機構として、横のつながりは自己矛盾だ!というところを突いて欲しい作品でした。
                    何故なら、「資本主義」という本質は一つしかないから、その方向でしか統治されないのです。
                    だから、横組織論は青島係長のような現実論者に起こりえても、縦組織論に吸収されてしまいます。
                    まるで、太陽のフレアが爆発で外に噴出しても、太陽の重力と磁力で消えて行くようなものです。
                    フレア爆発の瞬間を描いた!これが「踊る大捜査線」です。
                    カルト集団などに限られる横の集団組織論は、多様な経済支配があって初めて成功するのです。
                    ただ、可能性と存在意義を「踊る大捜査線」は大衆的に示している点で、絶賛されるのです。
                    映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ

                    アリエッティ

                    2010.08.01 Sunday
                    0
                      JUGEMテーマ:映画
                      ジブリアニメです。
                      ポニョ以来です。
                      夏休みだから一杯子どもたちが来ているものと決め込んで、映画館に足を運びましたが、ガラガラだったので拍子抜けしました。
                      ジブリ作品ではありますが、監督が違うのですね。 アリエッティは小人です。でも、14歳になっています。ちょっと古風な生き方をしていますが、現在に人間と共存しています。
                      大人には白蟻ぐらいにしか見えませんが、人間の子どもにはしっかりと「人権」をもった小人として映じます。
                      食糧や生活用品は人間世界から頂戴して生きてます。でも、取りすぎるわけではないのです。
                      少し「吾が輩はネコである」的な錯覚を覚えます。 人間という巨人が歩くさまは風を引き起こし、響きわたる音を発生させます。 「ガリバー」の世界です。リリパット国のようなのです。
                      そう言えば「ラピュタ」も、「ガリバー旅行紀」に出てくるので、宮崎さんはかなり意識したラインナップにしています。
                      アンデルセンの親指姫とは違い王子様は来ません。 アリエッティは、自分たちで自活していくのです。 だから、まち針はフェンシングの剣にし、机から降りるのにロープを使って降ります。
                      レインじゃー部隊とほぼ同じ生活を営む小人「民族」なんです。
                      ゴキブリやネズミはモンスターに見えます。たぬきなんかほぼ怪獣です。
                      ちょっと、一寸法師の姿を思い描きました。でも、彼は都に出て成功しお姫様と結婚するのです。
                      だから、アリエッティは同じ小人でも親指姫や一寸法師のような救世主待望論とは質が違います。
                      あくまでも自給自足なのです。人間に見つかったら最後、住み家を変え新しい「巣」を見つけに旅をします。
                      アリエッティの家族もヤカンで旅立ちことになります。悲しい結末にならないよう期待するのですが、何か哀愁が漂うのです。
                      この感覚は何か覚えがあると記憶をたどっていたら、ロシア民謡ポーレシュカ・ポーレの哀愁でした!
                      行かざるを得ない、でもうまく行くかどうか不安で一杯なのです。
                      ロシアのデカブリストがシベリアに抑留される不安を描いた曲です。
                      帰れないかも知れない、でも行かざるを得ない。
                      アリエッティも無事に新しい住み家を見つけられるのでしょうか。
                      アニメ論としては、アリエッティが採ってくる角砂糖の大きさが、まち針の大きさと比例しない不思議を発見しました!
                      アリエッティのこぼす涙は大量過ぎて笑ってしまいます。どうしてこんなになっちゃうんだろう。
                      アリエッティ家族は、トトロで言うと「真っ黒黒助」なのです。
                      自主独立・自衛の親指姫!がアリエッティ像なのです。
                      その意味は何か!
                      これからじっくり考えて行きたいですね。
                      映画談義のパラディソ|-|-|-|-|by ネコスキイ
                       
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